見出し画像

「信用して!」と言っておきながら信用していないのは、私の方

夕方に、おつかいに出かけた子どもが
19時を過ぎても帰ってこない。

心配になり連絡したところ
泣いた声で電話が来た。

子「家の鍵、部屋に落ちてないですか?」

私「無くしたの?」

子「たぶん」

私「どこにいるの?」

子「家の近くの道路、探してた」

私「とりあえず、帰ってきたら?」



キッチンに行くと、早速発見。
鍵が転がっている。

あったよ。と、子どもにLINEを送りながら
大きなモヤモヤに包まれる。

我が子はどうして
「鍵が無い」と気づいたとき
私に連絡をくれなかったのだろう?

私が家にいたことは知っていたはず。

確かに仕事中ではあったけれど
LINEの一本くらい、くれてもいいのではないだろうか?


帰宅した子どもに、聞いてみた。

私「どうして連絡くれなかったの?」

子「鍵、前にも何回も無くしてるから、怒られると思って」

私「・・・」

子「もしかしたら、道に落としているかもしれないし」

私「怒られるのが嫌で、家にあるかもしれない可能性を捨てて、寒い中外を探し回る方をとったんだ?」

コクリと頷く。


彼の忘れ物・無くし物の多さは、日常茶飯事。
そういう特性なのだろうし、なんなら自分もものすごい多いし
あまり責めるつもりはない。

あー。とか言いながら
鍵を無くすのは、嫌だな。

確かに、思い返すと、これまでも
鍵を無くしたり
それをリカバリーしようと鍵穴に鉛筆を突っ込んで鍵穴を壊したりして
大激怒したこともあったな…。


そうじゃなくても
これまで散々怒ってきたのですよ。

悪さをしたとき、約束を守らなかったとき。
自分でも、ヒステリーだな、と思いながら
烈火のごとく、怒りを浴びせてきた。

最近は、感情のコントロールが少しずつできるようになってきて
そこまでひどいことはなくなってきたんじゃないかと思うが
幼少期からの記憶と恐怖がしみついているんだろうな。

息子よ、ごめんね。。。

 

私「私が連絡しなかったら、ずっと外で探してるつもりだったの?」

子「21時ぐらいまでは…」

私「いつまでも帰ってこなくて、私が心配すると思わなかったの?」

子「・・・」

私「確かにさ、怒られたり小言を言われるのは嫌だろうけどさ、私のこと、もうちょっと信用してくれてもいいと思うよ」

子「・・・はい…」


そんなやりとりを交わしながら
なぜ、この事象が起きたのか、気がついた。


子どもに対して
私をもっと信用してくれても…なんていいながら
むしろ、信用していないのは、私の方だ。

 
私が、私を。
私が、子どもを。
私が、世界を。


何があっても大丈夫!
嫌われることもないし、批判されることもない。
そんな風に、信じられていない。



昔から、私は
「自分のことが信用できない」とうようなことを
口にすることがあった。

記憶が薄い。
うっかりミスや忘れ物が多い。
なぜそういう発想になった?と自分でも驚くような脳内変換をすることがある。

そういう自分の特性をよく知っているし
怒られたり、できないヤツと思われるのが恐いから
仕事でも、プライベートでも
何度も、何度も、確認をする。

結果、「仕事が細やか」と褒めていただくこともあるが
その都度、こう返す。

「自分のことが信用ならないので
何度も見返してるうちにそうなるだけです」

そうなのだ、私は、私を信用していない。
そして、自らのコトバで、それを刷り込みながら生きてきた。

息子のことも信用していない。
実際、今日も、子どもが出かける前に色々確認した。

お金持った?
忘れ物ない?

出がけに持ち物を再確認したが、結果として
彼は鍵を忘れたのだ。

その、確認行為を私がしつこくおこなったがゆえ
「無くしていたら、怒られる。
もしかしたら家にあるかもしれないけど
出がけに確認されたのに忘れていったのだとしたら、それはそれで怒られる」
という発想につなげてしまったのかもしれない。



ちーーくしょーーーーーー!!


世界中のすべの人の夢を、可能性を信じる前に
私自身のことを、信じられていないじゃないか!!

じゃあ信じてみよう、とは思うものの
恐怖が出てくる。

忘れ物や無くし物が多くて
うっかりしてて
すっとぼけたミスを多発する自分を
はたまた、その鏡のような息子を
心から信じるのが恐いのは
なぜか?


またまた、出てきた。
親への恐怖。

コーチングを受けたり
セルフコーチングする度に出てくる
親への感情。


最近、少しずつほどけつつある!
あとちょっと…もうちょっと…。

コーチングを知るまでは
こんな風に、親との関係を見つめなおしたり
受けとめたりすることなんて、できなかった。


私たちは
無意識のうちに、親が喜ぶ言葉や行為を選んでしまっているんだって。

大人になっても、親が死んでも
子どものころからの延長で
親の顔色をうかがって選択した言葉やアクションをとってしまう。
それを、自分の本音だと思い込んでいる。

けど、どこか、自分とフィットしていない。
エネルギーを削ぐ選択になっている。

だからこそ、親と自分の関係性について
自分の中で統合できると
「自分の言葉を話せるようになる」らしい。



長いこと、親との向き合いから逃げてきたけど
先月、コーチングを再度学びはじめたことをきっかけに
再開したよ。

子どもは、私に、
「しっかりせえ!ちゃんと信用してやれよ!」
と伝えるために、寒空のもと、鍵を探し回ってくれたんだなあ…



ありがとう!!!
(つ´ω`*)•ω•*)❤



すべての事象には、意味がある。

この世には、失敗や批判など存在しない。
愛しかない。
 
それを心の底から信じ
 
何があっても大丈夫!と、

私を
子どもを
世界を
全力で信じる自分であれるように

今の、自分の感情を、見つめていくよ!


#100本チャレンジ 25本目ㅤ


(お知らせ)次回のコーチング講座は2/28です


ありがとうございます!勇気をもって受け取ります。いただいたサポートは、私が喜びそうなことに使わせていただきます(∩´∀`)∩