「わからない」を愉しむチカラ_アートエデュテイメント#01
「わからない」って不安ですよね。
でも、「わからない」を愉しむチカラって、これからの時代にとても大切な気がします。自分なりの“わからない世界”に対する漫然とした不安を、論理で解決するのではなく、感性で解消することを、アートを通じて実現できるのでは?ということで、アートの持つ魅力や可能性を、“アートエデュテイメント”として、具体的な事例やワークショップでの実践の様子等を通じて、リアルに提示していく連載をスタートします。
プロローグ
これからアートのお話をします。
こう切り出されて、心がウキウキとしだす方は、少ないかもしれません。何か小難しい話を聞かされるのではと、身構えてしまうのが普通の反応だと思います。ですから、アートを語る際には、なるべく「わかりやすく」お伝えするように、色々な方々が工夫をされていらっしゃいます。まして、“アートエデュテイメント”という耳慣れないことについて、これからお話をしていこうとしているのですから、簡潔にわかりやすく、できれば面白く楽しく、お伝えしていくことが筋です。ところが、“アートエデュテイメント”の肝心かなめのポイントは、「わからないを愉しむ」ことなので、話はやや複雑なことになります。わかったようでわからない、でもその状態が心地よいといった絶妙なバランスを狙わなければいけません。
…と、ここまで読んできて「嗚呼、面倒くさそう。もうこの先は読めないかも」と心配になった方、後10行だけ読んでいただければ、なんとなく「わかる」ようにしてみましたので、そこまでお付き合いくだされば幸いです。
アートエデュテイメントって何?
アートエデュテイメントという言葉は造語です。三つの言葉を組み合わせて、アートの持つ魅力や可能性、何より人生を豊かにするアートの性質を現そうとしたものです。その三つとは
これまで、アートと意識的に関わったという自覚のない方も、学びや娯楽と無縁で過ごした方はいないと思います。学びと娯楽のない人生を送ることは不可能でしょう。実はアートも同じです。アートと切り離されて生きていくことは、私たちにはできない、そんな理解を込めての、アートエデュテイメントなのです。
はい、10行が終了しました。なんとなく「わかりました」でしょうか?
「てんでわからない、で、ほんとは何が言いたいの?」と思ってくださった方、ありがとうございます。最も大歓迎の読者さんです。だって、好奇心がわいたということですものね。実は、人間にはもともと好奇心という性質がDNAに刻み込まれているのだそうです。
私たちは「好奇心」旺盛な人々の子孫?
NHKが以前(2018年)放映した『人類誕生』という番組に、非常に興味深いエピソードが紹介され、今でも印象に残っています。
『我々現代人の祖先であるホモサピエンスは、一度絶滅の危機に瀕した。氷河期である。食べ物が地上で見つけにくくなり、1万人以下にまで激減したホモサピエンスは、これまで一度も食べたことのなかった貝類(海洋生物)を食べることによって生き延びた。現代人は、ホモサピエンスの中でも、この未知なるものに挑戦して生き残った、選りすぐりの「好奇心」旺盛な人々の子孫ということになる。我々の遺伝子のばらつきが人口の割に少ないのも、これを裏付ける証拠。つまり、「好奇心」によって生き延びた祖先のDNAを、我々は強く受け継いでいる』
どうでしょう、面白いエピソードですね。私たちは本来「未知なるもの/わからないこと」に関して、とても前向きな特質を持っているということになります。スマホが振動すると、どうしても確認したくなってしまうのも、行列や人だかりを見ると、何が起きているのか覗きたくなるのも、全て、私たちの好奇心のせいです。そして、この好奇心はアートの源泉であり、誰もがアーティストであることの原動力です。
アートが自分とは無縁?
冒頭の《にわとり》の絵は、いかがですか? いかにも子どもの描いた絵って感じですよね。実はこの「作品」、私が小学校一年生の時に描いたものです。実家の整理の際に出てきて久しぶりに眺めてみましたが、当時のお絵描きの楽しい時間が思いだされました。幼い頃に、「落書き」をして楽しむことは、誰もが経験していると思います。自分の見たもの、聞いたものへの関心はもとより、手(身体)を動かして、頭の中のものを表現していくという行為・体験そのものへの面白さが、そこにはあります。では、なぜ大人になると、私たちはアートを学んだり、楽しんだりすることが難しくなっていくのでしょう? アートが自分とは無縁のものと思うようになってしまうのはどうしてでしょう? アートエデュテイメントという視点でこれから掘り下げていきたいなと思います。
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