「先生、どうして勉強しないといけないのですか」への私の答え

お久しぶりです。
私立の高校で教師をしています咲希です。

「どうして勉強しないといけないのですか」

そう思っている生徒は大勢いると思います。

もし生徒からそう聞かれたら
「勉強したくないなら別にしなくてもいいんじゃないかな」
と答えます。

彼らはきっと勉強する意義を知りたいわけではなく、
今やっている勉強に意義などないことを確かめたいのだと思います。

生徒だけではなく多くの人が「勉強」の概念を非常に狭く捉えている気がします。

「勉強」とはテキストを開いて問題を解いたり、仕事の業績を上げるために難しい本を読んだり、試験の対策をしたりすることだと思っています。

そんな「勉強」に意義を見出せない人がたくさんいても当然です。

その結果手に入れられる地位や達成感や優越感は、手に入れられれば更にもっと欲しくなる際限のないものです。
それを求め続けた先にあるものは、もうこれ以上は手に入れられなかもしれない不満や不安かもしれません。

それを見据えて虚しくなる人がいても仕方ないと思います。

私はそんな狭い勉強は別にやりたくなければしなくて良いと思っています。
たとえ入学試験を控えた学生であってもです。

私は生きていて経験すること全てが勉強だと思います。
ゲームを朝から晩までやっていても、授業をサボって友達と話していても、そこで感じる全てが勉強です。

それらをちゃんと学びにするためには、そこで感じたことに自分が「気づく」ことが大切です。

ずっとゲームをやっていたらなんだか疲れるな、とか。
なんとなく散歩をしていたら気分が良くなったな、とか。

小さなことでも新しいことに気づけたらそれは大事な勉強です。

子供でも大人でも、自分のことに気づけない鈍感な人が多いような気がします。

自分のことよりも他人のことの方が気になって、自分は本当は嫌だったり意味を感じていないことでも無理して頑張っている生徒が多いです。

そのうち本当は自分が何をしたいのか分からなくなって、そこらじゅうにある大事な勉強が疎かになっています。

そんな状況を改善したくて、私は教師として生徒のやることに対して明確に評価を下すことは最小限にしています。

たとえ評価をしたとしても「まぁ仕事だからやってるけど、あまり気にするな」と伝えたいです。

私たち教師がどう評価するかよりも、生徒自身がどう感じるかに集中して欲しいからです。

たとえば教室全体がちゃんと授業をやる雰囲気になっていたら、数人の生徒が寝ていようがあまり注意はしません。
声をかけることはありますが、叱ったりはしません。
寝ていることが悪いことだという私の評価を伝えないためです。

試験の点数が低いことも、こちらの主観はあまり含めずにただありのままの状況を伝えることにしています。
その点数をどう評価するかは本人に任せています。

私のことを「甘い先生」「何もしない先生」という人もいるかもしれませんが、これが生徒たちの個性を引き出す方法だと信じています。

教師や一般常識が下す評価よりも、本人が決めたことが一番本物だと思います。
だから、自分に素直になって欲しい。

自分が良いと思うことは良いこと。
嫌だと思うことは良くないこと。

意外とそうやって自分たちで自由にやらせた方が、問題行動は減るような気もします。

大人の私たちも学生時代にやっていた狭い意味での勉強からはもう自由になって、自分の心に素直になって良いと思います。
素直な心で触れたものは何であっても勉強になります。

教師をやっているといつも大事なことに気づかされるので、私も毎日勉強できています。

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