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【短編小説】どうしようもない僕は、風船を取ってサンジになった

気がついたら自分の家の近くまで来ていた。

どこをどう歩いて来たのか、全く記憶がない。

記憶があるのは、先ほど喫茶店で彼女から「別れましょう」と言われたところまでだ。

ショックすぎて、茫然とただ歩き続け、家の近くまで辿り着いてしまった。

別れを告げられる理由ははっきりしていた。
僕は今年で28歳。転職は12回。
こんなに仕事の続かない、根気のないやつとよく3年も付き合っていたと思う。

彼女からははっきり言われていた。
「次の仕事、1年続かなかったら、別れたい」と。

結果、僕は3日で職場から飛んだ。

不動産の営業。ノルマ営業のノルマを言い渡された時点で、僕は飛んだ。
諦め癖が高じて、今では挑戦する前から諦めてしまう。

結果、仕事も失い、最愛の彼女も失ってしまった。


家の前の公園を歩く。

公園では、幼稚園生くらいの男の子が大声で泣いていた。

あの子も何か辛いことがあったのだろう。

気がついたら僕は男の子に声を掛けていた。

「どうしたの?」

男の子は、目を赤く腫らしながら僕に言った。

「風船がね、飛んでっちゃったの」

男の子は空を指差す。

少年の指先を追ってみると、木の枝に赤い風船が引っ掛かっていた。

「あー…あれはもう諦めるしか…」

途中まで言って、僕は自分の発しようとしていた言葉を飲み込んだ。

また僕は挑戦する前に諦めようとしている。

また同じことを繰り返すのか。

また僕は全てを失うつもりなのか。

弱くて情けない自分が出てくる前に、僕は男の子に向かって言った。

「お兄さんが取ってあげるよ」

男の子は、涙を拭いながら、じっと僕の目を見つめていた。

取ってあげるとは言ったものの、物理的に届く高さではない。

ジャンプをしてみても、風船の紐までの距離は1mはある。

(三角飛びだ…!)

僕は閃いた。

キャプテン翼の若島津くんがやっていたような、三角飛びをすれば届くかもしれない。

ジャンプをして、木の幹を蹴って、さらに高く跳び上がるという作戦だ。

先程より少し長めに助走を取り、僕は木の幹に向かって、左足でジャンプをした。

そして、右足で木の幹を捕らえ、視線を風船に向け、力いっぱいに跳び上がった。

結果、僕の指先は風船の紐に全く引っ掛からず、僕は背中から地面に落ちた。

「痛ってぇ〜…」

強打した背中をさすりながら、僕は何とか起き上がった。

男の子は既に泣き止んでいた。
そして、木を蹴って背中から地面に落ちたおじさんを、ポカンとした顔で見ている。

(諦めたらダメだ…!!)

自分を奮い立たせ、僕はもう一度三角飛びを試みた。
しかし、また風船に手は届かず、背中から落ちた。

再び立ち上がり、僕は何度も挑戦をし続けた。

いつの間にか辺りは暗くなっていた。

男の子はもうだいぶ前に帰ってしまっている。

木の周りには街灯もなく、夜の暗さで風船も見えなくなってきた。

(明日にしよう)

その日、風船を取ることは諦めて、僕は家に帰った。


翌朝、僕は7時に起きて、昨日の公園に向かった。

木の枝には、昨日と同様風船が引っ掛かっている。

僕は昨日と同じように、三角飛びで風船を取ろうとする。

しかし、何度やっても、風船に手が届くことはなかった。

挑戦3日目。

なぜ届かないのかをひたすら考える。

そして辿り着いた結論が、

“もう一歩増やす"

であった。

僕は今、左足で地面を蹴り、右足で木の幹を蹴り、最高到達点を上げている。

これを、左足で地面を蹴り、右足で木の幹を蹴り、そして左足でもう一度木の幹を蹴れば、更なる最高到達点を迎えられるはずだ。
木を駆け上がるようなイメージだ。

今までよりもさらに助走を長く取り、僕は木に向かって走り出した。

まず左足で地面を蹴る。

そして右足で幹を蹴り、そのまま木の幹を駆け上がるように、更に左足で幹を蹴り、風船に向かって跳び上がった。

ぴんと伸ばした指先は、風船の紐を捕らえた。

(やった…!!)

紐を引っ張り、風船を枝から引き離した。

そしてそのまま、僕は背中から地面に落ちた。

「痛ってぇ…」

背中の激痛は2秒で吹き飛んだ。
風船を捕らえられた喜びの方が大きい。

ただ、この風船の持ち主であった男の子は、
もう3日前に帰ってしまっている。

僕は、掴んでいた風船の紐を放した。

風船は高く高く空へと飛んでいった。

そして、僕は再び木をじっと見つめる。

(もっと高く…)

いつの間にか、僕は風船を取ることが目的ではなく、
より高く跳ぶことが目的になっていた。

僕は木に向かって走り出した。


そして、


1年が経った。


***

「あっサンジだ!サンジが来た!」

「わーサンジだ!!かっこいいなー!!」

公園に現れた僕を、待ち構えていた大勢の市民が歓声で迎える。

黒いスーツに身を包み、髪は金髪、グルグル眉毛、そしてタバコをくわえながら僕は登場した。

「サンジー!!いつものやってー!!」

市民が声を揃えて僕に向かって叫ぶ。

「おっけー!!」

僕は公園の木に向かって走り出した。

そして左足で地面を蹴り、木に向かってジャンプをする。

続いて右足で木の幹を蹴り、

また左足で木の幹を蹴り、

また右足で木の幹を蹴り、

左足、

右足、

左足、

右足、

そのまま木の側面を駆け上がった。
僕は全長5メートルはあろう木を、てっぺんまで駆け上がった。

そして、木より高く跳び上がり、地面に着地をした。

「サンジー!!かっこいい!!!」

歓声に包まれる。

僕は、風船を取ったあの日から、毎日、より高く跳び上がる挑戦を続けていた。
1年間で僕は遂に、地面を走るかのように木の幹を駆け上がることができるようになった。

そして、その姿を見た近くの小学校に通う小学生が、僕のことを“サンジ”と呼ぶようになった。

木の幹を駆け上がる僕の姿が、人間離れした脚力で空気を蹴りながら飛んでいく『ONE PIECE』のサンジの姿と重なったらしい。

「公園にサンジがいる」という噂はすぐに市内に広まり、今では大勢の人が公園まで足を運んで僕を見に来るようになった。

僕も僕で、オーディエンスの期待に応えるように、髪を染め、眉毛を整え、タバコを嗜み、できるだけサンジに寄せていった。

サンジは今や街の人気者だ。

この間は、近所のマンションで火災があり、僕はマンションの壁面を駆け上がり、5階に取り残された子供を救出した。
その姿は夕方のニュースでも取り上げられた。

「サンジ!サンジ!サンジ!」

大歓声に包まれながら、僕はオーディエンスの前に、空の木箱を差し出す。

「よろしければお気持ちを」

オーディエンス達は、木箱の中にどんどんお金を入れてくれた。

僕は、今“サンジ”で食っている。
“サンジ”が僕の仕事だ。

お金を入れてくれた人達一人一人に感謝の弁を述べていたところ、人の群れの中に見覚えのある女性を見つけた。

1年前に僕をフった彼女だった。

彼女はゆっくりと僕に近づいて言った。

「ニュース見たよ。あなたがサンジだったのね」

恥ずかしかった。あれから就職もせずに、僕は今こんなことで飯を食っている。

何も言い出せない僕に、彼女は続けて言った。

「1年間、ちゃんと仕事続けられてるんだね。やればできるじゃん」


僕は、タバコをもみ消し、人目も憚らず、彼女を強く抱きしめた。

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