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「また」 「うん」

『今日は夫の家族と一緒にご飯を食べます。今年も楽しく聞かせてもらいました。ありがとうございます。名古屋雪が降ってます。そちらから見えますか?』

「ほんと?降ってる?もう降ってる?あんまり見えない?え、もう降ってる?」

ラジオのナビゲーターが、リスナーからのメッセージを読みあげながら、窓の外にちらつく雪に驚いている。そんなに驚かなくても、なんて思いながらカーテンを開けると本当に雪がちらついている。先週からの天気予報が、年末年始の年越しのタイミングは記録的寒波がやってくると伝えていた。報道でも年末年始の移動は気をつけてと、毎日毎日伝え続けていたし、それを見た母から名古屋でも寒いんだからと、電話で言われたのを思い出した。

年末年始を名古屋で過ごすのが久しぶりだし、名古屋で雪降るのも久しぶりだし、帰れないのに雪には出会うんだななんてぼんやり思いながらラジオに耳を傾けた。

メッセージを送るリスナーも、メッセージテーマを伝えるナビゲーターも、こぞって今年の振り返りの話をしながら残り数時間の2020年の終わりを追いかけている。今年は帰省できないので、しばらく会えてないけどしょうがないと思うし、1人で過ごすので暇を持て余しそう、いつも父が作るお雑煮を食べられないので寂しいです。

コロナ禍に巻き込まれた人たちのメッセージが耳に流れてくるたびに、こんなにも同じ境遇の人たちがいるんだなと、つい感心してしまう。


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1週間ほど前、母に今年の年末年始は帰れないと、電話で伝えた。やっぱり無理だよねばあちゃんも心配してるし。電話の向こうで細く呟いた母が、唐突にばあちゃんがもうすぐ抜歯の手術をすることを話してきた。90歳を過ぎているのに自分の歯が2本も残っていて、数週間前から痛み出してどうにもならなくなったので抜くことになったそうだ。全部入れ歯じゃなかったの?素直にびっくりしながら、いつものように止めどなく話し続ける母の声を聞いていた。

名古屋で何年かぶりに1人で過ごす年末、母は山形でばあちゃんと2人で過ごすことになる。山形は今年も雪が積もり、やっぱり雪かきをしないといけないくらいには積もっている。

縁側の雪囲いってどうしたんだっけ?屋根の雪下ろしはどうするの?お歳暮でもらったやつは食べきれないだろうから送ってね。なんかやることなくて暇じゃない?紅白は録画しといてくれたら帰った時に見るから。

タイミングを逃すまいとこちらも話を遮って割り込む。そのたびに母は1つひとつ脱線しながら教えてくれる。脱線のところどころに、ため息が混じるのが耳に残る。今年は例年以上に母やばあちゃんと電話をしたけど、電話するたびに疲れているのが深くこちらに届いている感じがしてつらかった。以前はこっちが止めるまで話続けて大変だったのに、今は一歩一歩振り向きながら呟いている。そのせいで、こっちが割り込むことが多くなって、電話の通話時間も短くなった。


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11月に正月の帰省をどうするか迷っていると母に相談したとき、ばあちゃんと電話をかわってもらった。ばあちゃんは相変わらず元気だとか寒くないかとか米まだあるかとか、こっちの心配ばかりしてくれていた。寒くないしお米はあるから大丈夫だし、ばあちゃんこそちゃんと食べないとダメだよ。そんな話をしている最中に、ばあちゃんは泣き出した。泣きながら、聞こえね、聞こえねと繰り返し母を困らせていた。

ばあちゃん、ちょっと休んでもらうね。ごめんね。

そう母に言われて電話を切った。ばあちゃんを泣かせてしまった。軽率だった。ごめん、ばあちゃん。

以前に聞いた泣き声とは違って、寂しさと戸惑いと、少しの怒りも聞こえるような、そんな声が残ってしまった。一方的な後悔と同時に、帰省するかどうかを迷っていた気持ちがなくなった。一緒にいたい、少しでも時間を共有して、一緒にこたつでみかんを食べながら大変だったね、なんて話をしたい。

その方が、ばあちゃん孝行になるのかもしれない。でもそれも安易な考えなのかもしれない。一方的な後悔が少しずつ焦りに変化し始める中、帰省のための飛行機を予約した。


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今年の5月15日、誕生日前日の15日、父が他界した。あと約1ヶ月で67歳というタイミング。診断は急性心筋梗塞。車の中で倒れているのを母が見つけてから約3時間後には息を引きとるという、家族の誰もが予想しなかった展開だった。

姉から連絡をもらって山形に帰ることができたのは翌日の16日。葬儀会場の控え室で横になる父に、そういえば俺誕生日だったよ、31になったと、そう話しかけるくらいには頭と心がかけ離れて混乱していたようで、全く実感がなかった。この歳で喪主を務めるとは思ってもいなかったから、通夜も葬儀もその後の相続などの手続きも、知らないこととわからないことの連続。

実感を持てないまま、挨拶に来ていただいた方々に母と対応した。2人の姉が葬儀場のスタッフの方々や親族に連絡をしてくれている間に、喪主の挨拶を考えた。俺以上に状況がよくわかっていない甥っ子姪っ子と、夏休みに何して遊ぼうかなんて話をした。来ていただいた住職には、通夜や葬儀での作法や順序や心持ちのありかたを丁寧に教えていただいた。

通夜では父が母と出会う前の話を聞き、火葬場では控え室に向かう最中に膝から崩れ落ち、葬儀では手元のメモに書かれていた話とは全く違うエピソードを話した。

もし、2人の姉がいなかったら、こんなにちゃんと父を見送ることができなかったと思う。ほんと、姉ちゃん達がいてくれてよかった。落ち着かない心を抱えながら、喪主の役割に集中できたのは間違いなく2人の姉のおかげだった。長男だからと、母がどうしてもできないと言っているからと、山形に向かう新幹線の中で姉に喪主を頼まれたときはやるしかないと、背筋が伸びた。真ん中の姉は父の最期に立ち会ってくれて、上の姉は誰よりも母とばあちゃんのそばにいてくれた。ほんと、姉ちゃん達がいてくれてよかった。

全てが終わって家に帰り、みんなが誰ともなく大変だったね、ただいまだねと呟くのを耳にしながらスーツを脱いだ。

座りながら、父と一番仲良くしてくれていたはとこのおじちゃんが「しっかりと見とくんだぞ。お前はまだ喪主をやることがあるんだから、しっかり見送るんだぞ。」と、葬儀前に話してくれたことを思い出した。そうか、もしなん年後かに母やばあちゃんを見送らなければならなくなったとき、そのときは俺がまた喪主なんだ。

俺は人生であと2回、この感情を抱えるのか。

座りながら、生まれて初めて男に生まれたことを後悔した。


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最後に父と話したのは2020年の年始。帰省していた実家から名古屋に戻る日、駅まで車で送ってくれたときだった。車から降りながら「また」「うん」と短く交わしたのが、最後のやりとりだった気がする。口数が少ないところや内向的なところが似てしまった俺と父は、車で2人になっても特に会話することもなかった。

仕事が大変な話も、酒を飲み過ぎた話も、しない。

母の手料理が相変わらずいまいちな話も、趣味の釣りで大きなヒラメが釣れた話も、しない。

そんなところばっか、似てしまった。


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駅に向かうあの日も、気が付いたら雪が降ってたな。もうすぐ着くからとワイパーを動かさなかった父が、結局煩わしそうに動かし始めていた気がする。

「いろんな環境や心境の変化があったと思います。」

ナビゲーターの声に耳を傾ける。

「何より自分自身と、自分の周りの人たちを少しでも楽しませることに時間とエネルギーを使うことができれば、きっとみんながより幸せな新年を迎えることができるのではないでしょうか。」

隣であったかいマグカップを持ちながら話しかけられているような声が、耳に流れてくる。

今年は誰のために過ごしてきたんだろう。そんなことを考えてしまう。大変なことがあった。本当に大変で、そのおかげで母のため息もばあちゃんの涙も2人の姉への感謝も、感じることができた。

こんなに家族のことを考えた1年はなかった。

これから、こんなに家族のことを考える1年はやってくるんだろうか。

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