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アファンタジア日記 〜味、におい、感覚想起と共感性〜

はじめに

さて、今回はアファンタジアとしての、絵と映像イメージではなく、それ以外の脳のイメージ能力について書きたいと思います。

まずは私のスペックを書いておくことにしましょう。

ブリオニア 1980年生 男 アファンタジア
絵と映像のイメージ想起不可
音のイメージ想起可能
味のイメージ想起不可
においのイメージ想起不可
感覚(触覚)のイメージ想起不可

脳内で使えるイメージは聴覚だけという中で、味、におい、感覚が想起できないとはどういうことなのか?
想起欠如に気づいてから、理解したこと、分析したことを書いていきます。

そして、この記事を書いているうちに長年の課題であった共感性の問題についても理解が深まることに…
それについても後半に記載します。

絵や映像だけではなかったイメージ想起の欠如

ことの始まりは1ヶ月くらい前のこと。
紹介の記事でも書きましたが、アファンタジアを研究されている福島大学人間発達文化学類の高橋純一教授へ連絡し、アンケートに協力をしました。

そこで、絵と映像が頭にどれくらい浮かぶか?という質問とは別に、音、味、におい、触った感触(以下、触覚関連はまとめて感覚と記載します)、についても脳内でイメージできるか?という質問がありました。

回答中、私はおバカなので『ん?そんなのできるわけないじゃん?アンケートの正確性を確認するために聞いてるのかな?』と思いながら、概念で認知できる範囲(絵と映像の記事参照)を記載しました。

ところが、メールの返事に驚くことに。

その他の感覚(聴覚以外)につきましては,視覚イメージほどではないけれども浮かびにくい,というのがわかります。

メールより抜粋

まってまってまって、何でイメージ浮かぶ前提で書いてるの?え?どういうこと?
これは、まさかのまさかでは???

このメール、受信したのがたまたま仕事中だったので、私の部下に何気ない感じで聞いてみることに。

私「変なこと聞いていい?私ってアファンタジアだって言ってるじゃん?でさ、絵と映像が脳で浮かばないのは理解してるんだけどさ…味とかにおいって、普通は脳でイメージできるもんなの?」

部下「できますね」

私「できるって、どんな風に?」

部下「えっと…例えば、醤油って言われたら、黒い液体の絵と、しょうゆの香りとか、しょっぱい味とかが頭の中に浮かびますね」

私「浮かぶってどんな感じ、体験と近いの?」

部下「そうですね。完璧ではないですけど、実際に嗅いだり味わったりと近いですね」

そ ん な こ と あ る ?

これ、部下だけかと思って別の仕事仲間にも聞いてみたのですが、

仕事仲間「できますね。梅干しとか想像したら、口の中酸っぱくなりません?あー、すっぺー、梅干しの口になってきた」

確かに梅干しを想像すると唾液は出ますが、私は脳内で味を再現できません。あれれ???

部下には、他にも火をイメージしたら熱さを感じるなど、感覚的なものもイメージできると教えてもらいました。

40年以上生きてきて、また新たな真実を知るのです。
ファンタジアは絵や映像だけでなく五感の全てを、体験と同程度に脳内でイメージできるのだと。

味、におい、感覚の処理を探る

さてはて、理解したからには、脳内でどう処理されているのか、興味が出てきました。
ということで1ヶ月間、様々な知覚について改めて脳内の処理を探ることにしました。

基本的に、脳内の処理は絵や映像と同じく、再現はされていないことが改めて判明。脳内情報にアクセスしている状態を『イメージできていることにしていた』のです。実体験とはまるで別物です。
あ、これ、全然脳内でイメージできてないわ!

この事実がわってから、他人との認知の違いを改めて再認識することに。

ちょっと汚い話ですみません。みなさん、『食事中にトイレの話をしないように』ってマナーご存知ですよね?
私、あのマナーの意味、理解してなかったんですよ。え?何でトイレの話したらいかんの?何が不快なの?って。
それが、アファンタジアを自覚してから、他の人はトイレの映像が脳内に浮かぶから不快なんだと理解してたのです。
しかし、そんな単純な話ではなかった。においも浮かぶなら、不快さは比較にならない!

私は何もわかっちゃいなかった…
ファンタジアは会話でやり取りする情報の解像度がものすごく高いという事実。

私は音が脳内でイメージできるので、他のことがそれと比較して何もイメージできてないことがわかりました。
結局、音以外は脳内の概念情報を感じていると誤認していたのです。

そして気づいた共感性の問題

私は昔から他人に共感できないという課題を抱えていました。ロボットみたいと言われることもありました。

しかし、仕事でマネジメントをすることになってから、それでは駄目ということで、他人に共感する方法を学ぶようになります。

いかに相手の気持ちになるか…ということで、心理学を勉強したり、相手が本当はどう思ってるか本音を聞き出すスキルを磨いたり、ということをしていました。
おかげで、昔より他人の理解度は上がりました。

が、これは理解度だったんですよね。
共感しているわけではなかったのです。

ファンタジアの人達は五感を脳内で再現できるので、会話の中で相手が話した内容を、意味と体験の両面で理解できることになります。
つまり、共感とは文字通り、感覚も共有しているということです。

ただ、妻に聞いたときには「イメージは自動でできるんじゃなく、意識しないとできない」と言っていたので、共感には傾聴(しっかり聞くこと)が不可欠で、ファンタジアの方でもテクニックが必要なようではあります。

が、脳内イメージが共有できない私には、真の意味で他人と共感するのはかなり難しいのでは?と思ってます。

いや、ほんと、こう考えると「他人事みたいに言いますね」とか言われること多いのも納得なんですよ。
脳内で音なら共感できますが、音の共感って感情に繋がりにくいですからね。

身体の感覚がイメージできないのが致命的すぎる。殴られたとか、そういうの自分事として感じられないですからね。

そして気づく、第6の想起不可

この共感性の問題に気づいたとき、もう1つ気づいたことがあります。

もしかして、ファンタジアは感情も脳内想起できるのでは?

いや、これはファンタジア全員ができるという訳ではないかもですが…

この記事で共感性について書いてるとき、ふと『もらい泣きとかはどうやって起こるんだ?』と思ったんですよね。
五感が共有されたからといって、それだけで相手と同じ感情になるとは限らないな、と。

つまり、他の人は感覚と同じように、メンタルも脳内で想起できるから、それで共有してるのではないかという仮説です。

みなさん、悲しいって感情を脳内でイメージできますか?

私はできないです。
原因として考えられるのは2つで、

  1. 感情に紐づく脳内イメージ不足

  2. 感情を脳内でイメージする能力の欠如

1は、他人の話を聞いたとき、頭の中で映像や感覚がイメージできないから感情がわかない可能性です。
ようは脳内の材料不足ということですね。

ただ、今までの流れを踏襲すると、どうも2のような気がしてならないです。特に私は演劇部に所属していたことがあるので、感情が五感イメージによって共感できるというのは、体験的に矛盾があるように思います。
感情、身体より先に反応したりするので。

(私がどうやって演技してたかは、感覚連動の記事を書くときに説明します)

人の脳は本当に不思議なものだなと思います。
この辺は、また身近な人に話を聞いたり、観察してみようと思います。

さいごに

私は、味やにおい、感覚を普通の人が想起できると知ってから、自分の発信する情報の解像度に気をつけるようにしています。

自分がやられてイヤなことは他人にしない

という、しつけ文言がありますが、私は脳内イメージの都合で他人よりも不快に思う範囲が狭いように思います。
そのため、他人の脳内処理をある程度理解した上で情報を操らなくてはいけません。
クソ真面目にやってたら疲れちゃいますね…

ただ、心地良く思う範囲も少ないような…?
脳内感情についても、今後それとなく観察してみようと思います。

さて、今回の記事はここまでにします。
いかがだったでしょうか?

次の機会には、度々記事に書いてる感覚連動について書こうと思います。
単独では脳内に出てこない絵と映像が、出るようになる(出た気になる)脳内処理です。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。
今回は少しまとまりがない感じですみません。

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