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アファンタジア日記 ~『1番好き』がよくわからない、脳内感覚(感情)欠如~

はじめに

絵と映像以外のイメージを脳内で想起できないと知ってから、世の中の見え方がずいぶんと変化してきました。
今日は、そんな中でもある意味一番厄介だと最近感じている感覚イメージがない世界のお話です。

まずは私のスペックを書いておくことにしましょう。

ブリオニア 1980年生 男 アファンタジア
絵と映像のイメージ想起不可
音のイメージ想起可能
味のイメージ想起不可
においのイメージ想起不可
感覚(触覚)のイメージ想起不可

脳内でほとんどイメージできないのですが、逆に言うと聴覚はイメージができるのです。しかも、おそらく、ハイパーファンタジア並みに…
それにより、脳内で特殊な状況を生み出しているようなのです。

脳内イメージとは、再現能力

脳内でイメージが描けない世界。
アファンタジアとして「絵と映像が思い描けない」というのは、今まで人に伝えてもリアクションが薄かったのですが、「味が思い描けない」というのは、ものすごくキャッチーで驚かれることが多いです。

これは、脳内で絵と映像がイメージする、という行為はあまりにも自然なアクションで、それが失われた世界が想像できないからだと気づきました。
味を脳内でイメージできないって、そんなにビックリすることなんですかね?
私は味を脳内でイメージできる方が驚きでしたが・・・

この脳内イメージという表現ですが、最近は『脳内で再現できる』という言い方の方が正しいなと思っています。
映像、味、におい、身体の感覚などを脳内で再現することができる、というのは私にとっては先天的に持っていない能力で、その可能性すら考えたこともなかったのですが、他人は脳内で再現できると知ってから、今までの人生の謎がいくつか解明されています。

その1つが、「1番好きな〇〇は何?」という質問です。

脳内で比較できない難しさ

脳内でイメージが描けず、再現能力が弱い私にとってもっともキツい質問の1つが、「1番好きな〇〇は何?」という質問です。
例えば、「1番好きなゲームは何?」と聞かれてどう答えるか?ということですね。

1番を決めるということは、比較をするということ。
比較とは、何かを比べて、順位付けをするということ。
ここでは『1番好き』ということで、今までゲームをやって感じた好きな気持ちを比較して並び替えなければいけません。

みなさん、そんなこと、できます?
というのが、私の率直な感想です。

私は脳内で音しか再現できません。
脳内で映像を再現できないので、脳内でプレイして感触を再現できません。
ゲームプレイ時の感動や興奮を脳内で再現できないので、感情の再現もできません。

そう、私は『好き』をどの程度感じたのかを脳内から取り出せません。
取り出せるのは記憶だけ。こんなゲームだった、ここは良かった、感動した、という事実は取り出せますが、感情は取り出せません。

このように、私は2つのゲームで感じた感情を、並べて比較できないのです。
ロジカルに点数をつける、みたいなのも考えたことありますが、50点と採点したときの採点基準の感情を思い出せないので、50点の基準を合わせることができず諦めました。

私は音しか再現できないので、映像を伴うもの、感情、味などは脳内比較が一切できないのです。
リアルタイムで比較する場合も、脳内イメージが使えないので一方の感覚が消える前に、もう一方の感覚を味わうしかありません。
食べ物などはギリギリ可能ですが、ゲームやアニメ、ドラマや映画などでは不可能で、比較できないんですよね。

今まではアファンタジアで苦労したことは思いつかなかったのですが、まさかイメージ欠如にこのような欠点があるとは思いませんでした。
私はこれが普通で「1番なんて、決められないじゃん」と思ってたので、他の人が「1番○○は何?」と聞く意味がわかりませんでした。。。

「本音がわからない」と言われるが・・・

これにより、もう1つの人生の謎も明らかになりました。

私は仕事などのとき「本心がわからない」とか「他人事みたい」と言われることが結構あります。
私は割と1つの物事に複数の感想を抱くことがあるので、そのせいかと思っていたのですが・・・この、脳内イメージが使えない、という現象による弱点であると気づきました。

だって、脳内で感情を再現できないんだから、過去にどう感じてたかわからないんですよw
なので、そのときに記憶していた事実を繋いで説明をするわけなのですが、感情がこもってないとか、冷たいとか言われるわけです。

いや、そのときの感情、再現できないから。
わからないって言うのはダメだと思うので、事実ベースで思い出して説明するんですけど、そのときの感情は再現されていないので気持ちがこもらないのでしょうね。

私は記憶している限り真実を話しているのですが、相手はそこから感情を感じることはありません。それは正しいです。感情はわからないのですから。

自分の過去の感情がわからないって感覚、たぶんファンタジアの皆様に理解されないと思うんですよね。
これは、絵や映像を思い浮かべられないことを説明するよりも、すごく難しいでしょう。
今は自分が普通ではないといいますか、マイノリティだと理解できているので、このようなことを言われたもダメージを負うことはなくなりました。

いやー、昔は本当のこと言っても責められるので、すごくつらかったですねぇ・・・懐かしい。

わからない方がいいこともある

今では自分の脳内イメージ力を正しく把握できているので、他人とのギャップの謎が次々と明らかになってます。
もちろん、その中には悪いことではなく、いいこともたくさんあります。

まず、過去と比較しないので数多くのことを楽しめます!

とくに食事なんかは、昔食べたモノの味なんてわからなくなっていますので、「あれと比べると・・・」とか「1番ではないな・・・」みたいに思うことはありません。
(そういうこと言う人の気持ちが理解できてませんでしたw)
美味しいものは、美味しかったモノとしか記憶されません。
みんな並列なのです。おいしいのフラット組織。
それ故に1つ1つの満足感を味わいやすくなります。

感情も記憶はしているけど再現できないので、今の気持ちをダイレクトに感じることができます。
好きとか嫌いとか、序列もなにもありません。
その瞬間、感じたものを、事実として記憶するだけです。
すごい好き、すごい嫌い、すごい楽しい、すごい悲しい・・・
それぞれを、その瞬間に感じるだけです。
事実として記憶しますが、結局は新しい「好き」を感じたときに、それと過去を比較することはないので、過去の体験に惑わされることなく、自分の気持ちをシンプルに知ることができます。

それ、便利なの?
って思う人がいるかもしれませんね。でも、私は便利に感じてます。

正しく知ることの大切さ

私はアファンタジアであり、絵と映像が脳内でイメージできないこと。
そして、絵と映像だけでなく、それ以外もかなりのモノが脳内でイメージできないこと。
それを知ってからの自分の人生はらくちんの連続です。
説明不能な状況、他の人が言う意味不明な言動、それらのうち脳内イメージ力の違いで起きるものが理解できると、不毛な議論をすることがなく、心理的にも楽な気持ちでいられるからです。

いやもう、絵や映像がイメージできないことより、身体の感覚、ひいては感情がイメージできなことの不便さが本当にひどいんですよね。

もしかしたら、同じように脳内で感情を再現できないにもかかわらず、その事実を知らずに苦労している人が他にもいるかもしれないな。
そう思って、今回も記事を書いてみることにしました。

外見とは異なり、脳内のイメージというのは差がわかりずらいもの。
人は自分ができることが、他人も当たり前にできると思い込んでしまうものですから、わからないことがあり得ない、という立場で話をしてくるので苦労することがあります。

でも、いいのです。
自分の感覚や感情がわからなくても、思い出せなくてもいいのです。
それは個性。
そして、その個性が役に立つ場面が必ずあるでしょう。

私は、この個性によって得ているメリットがたくさんあります。
その能力には感謝しかしていないです。
本当にありがとう。自分の脳。

あー、でもやっぱり、脳内でイメージを使いこなせる人生も歩んでみたかったなぁ。
そりゃもう、私から見たら超能力者、魔法使いの類ですよ。
あこがれる、ファンタジーの世界・・・ですね。

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