第一部 MLB「ステロイド時代」について考える
「"野球の華"と言えばホームラン!」
いつの時代も野球ファンにとってホームランは特別な存在ですよね。
私も恥ずかしながら先日の日米野球第1戦にて,ホームランというものを初めて目にすることができました。滞空時間中のグッと息を飲むような雰囲気や,いざスタンドに入った瞬間の腹の底から沸き上がる喜びは現地観戦でしか味わえない特別なものですよね。
昨年,2017年のMLBでは非常に多くのホームランが飛び出し,それまでMLB全体本塁打の歴代1位記録であった5693本(2000年)を大幅に更新する6105本という記録が打ち立てられたのは皆さんの記憶に新しい事かと思います。軍事用追尾レーダー技術の利用などから生まれた『フライボールレボリューション』なるものが爆発的に流行し,その結果が如実に数字として表れました。
ここでMLB全体本塁打数の歴代記録を見てみましょう。
こうしてみると,昨年の本塁打数がいかに異様だったかということが分かります。上位4位の内,3つが直近3シーズン(2016~2018)ということからも,近年のフライボールレボリューションというトレンドの破壊力が伺えますよね。
さて,今回は昨今の本塁打数やフライボールレボリューションの話ではなく,2017年に記録が更新されるまで歴代1位に輝いていた2000年頃のお話をしたいと思います。
ランキングをもう一度見ていただくと
という風に,1998~2004年の記録がズラズラと並んでいます。1998年はアリゾナ・ダイヤモンドバックス及びタンパベイ・デビルレイズがMLBに参入し,28球団から30球団という過去最多の球団数になったため,自然な結果ともとれます。ただ,これらの時代と球団数が変わらない 2005~2015年はこれらの時代より本塁打が少なくなっており,球団数の増加だけでは説明できない事象となっているのも確か。
果たしてこの1990年代後半から2000年代前半のMLBでは一体何が起きていたのでしょうか。
時代を彩ったホームランバッター達
思えば,この時代には名だたるスラッガーが非常に多かったですよね。
その他にもHOU一筋の漢ジェフ・バグウェル,5度の40HRを記録したフランク・トーマス,ATLの黄金時代を支えたチッパー・ジョーンズ,通算612HRのジム・トーミ,呪いのBOSを優勝に導いたマニー・ラミレス,102勝を挙げたOAKの主砲ジェイソン・ジアンビ,3度の首位打者に輝いたラリー・ウォーカー,悪球打ちの天才ブラディミール・ゲレーロ,5年連続OPS1.000超えのトッド・ヘルトン,歴代屈指の打撃力を持った捕手マイク・ピアザ,悪童ゲイリー・シェフィールドなど,数え切れないくらい個性的なホームランバッターがたくさんいました。
特に1998年と1999年のマーク・マグワイア(STL)とサミー・ソーサ(CHC)のホームランダービーは熾烈を極め,日本でもその様子が連日報道されていました。1998年はマグワイア70本 ソーサ66本,1999年はマグワイア65本 ソーサ63本とどちらもマグワイアに軍配が上がりました。なお,ソーサは2001年に64本を記録しましたが,同じナ・リーグに所属するバリー・ボンズ(SF)が73本という歴代新記録を打ち立てたために,キャリアで60本塁打を3回記録するも,その3シーズンでは本塁打王を一度も受賞できないという異常事態が発生。(2000年に50本,2002年に49本を放ち,なんとか2度本塁打王に輝く。)
2017年にスタントンが59本塁打を記録し,話題になりましたが,この時代は60本打ってもナ・リーグ本塁打王のタイトルを獲得できなかったのです。
一方ア・リーグではケン・グリフィー・ジュニア(SEA)が1997年に56本,1998年にも56本,1999年には48本を放ち,3年連続本塁打王の栄冠を手にしていました。そののち,テキサス・レンジャーズと10年2億5200万ドルという当時の歴代最高額で契約したアレックス・ロドリゲスも2001年に52本,2002年に57本,2003年に47本と,こちらも3年連続で本塁打王を獲得。
2018年現在の感覚からすると,グリフィーもA・ロッドも十分な数を打っていたという印象を持つが,当時のMLBファンからすれば「ナ・リーグと比較すると物足りない!」なんて声もあったかもしれませんね。
ただ,この時代を彩った一部のホームランバッターには,ある大きな陰が潜んでいました。
大告発
2005年,ホセ・カンセコという元MLB選手が『禁断の肉体改造』という著書を発表。この一冊がMLBを大きく揺るがすこととなります。
この「ホセ・カンセコ」とはどんな人物なのでしょうか。カンセコはキューバ出身で1985年にオークランド・アスレチックスでデビューすると1988年には42本塁打40盗塁というMLB史上初の40-40を達成。(40-40は彼を含め達成者が4人しかいない。バリー・ボンズ,アレックス・ロドリゲスらもその1人)1986年から1992年にはマグワイアとチームメイトとなり,『バッシュ・ブラザーズ』として名を馳せました。2001年に引退するも通算462本塁打という記録を残した大打者です。
そんな男が出版した本の内容とは一体どんなものだったのでしょうか。
筋肉増強剤「ステロイド」。摂取したタンバク質を細胞内組織(筋肉)に変える働きを有するタンパク同化剤のことで,ドーピングの一種。彼の言うステロイドとは主にアナボリックステロイドのことを指しますが,このアナボリックステロイドは適切な食事摂取のもとに服用すると脂肪を増やすこと無く,筋肉だけを増大させることができるのです。
告発当時のMLB機構はステロイドを含むドーピングに対する考えが非常に甘く,ドーピング検査がようやく導入されたのが2003年のことでありました。2003年当時はドーピングを使用していたと判明しても罰則は一切なく,2004年には5回の違反で1年間の出場停止とする罰則が設けられていましたが,昨今の常識からするとあまりにも軽度なものであり,ドーピングに対する世間からの風当たりも強くなり始めていたのも事実。
そんな最中で暴露されたこの内容は野球界だけではなくアメリカスポーツ界にまで波紋を広げることとなります。
なんと著書には「元チームメイトのジェイソン・ジアンビ,マーク・マグワイア,ラファエル・パルメイロ,イバン・ロドリゲス,フアン・ゴンザレスがステロイドを使用しているところを目撃したことがある」と選手を名指しで公表されていたのです。
というのも,この著書はステロイド使用者に対する告発本というよりも,「ステロイドっていう魔法の薬を俺がリーグに広めたんだぜ!みんなも使おうぜ!」といった趣旨で書かれていたために,カンセコ本人に悪意はなかったようです。
ただ,この告発がきっかけとなり,マグワイア,パルメイロらだけでなくカート・シリング(ARIなど),アレックス・ロドリゲス,サミー・ソーサらまで飛び火し,彼らは2005年3月17日から開かれたステロイド疑惑に関する合衆国下院公聴会に召喚されることとなりました。
公聴会でステロイド使用を否認したパルメイロは,同年8月にドーピング検査で陽性反応が検出され,嘘をついていたことが明らかに。しかもパルメイロはそれが起因となって8月30日を最後に現役引退に追い込まれることにまで発展。(パルメイロは通算569本塁打を記録。MLB史上4人目の「通算3000安打&500本塁打」を達成した大打者。)
サミー・ソーサも公聴会ではステロイド使用を認めなかったものの,2003年のドーピング検査で陽性反応が検出されていたことが2009年に判明することとなります。(この検査精度等については別のnoteで深く取り上げてます)
これにより,1998年と1999年に繰り広げられたマグワイアとソーサのホームランダービーは薬物汚染まみれであったMLBの「負の歴史」として語り継がれることとなったのです。
バルコ・スキャンダル
カンセコの暴露本が波紋を呼ぶなか,MLBではステロイドに関する大きな問題をもう一つ抱えていました。
発端は2003年の夏,全米反ドーピング機関(USADA)に匿名の人物から使用済みの注射器が送りつけられてきたことから始まります。USADAは送られてきた注射器に残されていた物質を検査,残留物の正体が今まで発見されていなかった新たなアナボリックスステロイドであることを突き止めました。(通称クリア。通常のドーピング検査では検出することのできない新種のステロイドであった。)
これがきっかけとなり,大バッシングを受けたバルコの設立者ビクター・コンテは「バリー・ボンズ,ゲイリー・シェフィールド,ジェイソン・ジアンビに運動能力向上薬物を提供していた。」と告発する事態に発展。(MLB選手以外にもNFL・陸上競技選手の名前が挙げられ,米国スポーツの甚大なる薬物汚染が明るみとなった。)
これを受けて2003年12月11日に開かれた連邦大陪審にて,ジアンビがステロイドの使用を認める証言を行いました。ジアンビは2002年の日米野球に参加した際,同じく日米野球に参加したボンズの専属トレーナーのグレッグ・アンダーソンと知り合い,帰米後にアンダーソン氏から渡されたステロイドを2003年まで使用していたと証言。
シェフィールドも2002年に負傷していた右膝にバルコから提供されたクリームを塗っていたことを証言しました。
しかし,この男は違いました。コンテ氏に告発されたバリー・ボンズはジアンビと同じく連邦大陪審に出廷するも,専属トレーナーのアンダーソン氏から提供されたクリームやクリアなどは,「関節炎に効くクリームや栄養補助の薬剤と説明を受けていたため,それを信じて使用していた。」との証言をしたのです。ボンズはその後もステロイド使用の嫌疑にかけられ続けたが,これを否定し続けました。
しかし2007年1月に前年のドーピング検査にて陽性反応が検出されていたことが発覚すると同年11月に偽証罪で起訴される事態となりました。(ただし陽性となったのは筋肉増強剤ではなく,アンフェタミン系の興奮剤であったことは押さえておきたい)
スキャンダルが影響し,2007年にハンク・アーロンの持つ通算本塁打記録を塗り替えた際のTV視聴率はわずか1.1%という結果となりました。
当時『ベーブ・ルースはホットドッグとビールでやってのけた。ハンク・アーロンは上品にやってのけた。(暗に薬物を指して)お前はどうやってやったんだ?』という皮肉の効いた批判も反響を呼びました。
ボンズがステロイドに手を出すきっかけとなったのは,皮肉にも1998年のマグワイアとソーサの本塁打王争いであるというのが通説であります。この年,ボンズは史上初の400本塁打400盗塁を達成するも,世間が先述の本塁打争いに熱狂し,二人の陰に隠れる形となってしました。
人一倍プライドが高く野心家であるボンズは,スピードを捨ててパワーを手にするためにステロイドを使用し始めたと言われており,実際,友人であるケン・グリフィー・ジュニアも1998年のオフシーズンにボンズと食事をした際,ステロイドの使用を開始した旨の話を彼から聞いたというのです。
結果として2001年には73本塁打を放ち,マグワイアが1998年に打ち立てた記録をあっさりと抜きさります。2002年には首位打者,2004年には232四球120敬遠 出塁率.609 OPS1.422というアンタッチャブルレコードを4つも生み出しすなど人知の領域外へ。天才が禁断の肉体改造をしたらどうなるのか。空想科学読本のような疑問への回答というべき成績をのこしました。
ミッチェル・レポート
カンセコの暴露本,バルコ・スキャンダルなどによりMLBのステロイド汚染が明るみに出ることとなりました。これを機に膿を出し切ろうと,MLBコミッショナーのセリグ氏が元民主党上院議員のジョージ・J・ミッチェル氏にステロイド使用の実態調査を依頼。約500名の元選手,550名のクラブ関係者・コーチ・トレーナーなどに聴取を行い,実に409ページにも及ぶ調査報告書『ミッチェル・レポート』が2007年12月13日に公開されました。
この報告書ではステロイド使用者としてロジャー・クレメンス(TOR,NYYなど),アンディ・ペティット(NYY,HOU),ミゲル・テハーダ(BALなど),エリック・ガニエ(LADなど)らの大物選手を含め89名の実名が挙げられました。
この中でもロジャー・クレメンスは通算354勝・サイヤング賞7回受賞(史上最多)という実績を持っていた大選手。1984年にボストン・レッドソックスでデビューすると,最多奪三振や最優秀防御率にも輝きました。しかし30歳台になったあたりから衰えが顕著となり,1993年から1996年にかけては40勝39敗と,本来のポテンシャルを発揮できなくなってきていました。
しかし1997年にトロント・ブルージェイズへの移籍がきっかけとなりトレーナーのブライアン・マクナミー氏に師事,ステロイドを使用し始めることとなったとされています。効果は絶大でこの年は21勝7敗 防御率2.05 292奪三振の成績を残し投手三冠・サイヤング賞を受賞。
クレメンスは後の公聴会にて「注射されたのはビタミン剤であり,ステロイドなどは一度も使用していない」と完全否定しましたが,トレーナーのマクナミー氏がステロイドの投与を明言,その後クレメンスは偽証罪で起訴されることとなります。
(ただクレメンスは『一度も薬物検査によって陽性反応が出たことがない選手』という点では他の薬物使用者と大きく異なると言える)
バイオジェネシス・スキャンダル
カンセコの一件で公聴会に召喚された事もあるアレックス・ロドリゲスは2009年にかつてのステロイド使用が明るみに出るも,「2001~2003年当時,最高年俸選手としての重圧を感じていたため使用してしまった」と謝罪をし,比較的うまく立ち回っていました。
しかし2013年,バイオジェネシス・クリニックからステロイドを含む禁止薬物を購入していたとしてアレックス・ロドリゲス,ネルソン・クルーズ(BAL,SEAなど),メルキー・カブレラ(NYYなど),ジオ・ゴンザレス(WSHなど),バートロ・コロン(LAAなど)らの名前が公表されます。(通称:バイオジェネシス・スキャンダル)
しかもA・ロッドは証拠隠滅のためにバイオジェネシスに金銭を支払っていたと報じられたのです。A・ロッドが自分への嫌疑の目をそらすことを目的に,当時ヤンキースでチームメイトであったフランシスコ・セルベーリの禁止薬物購入情報をあえて流失させたという噂も。
これには流石のMLB機構も激怒し,2014年の全試合出場停止が決まることに。
Aロッドは1993年にドラフト全体1位でシアトル・マリナーズに入団すると3年目には打率.358で首位打者を獲得。1999年には42本塁打46盗塁で40-40を達成し,球界を代表するスーパースターとして活躍。2001年にはFAでテキサス・レンジャーズに入団し3年連続本塁打王に輝きます。ヤンキース移籍後も2度の本塁打王,3000本安打を達成しました。
本人はTEX時代にステロイド使用を始めたと語っていますが,高校時代からステロイドを使用していたという暴露本なども出ており,真偽のほどは不明であります。(ぶっちゃけこれはsource元の高校時代のコーチが否定してるので信憑性はかなり低いかと)
そして,マイアミでバイオジェネシス・クリニックを経営していたアンソニー・ボッシュはホルモン治療の知識に長けた人物であり,薬物提供に留まらず,薬物の量と摂取タイミングを綿密に選手へアドバイスしていました。先ほどの『クリア』同様に,ボッシュの指導によって当時のドーピング検査をすり抜けることに成功していたとされています。(マニー・ラミレスもボッシュから薬物提供を受けていたとされるが,ラミレスが用法を守らずに使用したタイミングで陽性反応が検出されている。)
しかし,ボッシュが従業員と金銭トラブルに陥った際,その従業員が禁止薬物の顧客リストをマスコミに売ったことでスキャンダルが露見することとなったのです。
様々な証言から「マイアミの高校生にも薬物を提供していた」ことや「マイアミ大学のコーチとも懇意であった」ことが発覚。実際,このスキャンダルでマイアミ大学出身のライアン・ブラウン(2011年MVP,2012年本塁打王)も禁止薬物使用者として処分を受けています。。。
「ジュニア」の偉大さ
このように,多くのスラッガーがステロイドに手を染め,のちに「ステロイド時代」と揶揄されるような時期に,ステロイドとは全く無縁であった打者もいました。
その代表格といえばケン・グリフィー・ジュニアでしょう。アレックス・ロドリゲスと同じようにドラフト全体1位でシアトル・マリナーズに入団したグリフィーは1989年にデビューすると1990年には打率.300を記録。その後も本塁打王も4度獲得した大スラッガーです。30代以降は故障に苦しみながら600本塁打を達成し,その自然な衰えが逆にクリーンさを証明したと言われていますよね。かのカンセコも「ジュニアのようなクリーンな男はいない」「彼は常にクリーンだった」と褒め称えたほど。2016年には史上最高得票率の99.3パーセントでアメリカ野球殿堂入りを果たしました。
殿堂入りでいえば今年殿堂入りを果たしたジム・トーミも常にクリーンであったとされています。彼も通算600本塁打を放ち,現役中に殿堂入りを確実視されるほど。
また,日本の誇る天才打者イチローもステロイド時代に筋骨隆々なホームランバッター達を圧倒。ステロイドを使わずとも活躍できることを間違いなく証明した一人でありましょう。
視点を変えれば,ステロイド時代に歴代最高のERA+を記録したペドロ・マルティネスや,4年連続サイヤング賞獲得の快挙を成し遂げた左腕ランディ・ジョンソンも同様に偉大と言えるでしょう。
「ステロイド時代」は悪であるか
多くの選手がステロイドに手を染めたこの時代をどう評価するべきでしょうか。
確かにステロイドによってあのマグワイア・ソーサの本塁打王争いも,ボンズのシーズン本塁打記録更新も,アレックス・ロドリゲスの3年連続本塁打王もアスタリスクがついてしまいます。
ただ,あの頃のMLBをひときわ賑わせ,誰よりも輝かしていたのは間違いなく彼らとも言えます。1994年から1995年のMLBストライキで生じた観客離れを呼び戻したのも間違いなく彼らなのです。
また,カンセコが暴露本にて話した「MLB選手の85%がステロイドを使用している」というのが本当であれば,ボンズ達だけをバッシングするのもおかしな話と感じますよね。
ボンズでいえば,オルティスに「仮に彼がステロイドをやっていたと認めても,ホームランの価値が損なわれるとは思わない」と言わせるほど選手達の間では”ステロイドを使用していたからといって簡単にホームランを打てるわけではない”とボンズを擁護する意見が多いです。
決してステロイドの使用が許される訳ではないですが,ボンズらが薬物を摂取していたとされる2000年前後は,まだ筋肉増強剤はMLBの禁止薬物に指定されてはおらず,筋肉増強剤を使用することにルール上は何も問題はなかったこともまた見逃せない事実。
”「ステロイド時代」は悪であるか”という問いに対しては「この時代だけを切り抜いて判断すれば間違いなく悪であるが,MLB全体の歴史からみればこれもまたMLBの発展に必要不可欠な時代であった。」と回答したい。
最後に
ドーピング規定が非常に厳しくなり,規制が強化された現在でもロビンソン・カノーなどのスター選手が処分を受けるなど,まだまだ禁止薬物使用の根は深いです。果たして「ドーピング時代」は過去の話なのか,今後も機会があれば掘り下げていきたいテーマです。
最後まで読んでいただき,誠にありがとうございました。
<この記事の続編はこちら>
2023年追記:本noteは自身初投稿であるが故に「文献未記載」「引用元不明記」といった点で信憑性に欠けるものであるため,参考情報程度としてください。
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