魔女マリー・ド・アスティコット(蛆虫のマリー)
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魔女マリー・ド・アスティコット(蛆虫のマリー)

魔女達のユーモラスな物語

■マリー・ド・アスティコット(蛆虫のマリー)
フランス出身

ジャンは、とても人から愛される日雇い耕作人(ジョナリエ)だった。
持っている財産は馬小屋の様な家と、
ニンニクで作ったお守り位なもので(牝鶏七羽と交換して手に入れた)、
子供の頃、プティット・エコール
と呼ばれた学び舎に行く暇すら親から与えられなかった彼は、
学識なども全く持っていなかったが、
誰の話でも真剣に聞く優しさと、他人の気持ちを理解し、
それを慰められる繊細さを持っていた。
何より、彼の一番の財産は、
自分の身すら滅ぼしてしまうのではないか?
という位の誠実さだった。
彼の純粋さ、優しさの前では、
村一番の自信家で荒くれ者の
物盗りレイモン(有名な極悪マザ家の長男)すら、
自分を恥じ、その振り上げた拳を下げる程であった。
そして、そんな彼には、あの非道の魔女マリーですら心を開いた。
彼女は、ある田園で
深夜に廃屋となった古い教会の十字架を全てへし折っている時に、
そこで次の仕事の為に一夜を明かそうと、
味気無いふすまを食べていたジャンと出会い、
恋に落ちたのだった。
その後、程なくして二人は夫婦となった。
マリーはジャンにだけは心を許し、
今まで繰り返してきた偉大な悪事も少し控えようと思っていた
(少なくとも彼が見ている前では)。
ジャンの方も、彼女が魔女である事を全く気にしなかったので
(それどころか二人が出会った時、一緒に十字架を折る手伝いすらした)、
二人の夫婦生活にはそれ程の問題は無かった様に見えた。

とはいえ、二つのささいな問題を夫婦は抱えていた。
それはジャンに似つかわしくない程に、
頑なに彼の中に存在している奇妙な信仰だった。
彼はキリスト教徒でありながら、月を信仰していた。
驚いたマリーが
「お前さんは、異教のいけ好かない
月の女神でも信仰してるのかい?」
と聞くと、
「いいや、マリー。
俺はお月さんだけを信仰してるんだよ。
女神さんだとか、十字架だとか、福音の抗議だとか、
そういう難しいもんは俺にはわからんが、
あのまあるい月を神様のお顔だと思っているのさ。」
と彼は答えた。
「そんな馬鹿な話ってあるかい?
わたしゃ、沢山の魔女や、異教徒の知り合いがいるけど、
そんな神様の話は聞いた事がないね。」
とマリーは笑った。
しかし、彼はその月への畏敬を持った奇妙な信仰だけは、
頑なに譲らないのだった。
「いいや。
お月さんは、ただそれだけで神様なのさ。」

もう一つの問題は、
村の神父であるベッケライと、マリーが犬猿の仲だという事だった。
神父は、ジャンが、
近隣の村を荒らしまわっている
アラスのアベッ・ディ・カラヴォトゥ出身の
邪悪な魔女マリー・ド・アスティコット(蛆虫のマリー)と
結婚すると知って、大反対した。
しかし、ジャンはその事に関しても頑なで、
あまり事を荒立てると騒ぎは大きくなり、
ジャンの身にも危険な事になるのは明白だった。
ベッケライ神父は、昔、教会が大火事になった時に、
多くのキリスト教徒達が尻込みする中、
ジャンが炎の中に飛び込んで、
神父だけでなく、愛犬の命まで救ってくれた事をいつまでも憶えていて、
ジャンの幸せを誰よりも願っていたので、
彼が騒いで、この問題が大騒ぎになる事は望んでいなかった。
そういう事情があって、神父は二人の結婚を
承諾せざるを得なかったのだ
(ジャンの頼みを断り切れなかったというのもある)。
とはいえ二人の結婚後も、神父とマリーの相性は最悪で、
マリーは教会の前に通るたびに腐った卵や、
ミドリヒキガエルの卵を教会の扉に投げてぶつけたし、
神父の大事にしていたフォルテピアノも
ある日、バラバラに壊してしまった。
神父の方も、何度もジャンの下を訪れては
「友よ。今からでも遅くないので、
田園の娼婦との暮らしを考え直すように・・」
と進言した。
「なぁ、邪悪というものは
清らかな魂すらも蝕んでしまうものだ。
お前さんは悪しき習慣に誑かされている。
私はお前さんには全く返し切れない恩があるからね。
おまけに私は、
ああ、お前さんの事が憎めないんだ。
つまりそれは、
地獄に堕ちて欲しくないと思っているという事さ。」
しかし、それに対してジャンは
困った様に微笑み、言った。
「あんたはドイツ人だという事で、
最初、村の連中から不当に扱われたけれど、
それでも立派な神父さんだったじゃないか。
それがわかったから、今では誰もあんたを余所者扱いなんてしない。
マリーも、魔女である前に、彼女はただ彼女なんだ。
それをさ、あんたにもわかってもらう日が来ればなぁ・・・。
それに俺だって、キリスト者としては失格じゃないかね?
あんたも知ってる通り、
なんたって俺が一番に思っているのは
十字架の上のお方じゃなくて、
森の上のお月さんなんだからなぁ。」
神父は顔を曇らせて言った。
「お前さんのその信仰だがね。
あまりにも素っ頓狂なもんで、みんなただ笑っているが、
あんまり大きな声で言っていい事はないと思うね。
第一、ありえない。
そんな神は存在しないんだから。
妄想の話をするなんて無茶苦茶だよ、ジャン。」
「神父様、あんたも結局の所、マリーに似ているな。
彼女も同じ事を言うんだ。」
そう言ってジャンは笑った。

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それから何年か経ち、
ジャンは元々持っていた持病がどんどん悪化して、
寝たきりになってしまった。
多くの村人がジャンを心配して駆けつけた。
中には魔女マリーの噂を聞いて
「邪悪な彼女が彼の心臓に泥を塗ったのだ!!」
と言う者もいたが、そういう心無い者すら、
純朴なジャンを傷つけるのは辛い事であったので、
自ら口を閉ざすのであった。
そんな中、ジャンの症状は悪くなるばかりで、
ついに、どうにもいけないという状態になってしまった。

そんなある夜、マリーと神父だけが
苦しむジャンの側に残った。
神父は言った。
「友よ。今からでも遅くはない。
信仰を悔い改め、終油の秘跡を受けるべきだ」
するとマリーが言った。
「ふざけた事を言うんじゃないよ、ラテン語の糞野郎。
私の妖術でこの人を看取ってやるさ。
その為に、ヒキガエルを何匹集めて来たと思ってるのさ。」
するとジャンは言った。
「いいや、俺はキリストさんの秘跡も、
まじないも、受ける気はないよ。
どうやら俺はもう駄目みたいだね。
お前さん方、最後に一つだけ
俺の頼みを聞いてくれないかい?」
マリーも、神父も、これには慌てて言った。
「ああ、お前さんには返しきれない恩がある。
出来る事ならなんでもするさ。」
「ああ、ヒキガエルを合唱させるという事に関しては、
私の右に出る者はいないからね。
大会で肥溜めスペイン女の奴を負かしてやった時は、
せいせいしたものさ。」
ジャンは首を振って言った。
「いや、俺の頼みはもっと控えめなものさ。
マリー、二人共、
そこの豆袋を破いて羽織り、俺を外に運んでくれないか?
お月さんが俺を迎えに来る。
それが俺の葬儀となるだろう。
これが俺の人生の儀式なんだよ。」
「い、いや、それは・・・。」
マリーが言った。
「言ったろ?それは儀式じゃない。
そんな信仰も、秘儀もないし、
そんな神は何処にもいやしないのさ。
魔女の私が言うのだから間違いないよ。
残念だけど・・」
神父も言った。
「魔女共のまじないは呪われている。
それは腐った豚の死骸の様なものだ。
だが、君の素っ頓狂なその空想の産物は・・、
その・・、
ただの君の妄想に過ぎない。」
するとジャンは微笑んだ。
それはマリーが唯一心を許してしまった人間の微笑みであり、
神父が一生返せない借りがあると認めた、
どうしても逆う事の出来ない人間の微笑みだった。
「マリー、君は君が言う様に偉大なる魔女だ。
それを自分で言い切る君や友人達の性格を
俺は素晴らしいと思う。
そして、君のその竈の妖術や、
薬草のまじないの知識に関して、
俺なんか全く歯が立たない。
それはもう、俺なんて
何にも知らない無学な百姓なんだから。」
「いや、そんな事は・・」
マリーの言葉を遮ってジャンは続けた。
「ベッケライ、
あんたのその信仰心は素晴らしいし、
教会の言う事っていうのも、
もっと真剣に聞いてみようと思うよ。
大勢の者が祈りを捧げるその聖書には何かあるんだろうね。
そうに違いないからね。
でもね、二人共。
これは、ただのちっぽけな百姓の人生なんだ。
知識もない、伝統もない、
ただの個人の物語なんだよ。
でも、世の中っていうのは、そういうちっぽけな者達が集まった、
結局の所、ちっぽけな世界なんじゃないか?
そこに真実はないのかい?
俺は小さい頃、哀しい事があると
夜に家から飛び出して外に出た。
魔女みたいに箒で空も飛べないしね。
この世の中はなんて残酷で、なんて恐ろしいんだ。
何よりもなんて真っ暗なんだと思ったもんだ。
でもある時、巨大な月の中に俺は見た。
ああ、そこに俺は何かを見たんだ。
なぁ、救いなんて、
そんなもんじゃないか?」
神父は、ジャンがもういよいよ長くない事を悟って、
しばらく考えてから口にした。
「何度も言うように、
私はお前さんに命を救われたんだ。
それは多分、借りがあるって事だな。
だけどそんな事、本当はどうでもいいんだ。
お前さんの誠意とやらが、
この私の人生をおかしな事にしちまったって事なんだよ。
お前さんに最後の願いがあるというのなら、
俺はそれを叶えてやる。この魔女と共にだ。」
マリーは言った。
「いけ好かない神の犬。
私の行動を決めるでないよ。
私は私の意志で物事を決める。
だから、これが夫の願いだというのなら、
私のまじないの不甲斐なさの代わりに、
その謝罪として叶えてやるよ。」

そこで二人は豆袋を破り、それを羽織って、
まるで陳腐な即席ミサの参列の様に、
ジャンを二人で持ち上げ、
あばら屋の外に運び出した。
そこで二人は見たのだ。
恐ろしい程に真っ赤に輝いている月を。
その見た事のない月のあまりの輝きに
二人は茫然と立ち尽くしてしまった。
その時、ジャンは言った。
「どんな信仰も本当になる事もある。
俺の為にあんたら二人は、よく俺をここまで運んでくれた。
俺の信仰を真実にしてくれてありがとう。
俺はあんたら二人を救えただろうか?」
二人は月からようやく目を離して、
足元で寝ているジャンを見ると、
そこにジャンはいなかった。
彼は消えていた。
二人は茫然と顔を見合わせた。
月はもう、いつも見慣れたただの白い姿になっていた・・。

それから何年経ってもジャンの行方はわからないままだった。
「月が連れて行ったのだろう・・・。」
悲しい顔で、らしくない事を言う神父に、
マリーは毒を吐かなかった。
その日以来マリーは、神父の教会にだけは
呪いをかける行為をしなくなった。
神父も、蛆虫のマリーの悪事にだけは何も言及しなくなった。

その後、二人は人生の中で
3回だけ顔を合わせて対話する機会があった。
だが、以前の様に相手を心の底から憎んだり、
軽蔑し、罵ったりする何かが二人の中からは消えていた。
彼らは、あの夜の出来事を生涯忘れる事は無かった。
神父は教会の子供達に、マリーは酒宴で仲間達に、
それぞれ話すべき時に、こんな話をした。
「この世には、私達がどんなに偉大な権威や体系を作り上げた所で、
それでもまだ計り知れない真実がある。
そして、どんなに聖書や呪詛が偉大だったとしても、
それが敗北する事もある。
そんなものを取り崩すには、
純粋な人間の誠実さ一つあれば十分なのだ。」



スペイン・オペラ楽団「墓の魚」
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