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魔女カルタ

■■■あるドイツのサバトでの会話■■■

**グローデンフェルト神父**
娘よ。
お前のその目の玉。
入れたり、出したり、
取り外しがきくとはな。
そんな器用な事、何処で覚えた?
夜に教会の灯(ランタン)を
消しに来る様な連中は幾人も見てきたが、
そんな芸を披露する魔女など初めて見る。

**カルタ**
なんだ?
夕暮れにドーフシュタス(路地)の辺りを
ウロウロしている奴がいるなと思っていたら、
ついには、こんな所まで迷って来たのか?
随分と奇怪な影を背負って、
魂(のど)にヒキガエルが数匹、
へばりついてるんじゃないか?

**グローデンフェルト神父**
いや、私の事は心配無用だ。
影を背負う者は、影の世界に出会うもの。
それに、私の魂にへばりつく者は、
蛙ではなく、蛆の死骸だよ。

**カルタ**
お前さんの言う魔女なんて連中は、
どうせお山の霊のご機嫌取りに
ドアノブを磨く様な奴らの事だろう?
そういう連中の事は、私だって知らない。
私の目玉が取り外せるのは、魔女の妖術なんかじゃない。
これは淘汰の亡霊なんだよ。

**グローデンフェルト神父**
淘汰の亡霊?
興味深いね。
ますます、この泥の様な色のシチューが
美味く啜れそうじゃないか。
お前さんのその奇妙な芸当の話を
詳しく聞きたいものだね。

**カルタ**
つまり、元来、多くの者が私の様に、
目玉を取れ外せていたかもしれないという事を
私は言いたいんだ。
なんたって便利だし。
そうなっていてもおかしくはなかったね。

**グローデンフェルト神父**
なぜ、そうならなかったんだろうね?

**カルタ**
そりゃ、蠅蛆症(ミアシス)の旦那。
人間共が進化(アウスヴァール)したからさ。
いや、人間だけでなく、あらゆる動物が進化している。
殺して、捨てて、喪失して、進化せざるを得ないのさ。
おいおい、旦那は、まさか進化というものが、
財産の蚤の市などと思っちゃいまいな?
大間違いだ。
自然界は弱者を淘汰し、強者が生き残ると言う者がいる。
だが、実を言うと、
それらはもっと残酷で、偶然の賜物でしかないんだよ。
我々は望んだものを得ている訳ではない。
ただ、喪失しているのだ!!
我々は残り滓だ!!
そして、偶然ここに集まってるに過ぎない。
おお!!かつて素晴らしいものが世界には溢れていた!!
あらゆる可能性を世界に生きる者達は秘めていたのだ!!
だが、ほんの些細で残酷な偶然によって、
素晴らしい生命達は死んでいった。
ある獣は空を飛べる可能性を秘めていたが、
偶然、疫病が流行り、それっきり絶滅してしまった。
また、ある鳥は聖書を読む力を持っていたが、
たまたま格別に寒い冬がやって来た年に、
いなくなってしまった。
そうして、素晴らしいもの、
無限の可能性を秘めた者達は、
幾度となく重なりあった偶然により消えてゆき、
その度に、この世は
可能性が限定されたつまらないものになっていったのだ。
それが今、ここにいる我々。
すなわち現実だ!!
この世界とは残り滓なんだよ。
ああ!!無限にあった可能性の残り滓に過ぎないのだ!!

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**グローデンフェルト神父**
なんと、奇妙な話だ!!
しかし、沼地に落ちた哀れなキツネが
翼が欲しいと神に願い、
そうして翼を獲得していった、
という話を聞いた事はないか?
身の丈に合わぬ願望こそが進化のきっかけではないかね?
ところが、ここにいる我々は、
たまたま生き残った惨めな可能性の残骸で、
それは神の意志ではないとお前さんは言う。

**カルタ**
やめてくれ!!
神の意志など、気安く語るな。
そもそも、世界の数々の摩擦に神の意志を見るのか?
なるほど、坊主はそうなのかもしれん。
しかし、神の意志とは、
生じたり、滅したりする物理そのものではなく、
その結果の世界に、乱暴に放り出された
我々魂の選択の先にこそある。
そういう内部の魔術と、外部の淡々とした老朽を
一緒に語るのは行き止まりの道ではないかね?
我々は沼地に足を浸かりながら、
聖書を読む事だって出来るのだよ。

**グローデンフェルト神父**
なるほど。
聖者は、蛆の這い回る黒い泥に足を鎮めながら、
楽園にいる事が出来る。
願望とは所詮、魂の見る夢か。

**カルタ**
楽園の話なんてやめてくれ!!

**グローデンフェルト神父**
わがままな奴だな。
君、神の話をしていて、
かの王国の話をしないなんて無理だよ。

**カルタ**
かの地の話は嫌いなんだよ。
かの地があるせいで、
どれだけの栄光が霞んでしまっただろうか?
どれだけの気高さが失われただろう?
お前達は、楽園の土を求め、神に唾を吐くのだ。

**グローデンフェルト神父**
いや、娘よ。
それは違う!!
そもそも楽園というのは、純善たる・・・

**カルタ**
その純善というやつが曲者だよな?
純善ならば、何でも許されると思っているかね?
善という言葉に惑わされ、
人間がどれだけの他者の悲鳴を塞いだのか?
キリスト教徒共は、自分が楽園に行く為に十字架を崇める。
だが、十字架に架けられた当の男は、
ユダに楽園を望み、
己は処刑台への道を進んだじゃないか!!
これは、かつてヴィエンヌでも論じられた議論だが、
善人共は殺人を罪だと言う。
だが、救える命を救う為に、
別の命を殺さねばならぬ時が医者ならばあるよな?
何もしなければ二者共に死ぬのだから、
傍観者共は、やはり人を殺したも同然なのだ。
結局は良き魂の者は、誰かを殺すだろう。
己が地獄に堕ち、誰かを救うだろう。

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**グローデンフェルト神父**
いや、それは詭弁だ。
我々はキリストではないし、
命を選別する資格など持っていないのだ。
そうした事に恐れおののかなくなったら、
それは罪を隠蔽する墓堀りと同じ事。
聖書を読む事は贖罪だが、
聖書を閉じる事は地獄への道だよ。
言ってしまえば、善人とは羊だ。
迷う事は、神への愛であり、
そして、羊を導く羊飼いは神でなくてはならない。

**カルタ**
罪を「罪だ!!」と、
新米の役者の様に、大仰に喚き散らすばかりで、
しまいには涙も偽物になるってもんだよ。
苦しみ藻掻くのは美徳かね?
だが、結局は保身という穴倉に
熊みたいに引き籠るじゃないか。

**グローデンフェルト神父**
娘よ。
地獄を恐れない者にとって、
地獄は最早、地獄ではないのだ。
その者は十字架に架けられながら、
楽園にいるだろう。

**カルタ**
私が言いたいのは、この現実というやつは、
決して何か理屈や、大義があって
成り立っている訳ではないという事だよ。
ここには、ただ無数の死がある!!
無数の不運で無意味な屍が山の様に積まれているのだ!!
蚯蚓(レーゲンヴルム)共の屍が大地となっている様にね。
無意味だ!!
全ては無意味な死なんだよ。
そしてあらゆる可能性は、皆死んでしまった。
沼地に足を絡めとられた哀れなキツネが、
空を飛びたいと願っても、決して翼が生える事はないのだ。
それが、あらゆる可能性が死んだこの世界の現実だ!!
肉体は沼地に沈んでいく。

**グローデンフェルト神父**
だが、沼地にいながら楽園にいる事は出来る。

**カルタ**
君、それが神の御業だよ。

**グローデンフェルト神父**
では、お前のその目は、
この世から無くなった
可能性の一つであるとでも言うのか?

**カルタ**
そう。
淘汰の亡霊だよ。
かつて死んだ無限の可能性の亡霊だ。
旦那、
こうしている間にも、
日々、可能性とは失われているのだ。
我々はピカソの絵を見て感嘆するが、
本当に素晴らしい画家の作品は、
人知れずに戦火で燃え尽きている。

**グローデンフェルト神父**
そうか。
そういった亡霊だの、居もしない姿だのを、
人は結局はサバトで見る事になるのだな。
サバトとは悲しい郷愁であり、
喪失と後悔の葬儀だ。
人は現実を生きながら、
過去に死んでいったあらゆる可能性をサバトで見る事になる。
歌には亡霊の言葉が残されている。
過去の死者が歌った歌を我々は歌い続ける。
進化では無いのだ!!
それはただ喪失なのだ!!
我々は失いながら前に進む。
壮大な叶わなかった夢の屍と、
消えた可能性を葬りながら!!
全く。
そうではないと言うのなら、
一度、他人の葬儀に参列してみるがいい。
それは、まるで舞台に似ている。
楽園に行く道に迷う者が迷い込む舞台だ!!
そこで、どんな壮大な曲を流した所で、
皆、右往左往するばかりで、
誰も楽園に行く道は知らないのだ・・。



スペイン・オペラ楽団「墓の魚」
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