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魔女ポリリャ・デ・クルパ(罪の蛾)

■ポリリャ・デ・クルパ(罪の蛾)
ガリシア地方出身

ドゥラカは幼い頃から、何かと周囲と馬が合わない子供だった。
例えば腐肉を見て彼女は「美しい」と言った。
腐敗とは命の生み出す最後の祭りなのだ、と。
子犬を見れば「悍ましい」と彼女は言った。
容姿で愛を求め、一人で生きられぬ事はとても惨め事だ、と。
村はずれで騎士道物語の田舎芝居が上演されれば、
「女の容姿にたぶらかされる騎士などに、
何の気高い心があろうか?」と罵った。
例外として、セルバンテスの
「独創的な郷士ラ・マンチャのドン・キホーテ」は、
彼女のお気に入りだった。
「このじじいこそが騎士の本質だ。
老いぼれて、何も成し得ない者が、
この世では魂の権威に焦がれ、
振れない剣を振り回してる。」
そう彼女は笑った。

そんな事ばかり言っていたので、
当然、彼女はヒターノの中ですら
変わり者だと孤立した。
彼女の母や、叔母は、彼女の戯言を
「何て面白い子!!
きっとあの子の頭は、
地獄から天国を覗く事だって出来るね。」
と面白がったが、彼女の父や、叔父達は、
彼女をひねくれ者、一族の問題児として考えていた。

ある時、彼女は叔父に呼ばれ、こう言われた。
「ドゥラカ。
お前が何処かの男に傷物にされれば、
俺も、お前の父親も、兄も、
お前の為にその男と決闘するだろう。
俺達は家族だ。
お前、そんなにひねてないで、
もっと毎日を楽しく過ごしたらどうだね?」
それに対してドゥラカは言った。
「叔父さん、心配しないで。
私は楽しく毎日を過ごしていますとも。
ただね、私には
誰かに傷物にされる様な日が永遠に来ないのです。
例え、誰かに腕をもがれ様と、
目をくりぬかれ様と、
私がそれを傷と思わなければ、
私は傷物ではないからです。」
叔父は驚いて言った。
「お前ね、年頃の娘が、
腕をもがれたり、
目をくり抜かれたりしたのに、
私は傷物じゃありません、
なんて言っても駄目だよ。
そんなの俺達に通用するもんかね。」
そこでドゥラカは答えた。
「私が望んで森に入り、
岩や毒草で傷だらけになったのなら、
その傷はただの私の人生の刺青ですよ。
そんなものね、
クジラの身体についたフジツボの様なものです。
まぁ、私をコルセスにして飾っておきたいのでしたら、
やはりそれはクジラを殺す様に
一思いにしなくてはいけませんね。」
叔父はドゥラカの言い分に呆れ果て、
もういい、下がりなさいと言った。
「全く、あの娘には困ったものだ。」
後日、叔父の愚痴を聞かされた叔母は
ドゥラカを呼んで言った。
「ああ、ドゥラカ。
あの人をまた怒らせたんだね。
お前はもしかしたら本当は、
誰よりも賢いのかもしれないけどね。
斜め左に一回り回ってね。
それでも、適当に人に合わせて、
あしらう方法も知っておかないと、
困るのはお前なんだよ?
誤解してるのかもしれないがね?
あの人は他の兄弟と同じに、
お前の事だって、可愛いんだから。」
ところが、そう言われても、
ドゥラカには悲しい気持ちしか残らなかった。
「叔母さん。
私は、そんな愛はいりません。」

ある時、親戚一同に叔父は言った。
「この旅の途中、ティシドにある
聖アンドレス教会に礼拝に行こうじゃないか。」
そこでドゥラカは言った。
「何の為に?」
叔父は言った。
「聞いた事はあるだろう?
あの教会に、生きている間に
巡礼に行けなかった無精者は、
死んだ後に惨めな獣に生まれ変わり、
それもどうしてか、
その姿で、教会に礼拝に行く羽目になっちまうんだ。」
「白人共はね。」
叔母が笑いながら付け加えた。
「ああ、多分な。
それでもまぁ、神に祈っておけという話さ。」
叔父は頷いて言った。
そこでドゥラカは笑い出した。
「この話に、何のおかしい事があるかね?」
叔父の質問にドゥラカは答えた。
「ええ、だって、
随分と器量のない神様だこと。
例えば、足に錆びた釘が刺さって歩けない者は?
身寄りが無くて誰も助けてくれない者にも、
神様は罰を与えるの?
赤んぼ仔馬*に足止めされた人だっているかもしれないのに?
[訳注*赤んぼ仔馬(Bebé Poldro、またはBabycolt(ベビコルト))。
ドゥラカ達の一族に伝わる悪霊。魔物(悪魔ビビコット)]

そんな理不尽な罰を与えるのがキリストというお方なら、
私は自ら呪いを被りますとも!!
死んだ後に蛾に生まれ変わって、
教会の周りを一周してみせるわ!!」
それを聞いて、叔父は優しく笑って言った。
「私もそう思うとも。
まぁね、俺達ヒターノならそう思うよな。
だが、残酷なのが神というものなんじゃないか?
とも思ってる。
長い人生を生きているとな。
そう思う時もあるんだ。」
叔父はその後も、何か話をしたが、
結局、それでもドゥラカが
頑なに教会に行くのを嫌がったので、
叔父はドゥラカに
「教会の外で待っていればいいじゃないか」と言い、
親族達は礼拝を済ませた。
その日以来、兄弟達は、ドゥラカを
「礼拝をしなかった呪われた魔女だ!!」
と、からかう様になった。
だけど、ドゥラカは
魔女と言われて、悪い気がせず、
それをすんなりと受け入れた。
むしろ、弟が昔、ポルトガルのファディスタから盗んで来た
カビだらけの黒いボロ布を羽織り、
「自分は魔女だ」と言い聞かせたのだった。

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それから何年も経ち、
ドゥラカの背も大分伸びた頃、
ドゥラカはエドゥアルド・カストロという
ガリシア人の青年に出会った。
ドゥラカは相変わらず、
周囲の人間と馬が合わないまま育ったが、
カストロはドゥラカの言い分をわかるふりをした。
実際、カストロは、ドゥラカの言葉をよく頷いて聞いたし、
ドゥラカも、カストロが
自分の事をよく理解している
という言葉を、信じたふりをした。
つまりはそれは若さなのであった。
それというのも、彼の魂には
何やら捻じ曲がってもいない、
錆びてもいない、
鉄の棒の様なものが刺さっていて、
それはヒターノの仲間達が持ち得ない
ドゥラカにとって新鮮なものであったからだ。
時々、それがとんでもなく融通が利かず、
青臭く、めんどくさいと思う事もあったが、
その直感を彼女の中の若さが曖昧にしたのだ。
ヒターノにはヒターノの、
神父には神父の魂がある事は、
承知していたドゥラカだが、
社会主義者の魂は、彼女には初めてだったのだ。

カストロは言った。
「僕がやろうとしている事は、
とても歴史的に正しい事だ!!
ガリシアの誇りと言葉を永遠のものにし、
死ぬまで闘うつもりだ。」
青年の信じる自由をドゥラカも信じた。
そして、反対する家族と訣別し、
ドゥラカは彼の側に残った。
それが自由だと信じたのだ。

しかし、二人の関係は長くは続かなかった。
ある日、カストロは言った。
「神は僕らの闘いを見守っている。
僕らの行いは神と共にある。」
それを聞いてドゥラカは言った。
「私はそうは思わない。
あんたのその闘いは、あんたの為にやるんだよ、エド。
そこに神の力なんていらないね。」
「なんでそんな事を言うんだい?」
カストロは驚いて言った。
「神は正しい者の味方だ。
決して略奪者共の魂は守らない。」
ドゥラカは笑った。
「神だって糞をするんだ。
なぜかって、糞が腹に溜まったら苦しいからさ。
天使も、悪魔も、社会主義者も、
自分の為に皆、糞をするんだろ?
なのに、糞にいちいち金色の免罪符なんてつけているから、
結局は、粗末な楽園にしか行けなくなっちまうのさ。」
カストロは憤慨して言った。
「全く君ってやつは、罰当たりなヒターノだ!!
楽園に行く事が悪いというのかい?
よしてくれよ。」
「悪いさ。
糞に正しいだの、間違いだのあるもんかね。
糞は糞だろ?
なのにあんたは、いちいち糞に
上等なブルボンの王族の名前をつけなけりゃ、
厠にも行けないと言う。
自分の傷が名誉の負傷と言われなきゃ、
喧嘩も出来ないのかい?
汚い血反吐は吐きたくない?
それは自由じゃない。
とどのつまり、
偽善とは臆病者の掲げる旗だ。」
ドゥラカは捲し立てた。

その日以来、ドゥラカは日課にしていた
勉強の進路を少しだけ変更した。
レーニンや、リーガの本を本棚に戻し、
代わりにジョン・ディーや、
古臭いユダヤの本を読み始めたのだ。
それを知ったカストロは大反対したが、
ドゥラカは全く彼の言う事に耳を貸さなかった。
ヒターノの権力者の言う事すら跳ねのけた女が、
青臭い若者の言う事に
耳を傾ける筈がなかったのだった。

それからしばらくしてドゥラカは言った。
「エド。
私は私の行くべき所に行く事にするよ。
どうも、私は組合よりも、
墓地の方が性に合ってるみたいなんだ。
別にあんたの事が嫌いになった訳じゃない。
つまり・・、そのぅ・・、
社会主義者も、魔女も、
どっちも棺桶に片足を突っ込んでる様な身だし、
何処かのサバトで会えるんじゃないか?」
「そうかい?
俺はお前の才能に期待していたのに。」
カストロは言った。
「そうだね。」
ドゥラカは答えた。
「それなんだよ。
その期待というやつはアンタらの病なんだね。
その期待の矛先に私はいないのさ。
言ってしまえば、あんたら男は、
聖母マリアという
何だかよくわからない奴をいつも見ていて、
それをどこかの誰かに期待している。
だけど、そいつは私じゃないんだな。
私は最初からあんたらの視線の先にはいないのさ。
家族という共同体の中の可愛い娘という誰か。
理想を追い求める
自分という男について行く何処かの女を、
あんたらは愛している。
あんたみたいに本を随分と楽しそうに読んで、
よく世の中の事をこねくり回せる男も、
長い人生を生きて、
人生の甘さも苦さも味わったヒターノの男も、
なぜか、そこにいない誰かの話になると、
とんでもない馬鹿になっちまうのさ。
その途方もない誰かをここに連れてこい、と言う。
そいつがいないというのなら、
今度は、お前が生涯をかけて、そいつを演じろと言う。
だがね、一つ問題がある。」
「なんだよ?」
ドゥラカはカストロが顔を真っ赤にして
躍起になってドゥラカの言葉を否定するものと思っていたので、
その彼のふてくされた返事に少しだけ驚いた。
それは、彼の本質。
今では大分、深い所に埋もれてしまった
純粋で繊細だった頃の彼の本質の様に思えた。
ドゥラカは考えた。
本当にこいつは、
昔は頭のいい奴だったのかもしれない。
だが、政治というやつが、
あるいは、正義というやつが、
人間を愚か者にしちまうんだな。
なぜなら政治の本質は自由ではないからだ。
自由を求め、政治という理想主義のまじないに手を出す者達は、
やがてその呪いに蝕まれ、何処にも行けなくなるのだ。
誰かに正しさを認めてもらわなければ、
糞も出来なくなる様な人間になってしまうのだ。
「もう行くよ。」
ドゥラカは言った。
「アンタには主義の翼があり、
私には私の為だけの羽があるんだ。
ただし私の羽は、死んだ蛾の羽みたいなものでね。
高くは飛べない。
だから、私のドゥラカという名前も、
飛ぶのには重たいからもういらないね。
今日から私は、罪という蛾(ポリリャ・デ・クルパ)を名乗るわ。」
そう言ってドゥラカは空高く飛びあがった。

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以来、ガリシアの土地には、
とんでもなく邪悪な魔女が現れると噂になった。
その魔女は蛾の様に夜空を舞い、
サンタ・コンパーニャの行列の先頭に立つ
セラーナだと人々は噂した。
元々、頭の切れる彼女は、
あらゆる黒魔術を学び、
それを自分の為に使った。
そうこうしているうちに、
ポリリャ(ドゥラカ)の中の記憶の様なもの。
彼女の中に残っている人間らしさや、
何かを求めていた心は失われてゆき、
ただ不可解な感情だけが
魂の底に呪いの代償として君臨した。

ある時、ポリリャはふと、
昔、大勢の家族の下にいた時の事を想い出した。
あの時、聖アンドレス教会に礼拝に行く事を笑ったポリリャに
叔父は言ったのだった。
「残酷なのが神というものなんじゃないか?とも思ってる。
長い人生を生きているとな。
そう思う時もあるんだ。」
叔父はその言葉の後に、こう付け加えたのだった。
「だが、きっとなぁ、ドゥラカよ。
お前は、誰よりも人を想う愛が深すぎるのだ。
その愛が深すぎて、妥協する事が出来ないのだ。
お前の神への愛は人一倍強い。
だからお前は神を憎むのだ。
あきらめる事が出来ない、
妥協する事が出来ない者は、
やがて愛を呪う様になるのだろうよ。」

それから何年か後、遥か遠くの地マラガで、
その地の悪党共の相談役という名を冠する
マリア・ゾゾヤというヒターノ女が、
深夜、墓場で恐ろしい影に出会った。
その影は墓石の上に立っていた。
マリヤは影に声をかけた。
「最近、この地を荒らしまわっているという
魔女とはお前か?
私はマリア・ゾゾヤというこそ泥だ。
何処の誰かは知らないが、
お前さんもロマなんじゃないのかね?
ロマならばなぜ一人でいるのだ?」
その影の表情は見えなかったが、
その何者かは言った。
「キリストも、ロマも、大衆も、
その願いは決して叶わない。
それがこの世界であり、
神の箱庭で我々は呪われて孤独なのだ。」
マリアは答えた。
「まるで神に愛など無いかの様な言い分じゃないか?
あるいは、そんなものは
必要ないとお前さんは言うのか?
ただ一人でいるのか?
この世界で、信仰も、大義名分もなく生きるという事が
どういう事かわかるかね?」
その問いに影はしばらく黙っていたが、
やがて言った。
「マラガの見知らぬ魔女よ。
だが、お前の名は聞いた事があるな。」
影は続けた。
「愛や家族について問うのか?
今更、我々が?
だが、かつて私にも愛があった様な気がするよ。
私は叔父を愛していたし、
家族を愛していたつもりだ。
だが、私は愛する者達が、
私を理解できない事が許せなかった。
人を愛するが故に、神を愛するが故に、
私は孤独なのだ。」
月明りで、影が羽織っている
黒くボロボロの布が見えた。
「かつて叔母は、
人に合わせて生きるべきだ、と私に言った。
それが手段なのだと。
我々が人間として、神の下で微笑む道だよな。
確かに、それが悍ましい他人の中で
何とか幸福に生きる道なんじゃないか?
だかね、一つ問題がある・・。」
「何かね?」
マリヤは聞いた。
「私がとても冷たい人間だという事さ。」
そういうと影はボロボロの羽を広げた。
影が墓場を覆い、月明かりが一瞬消え、
やがて次の瞬間には影の持ち主はいなくなっていた。
「私は彼女を追わなかった。
あんな孤独な化け物を追って何を得るというのだ?」
後にマリア・ゾゾヤは仲間にそう語った。
「だが、誰も彼女に言ってあげなかったのだな。」
一体何を?と、仲間に問われ、
マリアは続けた。
「人間は結局の所、
誰もが家族のふりをしている孤独な他者だ。
祈るふりをしているだけの罪人に過ぎない・・。
そこに疑問を挟む様な純朴な者は、
一人、暗闇の中を神の灯りを求めて
彷徨い続ける怪物になるだろう。」


言い伝えでは、ポリリャ・デ・クルパという魔女は、
蛾のまじないを得意とし、
胡椒病で死んだ蛾を自由に操る事が出来ると言われている。
そして、逆に、物言う生者は、
彼女にとっては最も煩わしい者であり、
どうしても操る事はできないのだという。




スペイン・オペラ楽団「墓の魚」
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