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あのたび -ハロン湾とフエ-

 ベトナムで最も景色が良いというハロン湾ツアーへ参加した。

 一人旅をする者はツアーというパッケージ化されたプランを毛嫌いする傾向にある。自分の足でローカル線を乗り継いで、できるだけ安く辿り着きガイドを利用せず見て回る。そこに意義を見出したりする。
 ところがここベトナムのハノイではツアーの方が安上がりになるという逆転現象が起きていた。
 2003年当時、ものすごいバックパッカーブームで世界中から多くの旅行者が集まり、それを見据えて安宿がバス会社と組んで泊まった客にツアーを提供する。泊まった宿でなくても対応してくれるので必然と価格競争が発生していた。あちらの店がいくらだというとじゃあこっちはいくらだと客を獲得するためなら値引きに応じる。ベトナムは経済の発展途上でそういうやる気や活気に溢れた国であった。

 もともと行く気が無かったハロン湾には、まあ海から突き出た岩に苔が生えている程度だろうと期待はしていなかった。しかし実際に行ってみると、その巨大な岩の景観に圧倒された。ボートに乗りながらその巨岩の下をくぐることができる洞穴があり幻想的な雰囲気を醸し出している。うす暗い洞穴の中に外から射す光が落ちてくる。まるでファンタジー世界の映画のようであった。
(↓参考動画:ハロン湾)

 一泊二日のツアーのあとハノイに戻り、夜のバスでベトナム中部のフエへ行くことにした。
 そこで日焼けしたくっきりした目鼻立ちの小柄な日本人の女の子に会った。沖縄出身だというので外国の血が混じったような凛とした顔立ちをしている。4月からは就職が決まっているとのことで卒業旅行に来たそうだ。が女の子一人でのバックパッカー旅行は珍しい。スマホやネットで即時に情報検索ができる現在ならまだ安心だが、ガイドブックだけが頼りの頃に航空チケットだけとってホテルも予約せずにベトナム縦断というのは勇気がいる。友達にヨーロッパ旅行を誘われたが断って一人で来たとのこと。強い。

 フエではビンジュオンホテルに泊まった。出会う人全てが絶賛する日本人宿だ。女性オーナーは日本語も話せて信頼でき居心地がいい。
 フエは南北に長いベトナムのちょうど真ん中くらいにある土地で、これといって大きな見どころはないのだが移動に疲れた旅行者が寄る中継地点といったところ。世界中には、宿が安い・飯がうまい・日本のテレビが映る・日本のマンガや文庫が大量に置いてあるなどの理由で一人旅の日本人が自然と集まり日本人宿と言われるようになった場所が各地にあった。このビンジュオンホテルもそのひとつだ。

 こういった宿には情報ノートというものが存在し、周辺の歩いていける美味しいお店だとか、隣の国のビザの取り方や国境の越え方だとか、どこのバスが何時に出て一番安いだとかそういった最新情報が載っている。みんなで書きあって更新し、次に来る旅行者のために役に立ててあげようという純粋な親切心からだけで成り立っている(多少自慢もあるのだろうが)。グーグルマップの手書きアナログ版といった感じだろうか。
 現在では廃れた文化だが、各国のいろんな宿でこういうノートを読むのが楽しかった。

 ビンジュオンホテルのドミトリーは、男女国籍混合7人大部屋にベッドが並んでいるという部屋だった(1泊2.5$)。日本人宿と言っても日本人だけが泊まっているわけではない。割合が多いというだけだ。相部屋だというのに欧米人の女性は周りを気にせず平気で着替えたりするので、こっちのほうが目を背けたりしてドギマギしてしまった。それくらい安心できる環境の宿なのだ。

 一例をいうと、パスポートとか大金が入った財布だとかの貴重品をフロントに預ける時だ。
 アジアの安宿だとそれが本当に大丈夫なのか(スタッフが中身を抜いたりしないか)心配なのだ。しかしここビンジュオンでは、まず貴重品をビニールの袋に入れる。それをガムテームでぐるぐる巻きにする。そのガムテームに重なるようにボクの名前とか文字を書く。その後ようやく金庫に入れてくれる。つまり返却する時に一切中身には触っていませんでしたよという意思表示を、目の前でしてみせるのだ。
 20年後の今でもその時のやりとりを覚えているくらい印象的だ。そこまでする宿はひとつもなかったから。 

 女性オーナーが淹れてくれたベトナムコーヒーはポタポタ一滴一滴とゆっくりとおちるので抽出されるまでがとても時間がかかった。普通のミルクではなくコンデンスミルクを入れてまぜるのでめちゃくちゃに甘かった。

 次の街へ次の街へと急いで移動してきたボクは、何を急いでいたのだろう。ベトナムコーヒーのようにゆっくりとした旅もいいだろう。フエでボクは何泊もしてしまった。

ベトナムルート

(つづく)


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