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リトルキャンバス 【インド編】

■最初の一歩■

 2007年5月30日、インド・デリーの空港に到着しました。しかし到着した時間はなんと、深夜の2時半。公共交通機関はもちろん動いてはいません。インドへ安い航空券で移動しようとすると、たいていこのような時間に到着するようです。

 ここからタクシーに乗って、市内まで行くという手段もありますが、深夜はトラブルが多いともガイドブックに記載されているので危険が伴います。目的の宿は、閉まっていると言われ、法外な値段のホテルに連れて行かれたり、土産物屋で高い買い物をさせられたり、名所を巡るツアーに強制参加させられたりと、悪いうわさが多いのです。

 実際に、2006年9月、インドを一人で訪れた学生が行方不明となった事件も発生しています。ボクは空港の待合室で朝まで過ごし、バスが動くのを待って市内まで移動することにしました。

 インドの5月~6月は暑季という、1年で一番気温の高いシーズンです。これが経験したことのない予想以上の暑さでした。毎日、40℃以上にも気温が上がり、歩くのも食べることさえも億劫というくらいです。とてもプロジェクトの活動をするどころではありませんでした。

 最初の1日は、現地のカレーも食べましたが、翌日からは、バナナと水くらいしか喉を通らないほど、熱中症のひどい体調のありさまでした。どうやらこういうことはボク一人の問題ではなく、インドを訪れる旅行者の多くが、下痢や発熱などの病におかされるようです。滞在中ずっと健康な状態という旅行者はほとんどいませんでした。

 たまたま宿が一緒になった、旅行者のゆたかさんと路地裏を歩き、子供たちを捜して、絵を描いてもらうことができました。

やりたいことは、ただ子供に絵を描いてもらうというだけの明確なことなのだけど、やはり、一人でスラムのような場所へ踏み込むという行為は勇気がいることです。この活動の内容を話して、協力してもらえたゆたかさんには、とても感謝しています。

 結局、向かった場所は、安宿が集まるサダルストリートから狭い路地を少し入った、スラムというよりは安全な、周辺の家族や子供たちがたわむれている遊び場といったところでした。

 さっそく、ことばが通じないながらも、身振り手振りで絵を描いてくれないかとお願いしました。すると、何をやっているのかと30人以上のひとたちに囲まれ、画用紙やクレヨンはひっぱりだこ。ただ交流のためにというだけでも、「絵」という道具が十分な役割を果たせることがわかりました。

 そこで問題が、ここでほんとうに現金という形で絵の代金を支払っていいものか?というところです。他の旅行者などにアドバイスを聞くと、ジュースやお菓子という目に見えるモノという形の方がわかりやすく争いも生まないのでは?というのです。

 確かに、お金では、落としてなくすかもしれない。ちからの強いジャイアンのような子にとりあげられるかもしれない。おじさんやおばさんが、そんな金は子供が持つものではないと搾取するかもしれない。そしてなにより、自分が財布を取り出して、お金を出すという行為そのものが危険を生む可能性もある…

 しかし、やってみなければ何事もわかりません。ボクは、一番うまいガネーシャの絵を描いた子に、「君の絵はたいへんすばらしい、ぜひ30ルピーで買わせてくれ」といい、お札を出しました。いったんは、英語の通じる、彼の父親の手に渡りましたが、父親はそのお金をそのまま全部、彼に渡しました。

 彼はとてもうれしそうで、父親も喜び、周りの子達も自分もゆたかさんもみんなが満足な様子で、何かとても感動する瞬間となりました。

 結局、お金を支払ったのは、その彼の1枚だけということになりましたが。どうも収拾がつかなくなりそうなので、その場を去ることにしました。

 0ルピーで描いてもらった絵も何枚かあるのだけれど、少し申し訳ない気がします。これらの絵が日本などで売れた時は、自分の利益になってしまうからです。理想としては、絵を描いてくれた子が、その絵の代金をそのまま手にすることです。またいずれインドを訪れたときに、そのまま彼らに渡すことができたらと思います。再び見つけるのは難しいと思いますが。

 それとここの子供たちは、インドの下流階層の家庭のようですが、支援を必要とするほどの生活水準ではないようでした。とりあえず食べ物に困ることはなく、平和に暮らしているというように見えました。それでもまあ、とりあえずプロジェクトの最初の一歩を進めることはできたのかなあと思いました。

■バラナシの路地裏■

 3年前、知人に薦められて、遠藤周作の「深い河」という本を読んだ。その時、いつかこの小説の舞台となったガンジス川へ、とずっと考えていたことが、この旅行でついに実現した。しかし本の中で描写されているような、1日100人がのたれ死にしているというのような死の風景は見られなかった。すでにそれは過去の話なのかもしれない。

 バラナシは、カンジス川のほとりの街。ヒンズー教徒にとっては、死ぬときはここでという聖地であり子供たちの水遊びの場でもあり、洗濯するための生活の場でもある。街は、石畳でできた狭い迷路のような路地が広がっている。

 気温が下がる夕方ごろ、その路地裏を毎日歩いた。最初は、1人か2人くらいしかいない子のところへ話しかけてみたが、恥ずかしがって絵を描いてくれない。

 元気そうな子が何人か集まっている所で画用紙を出したら、おれにも描かせろ、私にも描かせてと、ここでも引っ張りだこになった。デジカメで撮影すると、大人も出てきておれも撮れと大騒ぎ。

 2冊の画用紙と2セットのクレヨンを出したのだけど、誰が何を描いたか把握できないくらい、取り合い、描きあいになった。でもたくさんの絵を描いてもらえた。

 みんなが落ち着いて、騒ぎが収まったころ、最後に、一番聡明そうな年上の子に、お金を渡そうとした。しかし、きっぱりと、いらないという。意外な反応にこちらがびっくりした。そうか、誰でもお金が欲しいというのは、自分の思い上がりなのか。お金のために描いたのではないという態度に、自分は反省しなければいけない。

 と考えながら、そのお金を財布にしまおうとしたとたん、周りにいた、他の子供たちが、そのお金をよこせよこせと、ひっぱってくる。いろんなものをひっぱってくる。デジカメ、水、服、財布…。ふりほどこうとしても、つぎつぎと他の子の手につかまれる。なんとかふりきって、その場を離れようとする。やはりお金は争いを生む原因なのだろうか…。

 ゲストハウスへ帰ろうとすると、ガート(=ガンジス川沿いで階段上になっている場所)まで送ってくれるという。ボートに乗らないかと誘ってくる。興味はないので断ったが、お金を要求される。小額のお金をあげた。自分自身では、たくさん描いてもらった絵のためにお金を支払ったつもりでいるのだけれど、彼らにとっては、道案内料と思われたのかもしれない。

↑クミコハウス
ボクが泊まったゲストハウス。インドに渡って30年以上、日本人のくみこおばさんが経営している宿。夜は、みんなで日本食を囲むことができる。

■援助と自己満足■

 メインガートを歩いていると、みずぼらしい格好の女の子、ピリッピがバクシーシ(金をくれ)と要求してきた。観光客の誰にでも行っている日常の行為である。

 ただでお金はあげない。と自分で決めていた。絵を描いてくれたらあげるといった。最初は恥ずかしがったが、日本語が通じるインド人の青年が近くで翻訳してくれた。彼女は花の絵を描いてくれた。10ルピーを支払った。

 翻訳してくれた青年は、お金をあげるのはよくないという。盗まれるかもしれないし、暴力で奪われるかもしれない。本当に、この子の欲しいものをあげたらいいのでは?と、ピリッピに欲しいものを聞いてくれた。服が欲しいという。たしかに、彼女の着ている白い布切れはもはや服とは呼べない。この子がきれいな服を着ることができたらきっと喜ぶだろうと近くの服屋へ行った。

↑大沢たかお主演の「深夜特急」にも出演! 漫画「インドまで行ってきた!」(堀田あきお&かよの)にも、日本語の話せるインド人として登場。
バラナシを訪れる日本人には必ず声をかけてくる。本業は、土産物屋で、家族や友人を養っているはたらきものである。名前:ムケ 絵:村本麻美

 ピリッピは、ショーウィンドウに飾ってあるドレスを欲しがったが高価すぎる。いくら貧しくてもやっぱり女の子。誰だってシンデレラにはなってみたいのだ。そこで、もう少し安めの(それでもここではかなり高い)225ルピー(約700円)の、オレンジ色のかわいい服を買ってあげた。ちなみに自分の1泊の宿代は80ルピー(約250円)

 せっかくだから彼女が、その服を着ている姿を写真に撮りたいというと、おうちで着替えるからと、うちに連れて行ってもらった。

 しかしそこは家ではなく、ただの棒とぼろきれでできた、雨よけが出来る程度のテントであった。具合が悪そうな母親と病気持ちらしい弟が寝ていた。

 上の写真の、彼女が立っている後ろ側がそのテントである。着飾った彼女はとてもいい表情をした。ボクはこんなことがやりたかったんだ、と満足した。

 自分は、滞在している1週間で、けっこうこのバラナシの路地裏を歩き回ったつもりでいた。しかし、いつも通っているメインガートの、すぐそこにこんなテントがあったとは気付かなかった。視界にも入らなかった。こんなにもすぐ近く、誰にでも目につくところに、救いが必要なひとたちがいたというのに…。

 写真を撮ったあと、5分もしないうちに、彼女は元のぼろきれをまとっていた。ものごいをするには、貧相な格好のほうがいいのかもしれない。高価な服は売ってしまって、食べ物に替えたほうがいいのかもしれない。

真相はわからない。

 結局、自分は、服を買ってあげるという行為で、助けた、彼女に喜んでもらえた、という自己満足をしていたにすぎないのかもしれない。ショックでした。

 翌日以降、彼女はひんぱんにつきまとい、この子にも服を買ってくれ、あれをくれ、これをくれとせがんだのです。安易な援助にすがる方法を、学ばせてしまったのかもしれない。

 ほんとうは、絵を描くことでお金を得ることもできるんだよ、ということを知ってもらいたかったのだけど。

援助というのはむずかしい。

インスタグラムで、子供たちの描いてくれた絵と写真を載せています。


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