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母と娘の依存関係の終わらせ方について


お母さんについて語ってみたい。母の日が近いですから。

なんでお母さんは特別なんだろう?

悪いけどお父さんとか兄弟とは、存在感が違うのだ。

私は特に子供の頃、お母さんからあまり尊重されずに育った。
そして心の底からお母さんを強く求めていた。

戦争中、「天皇陛下、ばんざーい!」と言って死んでいく特攻隊と「お母さん!」と言って死んでいく特攻隊がいたそうだが、「お母さん!」と叫んだ人の心の中を思うと、キュウっと締め付けられる悲しさを感じる。
私も同じ立場なら、間違いなく「お母さん!」と叫んだだろう。

お母さんというのは、子供が生まれる前から子供と共同作業で「その子の世界観、人生観」を作る重要人物だと思っている。

ご飯を作ったり、お風呂に入れたり、きちんと叱って躾をしたり、日々の宿題を見たりなども入れると、お母さんという仕事はウルトラハードだな。

優しくてなんでも受け入れてくれるお母さん、というのはとてもポジティブなイメージだけど、そんな都合のいいお母さんはほとんどいないと思う。

お母さんだって嫉妬するし、八つ当たりするし、ときには間違ったこと、言ってはならないことを言ったりもするし。

だからお母さんがマストでしなきゃいけないのは、自分の機嫌を最優先に取ることじゃないかと思う。

私のお母さんは、自分が悪くても絶対に謝らないどころか、全て私のせいにしていた。

いつかお母さんの頭に10円ハゲができた時も、不眠症が治らないのも私のせいだと言っていた笑

素直な子供というのは、それを間に受けて「私が悪いのだ。じゃあもっと頑張ってお母さんを笑顔にさせなきゃ」って自分にムリさせる。

ところで謝らない母親、すぐ子供のせいにする母親の子供というのは、それそっくりに育つ。
共同作業してる先輩がそうなら、そういうもんだって思うよね。

ただ、いいものももらってきたと思う。

私の諦めの悪い不屈の精神や、継続できるストイックさなんかは母親ゆずり。

だから、あんな母親なんかっ!って思っても結構ゆずられているものはあると思う。

ところで、お母さん!と言って死んでいった特攻隊の人の話、悲しくなるけれど、美談ではないと思っているの。

子供とお母さんの関係だけど。なんというかベッタリな恋愛関係のような、執着ビッチビチのような関係の人が結構いる。
私もそうだった。

なんでも話すし、お母さんの愚痴をずぅっと聞くのが子供の役割だと思っていた。

私の世界には常にお母さんがいる、ということで安心感を得ていた。

これさ、お母さんを自分の世界から追い出した方がいい。

お母さんのためになることが、自分のためじゃないことがほとんど。

誰か(お母さん)のために骨をおって、自分を犠牲にする世界にするのか。

または、自分を幸せにして、そのパワーで周りの世界を照らすのか。

悪いけど、お母さんを追い出してthe!自分の愛の帝国を作った方が絶対いい!って今は思う。

愛の家、私だけの隠れ家、心の本当のお家、色んな言い方があるけれど、そこにお母さんはいられない。

お母さんには、そのお母さんだけの愛の家があるから。

お母さんはそこにいるべきで、お母さんの究極ワールドを作ったらいいの。

愛の家があれば、お母さん(お母さんとは世界全般)に恋焦がれるように認められたい!必要とされたい!なんて思わないどころか、自分が死ぬときに「産んでくれてありがとな!それより私の体!ずっと頑張って機能してくれてありがとな!あぁ、私でいてくれて良かった、ほんとうに楽しかったなぁ!」と叫びそう。というか、これを叫びたい。

でもさ、子供って、お母さんに何をされてもどんなひどいことを言われても、本当は許したいのよね…

本当は真っ直ぐに愛したかったのに、それが出来ないくらいヘンテコな母親だから葛藤する。

だから、これが真実だと思う。愛されることより、愛したかった、もっと簡単に愛したかったよ、あの人をまっすぐに愛することができたらどんなに幸せだったかなぁって。

結果、許すも許さないもどちらでも良いのだろう。

どちらに転んでも、結局私たちは愛のかたまりなのだから。







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