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多次元の話 その3(次元上昇とは?)

インド哲学などを読むと自分の我などを「手放す」
という表現がよく現れます。

仏教でも同じように自分の悪癖を「手放す」というような
内容があります。これを極端に受け取って「手放す」=「禁欲」
と考えた方も多いのですが、しかし、はっきり言ってこの二つは
異なる考えです。

「手放す」というのは、それに「しがみつかない」という話で、
それを「してはならない(禁止)」では無いのです。

例えば、自分はいつも「怒っている」。
でもそれが嫌だから「怒っている」自分を手放したい
と考えたとします。

それに対して仏教でもインド哲学でも言えることは
「怒りたくないなら、”怒る”という行動をとらなければいい」
です。

怒りを感じてはならない、なんて事は言ってません。
怒りは、人として健全な感覚で、占星術でいえば火星の
もつ人の活力につながります。
そして自分が「怒っている」事を客観的に見ることが
できれば「怒る」という行動を取るか、取らないかの「選択」
が可能になるのです。

これが大切。

「選択」が可能な状態は、その自分の中に生まれた感覚を
客観視していて、尚且つ「手を放している」ので、
「握る」か「握らないか」の選択ができる状態です。

選択ができない状態というのは、何が起こるかというと、
怒りを手放していないという「握りっぱなし」の状態で、
人はその状態では何かしら自分が不愉快に思った事が
起こる度に瞬時に怒りの行動を表します。

不愉快な感覚が入ってくると、自動的に怒りの行動を
起こす機械のような感じです。それは、まるで
その人には「怒り」という行動の轍(わだち)
のついた道しかないような状況です。

もしその人に、不愉快な状況がやってきても
「怒り」以外の行動を起こせる「選択」があったら
どうでしょう?その人は、怒りを感じつつも、
どう行動するかは選べる事になります。

では、どうやってその「手放す」という精神状態を
手に入れられるか?というと、そこで出てくるのが
「瞑想」です。

瞑想というと、なんだか特殊な感じがするので、
別の言葉でいえば「今・ここ」にいるようにすること
だったり、「静かに自分の感覚に耳をすます」こと
だったりします。

これは我慢することとは違います。
我慢は、その感覚を見えないように蓋をすることですが
「今・ここ」にいる、というかその状態に戻るということは
今という3次元の世界にいったん自分を引き戻す事です。

人は、これまでの経験からいろんな所に
感覚や行動の轍(わだち)があります。
それは「いつも未来に対して不安を持つ」や
「過去の失敗が気になる」という轍かもしれません。

そして、もしそのような轍があると、その人は未来に
対して必ず「不安」を感じるように自分を作っており、
また、過去の失敗を「気にする」轍を作っているのです。

瞑想は「それは、”今”のことじゃないよね?」
と、心についてしまった轍をきれいにするような作業です。
例えるなら、あなたが自分の周りに付けてきた足跡を
全てなくして、真っ白な雪の中に一人で座っている
状態に「戻る」方法という事です。

そしてもし全ての轍をきれいにできた時、
その人に起こるのは「自分はあまりにも多くの
選択と可能性が周りにある」事への「気づき」です。

それは、いつも聞こえていた騒音が無くなったので
遠くの鳥の声が聞こえてくるようなものです。

すると、あなたは今まで感じたことのない感覚・
音・声・感触など様々な事に気が付きます。

それこそが次元上昇です。
今まで感じていなかった感覚(次元)を手に入れるので
今まで生きていたあなたの次元に一つ別の次元が加わった
という事です。

要は、心の癖という轍に、いつも足を取られていたあなたは
静かな時間と静かな自分を手に入れる事で、
心の癖が弱まり、今まで見えなかったことや、
聞こえなかった事に気が付くこと。

それが、人の多次元化であり、次元上昇である
ということです。

そうなると、お分かりかと思いますがハイヤーセルフと
言われるような声が聞こえるようになるのも、特別
驚くようなことではなくなります。

その人は、ハイヤーセルフの声が聞こえる感覚
の次元を理解したという事です。

つまり次元上昇とはいいかえると感受性の拡大です。
花を見て美しいと思わなかった人が、何かしらの経験を
経て花の美しさに気がづくというのも次元上昇です。
そこにはなにも特別な事はありません。

神秘主義者のルドルフ・シュタイナーは「神秘学概論」
などで、数々の魂的な経験の内容を話しています。
一見すると、それはシュタイナーのただの妄想では?
と思われてしまう事を恐れて、彼は「これは私が経験したこと」
であると何度も強調しています。

彼にとって、その神秘的体験は、花を美しいと感じる
感受性の延長線上のように文字通り「体験」した事
なのだと言いたいのだと思います。

さて、ここまでで多次元、次元上昇、瞑想などを
お伝えし「次元上昇は特別な事ではない」とまで言うと
恐らく気になるのは仏陀などが行きつくという「解脱」
という状態の事だと思います。

瞑想して、いろんな事がきれいになり、
いままで知らなかったことが分かるようになり、
そして大抵の宗教では「解脱」という話をしますが、
それについては、その4でお話します。

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