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③第2話:一人暮らしと真面目な生き方

愛してるの響きだけで

強くなれる気がしたよ


離婚前のある日から、家では毎日のようにスピッツの歌が流れ始めた。


とは言っても、透明感のある綺麗な本人の歌声ではなく、少しクセのある演歌的な歌い方をした素人のカラオケの歌声だった。

何を見ているのかとのぞいてみれば、妻は不倫相手と行ったカラオケの動画を、何度も何度も再生して見ていたのだ。

料理をしているときにも、お風呂に入っているときにも、夜、私のそばで寝ているときにも、永遠と繰り返し見て、聞いている。

スピッツはもともと好きなので曲を知っていたが、もし繰り返された歌がまったく知らない歌でも、私はカラオケで必ず歌えるくらい聞かされていただろう。

離婚するのは良いとして、さすがに無神経がすぎると、やめさせようと思った時もあるが、あまりにも繰り返し聞く妻の姿勢を見て、思いとどまった。


今、思い返しても、よほど不安だったのだろう。

彼女にとっては、「お守り」みたいなものだったはずだ。

夜、震えながら何度も聞く彼の声は、心細い家の中で唯一すがれるものだったのかもしれない。

自業自得なんだから、相応の苦しみを味わうべきだ。と、いう考えもあるが、悪意無く、純粋に、真っすぐ生きるしかできない妻を選んだのは自分だったので、一緒に毎日クセのある「愛してるの響き」を聞くことにした。

彼女の家では、今も「愛してる」は、響いているのだろうか?



少し寂しいな。と、思い始めたのは、ゴールデンウィークも終わったころの郵便受けを見てからだった。

今まで散々妻あてに届いていた、携帯電話やカード代金、健康食品の督促状が届かなくなった。郵便受けの中は、いつ見てもガランとしている。

引っ越しの手続きをそこまでする義務はないと、放置していたが、どうやら自分で住所変更の手続きをしていたみたいだ。

私宛に届くのは、塾や整骨院や新築のマンションなどのどうでも良いポスティングのチラシくらいで、ポストを開けるたびに、彼女がいなくなった気がしてなんだか寂しかった。

「自分で手続きをするなんて、今回の離婚をきっかけに成長もしてるのだろうか?」

私は、少し嬉しくなったが、5月の半ばくらいになると、その期待はあっさり裏切られた。


自動車税の通知がしっかりと自宅に届いているし、国民健康保険支払いの通知から、新型コロナのワクチン予約券まですべて私宛に届いている。

どうやら、最低限、自分に必要な関係だけ住所変更の手続きをしたものの、転居届など、その他の手続きは、すべてほったらかしのままのようだ。

おまけを言えば、彼女の籍は、いまだに私の世帯に在籍していることになっていた。戸籍上は、彼女とまだ同棲が続いていたのだ。

さすが、自動車免許の住所も変更せずに更新を逃し、一時失効まで行った私の妻である。

彼女と真の離婚をするのは、なかなか難しいことを思い知らされた。


物理的にも彼女と真の離婚を目指すべく、ゴールデンウィークが終わり、仕事が始まってからも部屋の荷物の整理をコツコツ続けた。

最初は永遠に終わらないように思えた部屋の整理も、本腰を入れて望んでみれば、20時間程度であっという間に終わった。

たった20時間頑張るだけでこれだけ綺麗になるのだったら、もっと早くからしておけば良かったな。と、風通しのよくなった部屋で初夏の空気を感じながら、しみじみ思った。


彼女と一緒に寝ていたシーツや寝具を洗うのを一時ためらっていたが、部屋が片付くと同時にすべて一度洗い直した。

洗面台にある歯ブラシは、最後の最後まで捨てるのを悩んだ。が、こちらも荷物が片付くと同時に捨ててしまった。

大量にある彼女の写真については、さすがに捨てることはできなかったので、すべてアルバムの中に入れて、押し入れの奥に封じ込めた。

整理された山積みの荷物を彼女が運んで行ってしまうと、家からは、彼女の痕跡のほとんどが消えてしまった。

彼女の引っ越しが終わると同じくらいに、ブログについてもほとんど書き上げた。


すると途端に、部屋の中には本当の寂しさがあふれ出した。


離婚した時も、別居した時も感じることのなかった孤独感が、からっぽになった部屋中に満ちていた。


そこにあったはずのものがなくなっている。

たとえ、ごみのようなかたまりでも、それは家の一部であり、生活の一部だったようだ。


彼女は、再度の引っ越しの際も、飄々としながら、荷物を持って去っていった。

特別深い感謝が欲しいわけでもないが、本来は自分がやるべきだった作業を他人にすべて任せている彼女は、どんな心境なのだろうか?

「最後はなんだかんだで上手くいく」

と、普段から自信満々に述べている彼女。

もちろん、他人の力を借りることが悪いとは言わないが、最善の注意を払って起こってしまったことと、自身の努力不足・不注意で起こってしまったことは、意味合いがまったく変わってくると個人的には思っている。

私は人を助けることが嫌いではなく、むしろ好きだが、初めから他人をあてにしている人を助けたいとは思わない。


「ズルしても真面目にも 生きてゆける気がしたよ」

ふと、別れ際の彼女と一緒に聞いていた歌詞が頭によぎってきた。


彼女の生き方がズルなのか、真面目なのか、正直誰にもわからない。

ただ、私の中では、彼女の生き方を応援することはできないな。と、別れ際にも改めて思った。

とにもかくにも、2021年2月に始まった離婚騒動も、5月の中旬を持って、ようやく決着がつくことになった。

人生で一番早い、4か月だった。

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