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②第2話 離婚後の「本当の自分」

4月1日といえば、エイプリルフールの日であるが、年度替わりのタイミングでもある。

四季のある日本では、桜の季節と絡まるように、卒業、入学、人事異動などが行われ、おおよその社会人であれば、年度末からこの時期は、かなり多忙なはずだ。


私自身も、妻も、妻の不倫相手も、仕事に追われており、一時期よりは、だいぶ泊りの回数や電話の回数は減っていた。

「離婚した」という事実を除いては、ここ最近で離婚前の状況に一番近くなっている。


それは嬉しい話でもあるが、せっかく離婚したのに離婚する前の状況に戻ってしまっては、困る。


離婚後もなかなか進まない話に、私は久々に、妻に近況を聞いてみた。


「いつも、泊りに行ってるとき、どこ行って何してるの?」


「だいたいビジネスホテルに泊まって、コンビニで買ったお酒を飲んでる」


私は、ちょっと驚いた。

妻は一番ワインが好きで、次に果実酒などのソーダ割を飲むことが多い。

それが、最近は「檸檬堂」が美味しいことを知り、「生ビールのような缶ビール」に感激した。と、楽しそうに話しているのだ。


うちの家のほうが絶対に良いお酒もご飯もそろえているのに…。

と、私は思ったが、それでもそちらを選ぶ「恋愛」というスパイスに、素直に感心をした。

「それで、向こうの奥さんとは話どうなってるって?いつくらいにここ出ていくの?」

不倫相手との楽しい日常については、軽やかに話をしてくれるが、今後の見通しについては、どうも暗い。肝心の「いつまでに」「何をするのか」という見通しは、なかなか彼女の口から聞けることはなかった。


未来の話になると、彼女は少し悲しそうな顔になる。

実際、彼女にできることは限られており、大部分は不倫相手のやるべきことだ。彼女は、すでに自分のやるべきことを済ませている。私は、このことについては、深く質問することは避けた。


「なんでこんな時期に工事するのかわからない。私が引っ越してからにしてほしい。」

離婚前のある日、私たちの住んでいるマンションは、急にエレベーターの入れ替え工事を始めた。

私たちは、6階に住んでいるので、エレベーターが動かないとなかなかに困る。


妻が荷物を持っているときには、下まで迎えに行き、なるべく手伝うように努めていたが、運動が嫌いな妻は、階段を昇る際に毎回マンションへの悪態をついていた。

別に私が悪いわけでも責められているわけでもない。しかし、エレベーターについて妻が文句を言うたびに、私はなんだか、悲しい気持ちになった。


「結婚って、エレベーターみたいな仕組みだな」と、思った。

普段の何気ない会話も、「結婚」という契約を交わしていれば、安心して受け入れてもらう自信になる。ありふれた食事も、特別な味へと変わる。


もしかしたら、私はその「システム」に甘えていたのかもしれない。

ひとたびエレベーターの仕組みがなくなれば、小さな会話でも、まるで階段を登るように苦労しながら進めていかなくてはならない。

「結婚」という契約があれば、ボタンひとつでひとっ飛びで、必ず目的地へたどり着けたのだ。でも今は、昔のように、彼女と安心して話せない。

離婚した私は、全部なくなってみて、「結婚」という「システム」の有り難さに初めて気がついた。

私は、ずっと「楽」をさせてもらっていたようだ。



「本当の私を取り戻す」

離婚の意思を伝えてくれた妻が、直後に口にしていた言葉だった。


文面だけ見ると、つい笑ってしまいそうなフレーズだが、私は彼女の言いたいことはよくわかる。

確かに、私と過ごしてきた5年間は、彼女が今までに経験をしたことがないほど大人しく、真面目に生きてきたはずだ。彼女の昔の写真や、親友のまりんちゃんとの話を考えるとよくわかる。


今までのブログで、彼女は自由奔放に生活してきたかのようにみえるが、おそらく彼女の過去に比べれば、それでも別人に近いほど、自分の意思を制限されて生活していたのだ。

やはり彼女も初めての「結婚」ということで、自分の思い描く理想の結婚生活があったようだ。結婚までしたのだから「別れてはいけない」「続けなくてはいけない」という使命感もあったようで、彼女は、彼女なりに、私のために努力や我慢をしていてくれた。


もしも、私たちが結婚ではなく、普通に付き合っているだけならば、2年くらいで別れていただろう。

そう考えると「結婚」という「システム」は、やはりすごい。


「本当の私を取り戻す」

奇遇だが、私も離婚前から同じ事を考えていた。


同棲前は、ほぼ毎日ブログをひとりで書いていた生活が、結婚してからは、その時間はなくなった。

代わりに、彼女と話す時間が増え、社会人になってから初めてテレビを見る生活が始まった。

結婚生活中に、なぜあれだけ太っていたのかわからない。確実に独身時代より食べる量は減っている。最初は年齢による体質変化だと思っていたが、今思えばストレスだったのだろう。

特に離婚前1年くらいは、人生でも経験が無いほど、劇的に太っていた。たぶん、あれはコロナによる自粛生活の影響なんかではなかった。


「本当の私」なんて表現すると、結婚生活の自分が「嘘」になってしまうので嫌なのだが、おそらく、妻が考えていた時期と同じくらいから、私も、私自身が好きではなくなっていた。

最初は、それが「結婚」というものか。と、思っていたし、ここから上手く「バランス」を取れるように変化をしていきたいと思っていたが、結局、それは叶わなかった。



「嘘」をついてでも、結婚生活は続けたほうが良かったのだろうか?

彼女の弱い部分や、苦手な部分も、すべて受け入れてあげたら良かったのだろうか?


私の好きな地下アイドル界隈でも、「やさしさ」というべきか「嘘」というべきか、とにかく男性が女性を異常に甘やかすことが流行っている。


申し訳ないが、決して上手ではない歌に対して

「最高」「感動した」「これ以上ない」

など、目を疑う言葉がSNSでは繰り広げられる。


女性アイドル側も、

「頑張ってるから悪い言葉は言うべきではない」

「励ましの言葉がやる気につながる」

など、ネガティブな発言がしづらい空気感を出している。


もちろん、それが悪いとは思わないし、むしろ正しいことだと思う。


ただ、あまりにも一般的な常識からかけ離れたレベルで、手放しでなんでも受け入れてしまうカタチになるのは、違うのではないか?と、思っている。ドラマ風に言えば「好きの搾取」だ。


私は、どれだけその相手が大好きな相手であっても、歌が苦手な人には「最高」とは言いたくないし、どれだけ相手が嫌いであっても、歌が上手な人には「感動した」と言いたい。

美味しいものはいつだって美味しいし、美味しくないものは、いつだって、美味しくない。これは、私にとっては、何より大切なことだった。



「奥さんのこと、すごく好きだったんですね」

このブログを読んだキャストさんは、おおよそこのような言葉をかけてくれる。たぶん、私は、元妻のことは、大好きだった。

でも、だからといって、すべてを許す道を選べなかった。

私も、私らしく生きていく道を選択した。



「どうしたんですか?最近、すごく楽しそうで元気ですね」

別居後、私の事情を知らない人は、悪気なく、私にそう話しかけてくることが多くなった。

他人から見ると、どうもそう見えるらしい。

「春だからね。良いことありそう!」

とりあえず、こう答えることにしている。

私は、今の自分について、喜ぶべきか、悲しむべきか、まだ答えが出ていない。


次回、第3話 離婚後の「うらない」

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