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③第6話:一人暮らしと「答え合わせ」

彼の慰謝料の話がひとしきりついたころ、目の前の紅茶はすっかりと冷めていた。

普段はお客さんでいっぱいのお店だが、緊急事態宣言の影響か、平日の昼時には、私たち以外にお客がいない。

あまり周りには聞かれたくない会話ではあるが、幸い梅雨時の土砂降りで私たちの声は店の中にあまり響いていなかった。


私は新しい紅茶をひとつ注文すると、今度は新生活について尋ねてみた。


「どうなの?新しい生活は、幸せ?」


すると、妻はしばらく考えた後にこういった。


「・・・おだやか」


まるで質問にかみ合ってない。


これは、本当に幸せじゃないから「幸せ」といえないのだろうか?


それとも、自分よりは幸せじゃないと思える人間が目の前にいるから、「幸せ」と言い切れないのだろうか?


ただ、彼女が今回の離婚で目指したであろう「平穏」については、無事手に入れることができたようで、私はひとまずほっとした。

彼女が私を「絶対に浮気しない相手」として選んだように、今の彼には必ず「平穏」を実現してもらわないと困るからだ。金銭面のフォローと穏やかな生活の実現。それが彼のレゾンデートルだと思っている。


よくよく話を掘り下げていくと、彼女は私と離婚する間際の生活とは、まるで真逆の生活を送っているようだった。


朝早く起きてお弁当を作っている。

家の掃除をきちんとしている。

食卓には花を飾っている。


その話を聞いて、私は驚いた。と、いうことはなく、最初はそうだったな。と、懐かしい気持ちになった。


離婚間際に私が食卓に花を飾っていたのは、昔に彼女が花を飾ってくれていたからだった。

初めて家の食卓に花があるのを見たとき、とても気持ちが華やいだことを覚えている。

花って、こういう存在として売られていたのか。と、30過ぎてようやく理解した瞬間だ。

私はその時の気持ちを思い出し、彼女にも昔を思い出してほしくて、最後に花を添えていた。


このブログだけ見ると、彼女はとてもひどい人間のように思えるが、5年間も関係を継続できたのも、世の中にたくさんいる女性から彼女と結婚しようと思ったのも、彼女に魅力があるからに他ならない。


「最初は私のことを全然好きじゃなかった」と、いうことをことあるごとに口に出す彼女。


言われずとも、今でも自分が一番それをよくわかっている。

彼女には申し訳ないが、プライベートの関係ができる前に、仕事で関係ができた私にとっては、最初は彼女をそんな風には見れなかった。


しかし、彼女はそんな冷たい私をモノともせずに行動を続けた。

住んでいる家の場所を教えたら、翌日玄関のドアノブにお弁当がかけられていて、少し引いたことを覚えている。

うっかり家の合いかぎを渡したら、翌日に部屋が整理整頓されており、これも怖いと思ったのを覚えている。

そうこうしているうちに、彼女はいつの間にか、私の家に住んでいた。

最初は結婚をしようなどとはっきりとした強い気持ちがあったわけじゃないが、「これだけ私のことを好きなのなら」と、いう気持ちで結婚を決意した。


とにかく彼女は、興味が出たものや大切と思うものへの熱量と行動の早さが尋常ではない。

それは、仕事や趣味に対してもそうだし、友人関係を見てもそう感じる。

自分のやりたいと思うことに対しては、どんな無茶をしてでもやり通すし、仲の良い友達が落ち込んでいたり、困ったりしているとすぐに励ましのLINEや連絡をするのを何度も見ている。

ただ、そもそものキャパシティが狭く、不器用な彼女は、裏を返せば、自分の興味から外れてしまったものに対しては、ほとんどフォローができなくなってしまう。無意識的なのか、自己防衛本能なのか、彼女の発言も「中」と「外」での区別が激しいとも感じている。


広く浅くは難しく。深く狭くが彼女の生き方だ。

それを自分でもわかっているのだろう。


「もっと、うまくやれたかもしれない」

と、急に涙を流しながら彼女は語り始めた。

彼女がしていることは、6年前の私に対しての行動とまったく同じだった。

自分でも、それは痛いほどわかっているのだろう。

そして、「どうして」最後にはああいう関係になってしまったのか、後悔している様子だった。


「大丈夫?そんなに頑張って疲れない?」

と、少し心配する私に対して、疲れるけどやりがいがある。と、答える彼女。

どこからどう見ても疲れている様子だったが、私はそのことを口に出すことはできなかった。


「あなたはそんなに嬉しそうじゃなかったから…」


この言葉を聞いて、確かにそれは否定できないな。と、思った。

新婚当初、毎朝お弁当を作ってくれていた彼女に、ほどなくすると、私のほうから作らなくても良いと彼女に伝えたのを覚えている。

理由はシンプルで、そのような行為が彼女にとっては、オーバーワークであることを、すぐに理解したからだ。

もちろん、彼女がいろいろと私にしてくれるのは嬉しい。

しかし、不器用な彼女が仕事と家庭を両立することは難しいと思っていた。そして、私から見ると彼女の喜びは、私ひとりに認められることよりも、仕事などを通じて、多くの人に彼女の頑張りを認めてもらうことであるとも理解した。


だから、彼女が家事をしなくても私は何も思わない。むしろ家でゆっくりと休んでもらい、また翌日仕事を頑張る体力をつけてほしいと、願っていた。

彼女が家でたくさん睡眠を取っている時が私の何よりの喜びだった。


彼女はいつも「体が強いから大丈夫」と言って、睡眠時間を削ったり、休憩時間を取らずに長時間働いたりしているが、これは危険な働き方だと思っている。

彼女の得意な「その時になったら考える」だが、体を壊してしまっては、「その時に考える」ということでは手遅れになってしまうかもしれない。だから、半分趣味であり半分仕事でもある「お酒」はなるべく控えてほしかったし、家にも早く帰る習慣をつけてほしかった。


でも、彼女にとっては、そのすべてが「自分が求められていない」「認められてない」と、感じてしまったのだろう。


私が「彼女のために」と思った行動は、すべて彼女にとっては、「愛されてない」と、受け取ってしまったようだ。


彼女は、どれだけ自分が疲れても、誰かに求められることが嬉しかったのだろう。

私は、その生活スタイルが長く続くとは思えないのだが、彼女は、先の未来の話よりも「今」を一番大切にしているようだった。

私もそんな彼女の「今」を大切にして、彼女の希望通りに、もう少しだけフォローしてあげたら良かったな。と、泣きながら話す彼女の顔を見ながら、ずっと考えていた。


今さら、こんなことがわかっても、私たちの関係がもとに戻ることは二度とない。

今となっては、「どうして」そういう結末になってしまったか「答え合わせ」ができるが、その当時の私たちにとっては、何が正解で、何が不正解だったかなんて、わかるはずもなかった。

せめて私たちにできることは、これから訪れる未来に向けて、この経験を活かすことだけだろう。

彼女たちの「今」が正解かどうかを「答え合わせ」するのは、まだずっと先になると思うが、その時に「良かった」と思える生き方を、どうか二人で探していってほしいと願う。そのための手助けとなることが、今の私の「喜び」だから…


ひとしきり、お互いの過去への懺悔を終えたころには、窓の外の雨はすっかりとあがっていた。

別れ際に、私は彼女になんと伝えるべきか言葉のチョイスに頭を悩ませた。


「またね」というのも何か違う。

二度と会わない。と、いうつもりはないが、ニュアンスとしてはどうにも軽いように感じてしまう。彼女にはすでに新しい生活があるのだから、さすがに友達のように気軽に会おうとは思えない。


「さようなら」というのは、少し重すぎる。

これでは、今生の別れになってしまう。事実、ほとんど会うことはないのだろうが、わざわざ言葉にして相手に伝える必要もないだろう。


それでは「ありがとう」がいいだろうか?

それとも「元気でね」がいいだろうか?


そんな些細なことを真剣に悩んでいると、彼女はカバンから何かを取りだして、「それ」を私に差し出した。


「遅くなってごめんね…」


「それ」は、たぶん二度ともらえないと思っていた、彼女から私への最初で最後の手紙だった。


次回 最終話:一人暮らしと「手紙」

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