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第9話 離婚と「結婚指輪」
私の結婚指輪は錆びついている。
これは、比喩ではなく、実物として錆びている。
妻と結婚指輪を買いに行ったとき、
彼女は、何か違う...と言っていくつもの店を回った結果、
結婚指輪らしからぬ可愛い指輪を選択した。
結婚指輪は、デザイン的には華美ではなく控えめなものが多い。
妻は、イマイチ心がときめかなかったようだ。
私もそういう「モノ」に執着しない性格だったので、
結婚指輪に近いデザインの、シルバーの安い指輪をひとつ買った。
買ったのだが、私は、何か必要がある時以外はつけることがなかった。
装飾品などが、あまり好きではなかったからだ。
「目に見えるものがなくても、愛情は続けていくことができる」
そんな考えで、普段から指輪をつけないでいるうちに、
いつの間にか、「結婚指輪」、のようなものは、
サビがどんどん深まっていき
すでに取ろうと思っても取れなくなっている。
不倫が始まったとき、妻の首元からネックレスが外された。
最初は、ネックレスを外しているだけだったが、彼女が持っていても、もうつけることはなさそうなので、私が預かりたい。と、申し出た。
そのネックレスは、付き合い始めたときに購入したもので、それから6年間、ずっと妻の首元につけられていたものだ。いざ、その居場所がなくなると、なんだか急に大切に感じられた。
次の日から、妻の首元には、新しい別のネックレスが輝いていた。
ネックレスが無いことに気づいた不倫相手が、すぐにプレゼントしてくれたらしい。
当たり前のようにその場所にあったものが変わっているのを見たとき、装飾品の持つ意味の大きさを、人生で初めて理解した。
私は、モノに執着しないタイプだった。
子供の頃から、おもちゃや、カードなどをそろえることにまったく興味が無かったし、ましてや服・靴・時計などについても興味がわかない。
趣味のゲームの中でも、ポケモンを全種類そろえるまでゲームを続ける意味がわからなかったし、性能が同じなのに色違いやイラスト違いのポケモンを集めるなんて、もっと意味がわからなかった。
「自分がわからなかった」ので、妻には、あまりカタチに残るものをプレゼントしていない。
今思えば、もっと目に見えるような、カタチに残るようなプレゼントをしておけば良かったと後悔している。
そのモノを見たときに、送られたヒトや、そのキモチを思い出す。
だから、夫婦はお互い結婚指輪をつけているのか。なんて、今さらながらにその意味を理解した。
部屋の掃除と並行しながら、それからの私はできるだけ、妻の生活にリズムを合わせるようにした。
私は早寝早起きタイプだったのと反対に、妻は夜更かしするほうだった。
私は12時までに寝ることが多かったのだが、それからは妻に合わせて、2時・3時まで起きるようになった。
ついでに彼女の好きなワインも一緒に飲むようになった。
私はお酒が得意ではなかったのだが、妻がいつも何を思い、どのように過ごしていたのかを知りたくて、真似できることは、できるだけ真似をしてみた。
3月は、仕事なんて、実は全然していなかった。
私は自営業なので、正直、仕事の量やタイミングは、自分で自由にコントロールすることができる。
お金を支払ってくれるお客さんを蔑ろにするわけではないが、私は普段では考えられないほど雑に、仕事を周りに投げていた。
会社のスタッフには、申し訳ないと思う。しかし、それでも、私は残された時間を、妻と1秒でも長くいるために使いたかった。
妻と長い時間を過ごすようになり、いろいろと会話をするようになってから、二人の関係性は、だんだんと良くなっていった。
最初は、不倫をしている後ろめたさからか、私とは微妙な距離感だった妻も、不倫をする前と同じか、むしろそれ以上の関係性に戻っていった。
2月は、2日に1回程度だった泊りの回数も、1週間に2回程度にトーンダウンしているし、夜中に泣き出すことや、不倫相手との電話の回数も減っていっている。
不倫なんて、最初に燃え上がっているうちが楽しいもので、最後は思ったよりあっさり終わるものなのだろうか?
私は、「もしかして」の可能性に、かすかな期待を寄せていた。
「それで、離婚する日なんだけど、4月1日なんてどうかな?」
ある日、妻から提案された。嘘みたいな提案だ。
私は、離婚することについては、変わらず了承しているが、不倫相手が先に離婚をすることについてだけは譲れなかった。
相手方の離婚の話は、何一つ進んでないし、一緒に住む物件も、まだ候補すらあがっていない。
これからひと月もない期間で、事態が進むとは到底思えなかった。
「特に理由が無いなら、結婚記念日がキリが良いと思うけど」
私は、とりあえず少しでも先延ばしするべく提案をした。
ベタだけど、私たちの結婚記念日は、良い夫婦の日。
それは、4月22日だった。
この日で、ちょうど5年間の結婚生活となる。
しかし、私の提案は、まったく受け入れられなかった。
私たちが先に離婚することのメリット・デメリットを丁寧に説明したが、彼女はまったく話を理解してくれない。
私の「最後のお願い」だから。と、伝えてもその願いは届かない。
「これは、もう、ダメなパターンだな。。。」
またケンカをしてしまうのが嫌なので、私は、4月1日の離婚を了承した。
せっかく良い関係に戻れたと思っていたのに、結局、私の希望は、後回しにされたのだ。
「でも、それがともえちゃんだから」
彼女の親友の真凛(マリン)ちゃんの声が頭の中で聞こえた。
マリンちゃんは、うちの妻の高校時代からの友人だった。
うちの妻が絶対的な信頼を置いており、何かあれば、いつでも最初に相談する間柄で、私たちの結婚保証人でもある。
マリンちゃんは現在、旦那の仕事の関係で千葉県に住んでおり、結婚した時には、マリンちゃんの家まで結婚報告がてら、遊びにも行っている。
今回の件で、メンタルを良好に保てたのも、実はマリンちゃんの存在が一番大きい。
妻の友人は何人もいるが、高校時代からの妻をずっと知っているのは、マリンちゃんだけだ。私が今回の件で、不安や愚痴などを相談するたびに、私と同じ意見を持ってくれて、私にとって唯一の味方のような気がしていた。
今回の件があってから、昔からうちの妻がどういう性格で、どういう恋愛経験を積んできたのかを、いつも詳細に教えてくれた。そして、彼女の行動をいくつか話し込んでいくうちに、最後に笑い話として出てくるのが「でも、それがともえちゃんだから」だった。いつしか二人の合言葉みたいになっていた。
この一言がすべてだった。
彼女は昔から変わらない。
変えようと思っても、変えられない。
そんな彼女を理解して、受け入れるべきは、こちらだったのだ。
それからの私は、なんだか肩の荷が下りたような気分になった。
彼女が望むのだから、無理にこちらの希望を通す必要はない。
彼女がやりたいことを、やりたいように支えてあげるのが一番なのだ。
正直、私には冷たいように思えるし、かなりリスクが高い行動だと思う。
でも、それが、ともえちゃんだから。
彼女が彼女らしく生きられるように、残り僅かな期間、私は彼女を見守ろうと決意した。
私の結婚指輪はさびついていた。
いまさらだけど、薬品を使って、サビを落とした。
磨いてみれば、意外にサビは落ちるものだった。
落ちないと思っていたのは、
全部自分の都合の良い思い込みだった。
それから指輪も毎日つけるようにした。
だからといって、何が変わるというわけでもない。
残り短い期間だけでも、
夫婦らしい夫婦を目指してみようと思った。
次回 第10話 離婚と「こどもと直接対面」
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