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第4話:離婚と「ケンカの仕方と納め方」

「私の話をいつも真剣に聞いてくれなかった」

「私のことを全然愛してくれなかった」

以上が、妻が私に伝えた離婚理由だった。


前者については、心当たりはある。

ツイッターでの発言を見ればわかるとおり、基本、私はふざけている。

おおよその出来事について、斜め上からの発想を楽しんでばかりだ。

でも、かと思えば、核の話になると急に真剣さと勢いが増す。

この激しい落差は、苦手な人にとっては、戸惑いを覚えるかもしれない。

後者については、言われて少しショックだった。

公開ブログで書くのも恥ずかしいが、少なからず、私は妻を愛していた。

5年経っても、「好き」という言葉は、ほぼ毎日伝えていたし、美味しいものが好きな妻のために、時間がある時は、いつも新しいお店に連れ出していた。

ツイッターにあげていた写真の90%は、実は妻との外食だ。


ただ、「愛されていない」と感じる妻の言い分も、正直理解はできる。


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「ペンは剣よりも強し」

新聞などの報道機関は、軍隊よりも影響力がある。と、いう言葉だが、シンプルに「言葉は暴力に勝る」というニュアンスもある。


先日、よつばカフェで「もっとキャストさん個人でSNSをやらせたほうが良くない?」と、話していたところ「SNSは、喜びの言葉を受け取る嬉しさもあるけど、それ以上に悲しい気持ちになることが多いからやらせたくない」という話だった。


長年ブログを書いている私も、このことはよくわかっている。


よくわかっているのだが、今回、妻側が私と離婚した背景は、「言葉の暴力」だった。


この点については、ひとつも異論がない。


前々から離婚をしたかったであろう妻は、いつしか私とのケンカの音声を録音していた。そこに録音されているのは、ワイドショーで放映されたら、最高の視聴率が取れそうな、とても恐ろしい内容だった。


ただ、もっと恐ろしいのは、この言葉を「ついカッとなって」浴びせたのではないところだ。

いたって冷静に「相手を刺そう」と思って言葉のナイフで刺している。

アドラー心理学風に言えば、「カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。相手を支配するために、怒りという感情を創り出し利用した」のだった。

別に怒ってなんかいなかった。

もう、私に残された手段は、それしかなかったのだ。。。

自分の妻で一番困った点は、「意思の疎通と共有ができない」という点だった。


何か事件があったときに、私はいたって普通に自分の希望を伝えていた。

原因を一緒に考え、その対策についてもこうしよう。と、具体的な行動内容を伝達した。

しかし、妻は何度一緒に考えても、行動に変化はなかった。

普段は気を付けているので大丈夫だが、少しでもイレギュラーなことがあると守れなくなってしまう。常に最高のケースで予定を立ててしまうのだ。

「何かあるとは考えない」

考えるのは、

「何かあってからで十分だ」というスタンスだった。

念のためだが、私自身は対人営業としてそれなりの経験を積んでいる。

また、新人採用から育成まで担当していたので、コミュニケーションの知識については、一般より豊富にあると思う。

褒めてみたり、情報量を変えてみたり、言い回しを変えてみたり、理由を伝えたり。

自分のできることは、できる限り試してみた。

それでも、結果はいつも同じだった。

タイムリープもののアニメを見ているようだった。



同じことを何度も繰り返していくうちに、だんだんと「話し合いすらできなくなっていった。

こちらからの質問に対しては、ほとんど答えてくれない。

「仮定の話にはお答えできない」

家庭内で、国会の討論をしている気分だった。

最後のほうになると、私が話す内容を、ただ相手が一方的に泣いて聞いているだけで、あまりにも非対称すぎる話し合いになった。

オープンクエスチョンから、選択肢を絞り込んだクローズドクエスチョンまで様々な手法でコミュニケーションをはかるが、妻はいつも泣いているばかりで、返事や前向きな対策を出してこない。


考える時間が必要なのかな?と、思って待てば、永遠に続く沈黙。

妻は何時間も泣き続けていたが、泣きたいのは、こちらも同じだった。


朝帰りをしたくらいで、そこまで話し合う必要もないんじゃない?

と、いう考えもあるかもしれない。


正直、前に述べた通り、12時という時間に根拠はない。

深夜1時に帰ろうと、朝方4時に帰ろうと、たぶん同じだ。


ただ、これは、「静かな戦争の一環」だと私は思っていた。


どこまで相手の希望を飲むか?

どこでお互いの意見に折り合いをつけるか?


「悪いと思ったら必ず謝る」

「ケンカは翌日に持ちこさない」

など、幕引きのためのルールはいくつでも作れるだろうが、一番大切な根幹の部分については、最終的にどちらかが折れざるを得ない。

うちの家庭の仲直りの仕方は、普段はほとんど料理をしない妻が、その時だけは、料理を作り、それを食べる。と、いうケースが多かった。

しかし、このときばかりは、私は妻の料理を食べなかった。

理由は、「今後のことについてどうするか」という根幹の部分が何も解決されていないから。

妻は確かに毎回謝ってはくれるのだが、何が悪くて、今後どうするか?の点については、ほとんど約束をしない。

私は自分で買ってきた、スーパーの売れ残りの半額弁当を、妻の出来立ての料理の目の前で食べていた。

妻はめったに料理をしないが、料理の味は抜群だ。

ただでさえ美味しくない弁当が、ことさら美味しくなくなった。

人生で、一番不味い味だった。



なんてひどい男だろう。

当時の妻の気持ちを考えると、胸が苦しくなる。

ただ、今まで、ずっと、何度も、譲ってきたと感じている私にとっては、これは最後のラインだった。


うちの妻にとっては、「どうして好きなのに、私のことを受け入れてくれないのか?」と、いうスタンスだった。

彼女の言い分はわかる。

ただ、そこに行くと、もはや話し合いは続けられない。

彼女と話し合いをする時、自分が嫌いになるから嫌だった。

彼女といると、いつも自分の嫌な一面ばかりを引き出してしまう。


当たり前だけど、相手を怒りたいわけでも、支配したいわけでもない。

相手と、一生を共にしたい。と、考えてるから伝えているのに、そこに「愛情を感じれなかった。」と、言われたらとても辛い。


ふと、ずっと昔に彼女を怒っていた、お局様を思い出した。

あの頃は、立場が違っていたので彼女をかばうことができた。

やっぱり会社という存在は、最後に頼れるので気が楽だ。


ただ、ひとりで会社を回している経営者としては、

すべての結果を共にするパートナーとして、彼女を受け入れることができなかった。

「私がこういうスタイルであることはわかっていたはずでしょ?」

と、言われればわかっていたし、

「そもそも、会社をやめて自営業をするなんて聞いてない。」

と、言われれば、まさにその通りだ。


もう、離婚を回避するのは無理なんだろうな。と、直感した。


「ボクの妻と結婚してください」と、いう小説があるが、いきなり彼女をひとりで放り出すのも忍びない。

寂しさもあるが、絶妙のタイミングで良い相手と巡り合えたものである。


目の前の妻が好きな男と、目の前にいない別の男が好きな女。

それから40日後の離婚に向けて、奇妙な共同生活が始まった。


次回 第5話 離婚と「引き留め」

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