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今井加子のかいころく

                             尾仲 水太

 透明なグラスにミルクティーを注ぐ。半分ほど満たしたところで私は紙パックを横に置き、冷たいボウルと持ち替えた。
 水に浸して一晩寝かせたタピオカを少量ずつ投入すると、薄茶色の中に黒い丸が沈んで、重なっていく。テレビでよく見るタピオカミルクティーの完成だ。
「あとはこれをつけて……っと」
 直径太めのストローにはマジックペンでハートを足して、私の正面に来るように位置を調整しつつグラスにさす。そして、ややのけぞった体勢でスマホを構えて、親指と人差指で作ったハートを画面に写り込ませる。
パチ、パチ、パチリ。シャッター音が鳴り響く。
 ただ撮るだけではつまらないから、フラッシュを焚いてみたりフィルターをかけてみたりと色々試してみる。
 そうして、手ブレや影で使い物にならなくなった写真を消去し、最も映えそうな一枚を選ぶのだ。
『おうちで手作りタピオカなう』
 コメントと一緒に関係ありそうなハッシュタグを手当たり次第にくっつけて、投稿ボタンをタップ。二十五平米のワンルームから世界に向けて自分の〈今〉を発信する。
 私は、この瞬間がたまらなく好きだ。
 特別な自己表現をしているような気分になるから。
 投稿から一秒、二秒……。さすがにまだ反応はない。
 分かっているのに期待は膨らむばかり。タイムラインを更新する手が止まらない。スマホをテーブルに伏せてみたけど数秒後には気になって、結局また覗いてしまう。
 置いて、覗いて、また置いて……を繰り返していたそのときだ。
 携帯が震えた。バイブレーションと共に電子音が鳴って、通知が表示される。
 いつも話しかけてくれるフォロワーさんからイイネと一緒に『美味しそうですね! ピンクのネイルも可愛いです!』のリプライ。
 私はすぐさま指を動かして『ありがとうございます! 全部百均で揃えたんですよ~』の返事と、ちょっととぼけた表情のカワイイ顔文字を打ち込んだ。ついでに貰ったコメントにイイネをつけておく。後で見返せるように。
 ふふ、さり気なく写り込ませていた指先のオシャレにも気付いてくれるなんて、さすがはフォロワーさん。ちゃんと見ていてくれて嬉しいなぁ。
 その後も少しずつイイネがついて、私の日常が拡散されていく。
 リアルタイムで数字の推移を眺めていられるのがこの時代の良いところなのだろう。

 目の前で増えていく評価に思わず頬を緩めていたら、唐突にチャイムが私を現実世界に引き戻した。慌ててスマホをポケットに突っ込んで玄関へと急ぐ。
「……? はぁーい、今行きまーす」
 宅配便だろうか? 通販を使った覚えはないけれど。万が一の事態に備え、チェーンをかけたままドアノブに手を伸ばす。
 開けた扉の向こうには、二人の女が立っていた。
 片方は長い茶髪を波打たせた派手な人。もう片方は黒髪ボブで、釣り鐘のような帽子を被った大人しそうな印象の人だ。どちらも初めて見る。けれどなんとなく、私は二人が誰なのか分かるような気がした。
「アンタが《平成》のトレンディーギャル?」
 派手な方が表札と私の顔を見比べながら問う。一瞬なんのことか分からなかったが、私を指す《平成》の、という呼び方には聞き覚えがあった。黙って頷き、静かにチェーンを外して招き入れる。
「お邪魔いたします」
 大人しそうな方が一礼して敷居を跨ぐ。赤い靴を脱ぎ揃える仕草は、まるでどこかのお嬢さんみたいだ。対して、派手な方は半ば放るようにハイヒールを脱いだ。……あんまり頓着しないタイプのようだ。
「どうぞ、狭いとこですけど」
 我が家はワンルームなので、玄関からリビングまでそう距離はない。ほぼゼロだ。
「なぁにこれ、モノ少なすぎじゃない? どうやって生きてんのよ」
 派手な方が目を丸くする。嫌味というより純粋に驚いているような口振りだ。まぁ、物が少ないのは否定しない。最近は服と雑貨くらいしか欲しい物がないし、車や自転車は持つのが面倒くさい。
「まぁ、まぁ、これが《へいせい》のお部屋……わたくし、胸が弾んでしまいます! なんとモダンでいらっしゃるのかしら!」
 大人しそうな方は興味津々といった様子で室内を見回している
 ……どちらにせよ恥ずかしいからあんまり見ないでほしい。
 けど言葉は心の内に留めておくことにしよう。あまり見る機会もないのだろうし。私は取り敢えず二人をテーブルに案内した。クッションは一人分しかないから、ラグマットの上に直で座ってもらう形になる。
「……なにこれ、ナタデココ?」
 派手な方がテーブルの上に置きっぱなしのタピオカミルクティーを見ながら訊ねてきた。タピオカですよ、と答えても二人はピンときていないようで、不思議そうにグラスを眺めている。
「よかったら、飲んでみますか?」
「あら、いいの?」
「よろしいのですか?」
 どうせ一人で飲むには多いのだし、三等分すればおやつぐらいにはなるだろう。写真映えを気にしない、安いプラスチックのコップを二つ用意して、お茶の代わりに分けたタピオカを二人の前に出した。
 三人で一杯のタピオカミルクティーを分け合うなんて、中々ない機会かもしれない。モチモチの食感を少し楽しんでから、私は二人が飲み終わるのを待って本題を切り出すことにした。

「……一応、確認させてください。私が《平成》の今井加子だと知っているってことは……」
「そ、アタシは《昭和》の今井加子。で、こっちが……」
「《大正》の今井加子でございます。以後お見知り置きを」
 派手な方、改め《昭和》の今井加子が隣の大人しそうな方……《大正》の今井加子を指で示す。
 やっぱり。それなら変わった服装にも説明がつく。彼女達はそもそも生きている時代が違うのだ。
「ふーん。アンタがこの時代でいうナウなヤング……ねぇ。随分と地味になっちゃってまぁ。なに着てディスコとか行くワケ?」
「ディスコ……? や、そういうのは行かないです」
「おったまげー! じゃあアッシーは? メッシーもいないの?」
「あ、あっし……?」
 怒涛の死語攻撃に怯む私と《昭和》の間に《大正》が「まぁまぁ」と割って入る。
「モダンガァルはその時代を映す鏡、時が移ろえば人々の好みや生活様式も変わるものでございましょう」
「……ま、それもそっか。アタシ達ってのは、そういう存在だものね。で? アンタはどこまで理解してんの、《平成》?」
「は、はい。私……いえ、私達、ですね」
 テーブルを挟んだ向かい側には綺麗に正座する《大正》と胡座をかく《昭和》がいる。二人へ順番に視線を向けて、私はゆっくり口を開いた。
「〈今井加子〉は時代を映す鏡、その時代の〈今〉を繰り返し生きる存在……というのは、私が発生した頃からなんとなく知っていました。誰に教えられたわけでもなく、そういうものだと理解していたというか……」
「そ、なんつーの? 都市伝説みたいなモンよね、アタシ達って」
「特定の父母から生まれるのではなく、その時代に形作られた流行から自然と生れ出づる象徴。人の形をした人ならざる者……かくいうわたくしも、いつのまにやらモガとしての振る舞いを身につけておりました。きっと、大正の世がそれを望んだからなのでしょう」
「もが? コーヒーの一種かなにかですか?」
「モダンガァルの略称です」
「アンタは覚えてないだろうけど、昭和から平成に変わったとき、一回会ってんのよ? アタシと」
 《昭和》がビシっと私を指差す。え? 初耳なんだけど?
 感情が顔に出ていたんだろう。《昭和》は茶髪の先をクルクルと指に絡めながら、呆れたような目を向けてきた。
「そうなんですか?」
「時代ってのはグラデーション。こっからここまでって簡単にボーダー引けるもんじゃないわ。引き継ぎが必要なのよ、仕事と同じでね。……ま、アタシも《大正》ちゃんと会ってたこと、ついさっきまで忘れてたから人のこと言えないんだけど」
「わたくしたち〈今井加子〉がおのれの時代と異なる時代を訪ねるには、その時代の〈今井加子〉と接触せねばなりません。されど、時代の流行とは時間をかけて作られるもの。自我が芽生えるまで時間が必要なのです。だからでしょう、初期の記憶が曖昧になってしまうのは」
 《大正》の補足に思わず「なるほど……」と頷く私。よく見ると《昭和》も初めて聞いたような顔をしている。知らなかったんかい。

「あれ? ってことは、今日お二人がウチに来たのって……」
 少し考えて、私はふとあることに気付いた。壁にかかったカレンダーへ目を向けると、夏らしいヒマワリの絵と令和二年七月の文字が目に入る。……そうだ、もう今は、令和の時代だ。
「……ご明察、代替わりの時期でございます。《へいせい》さん」
「そっか……もうそんなに経ってたんですね。三十年ちょっと、長かったけど……今思えばあっという間だったかも」
 代替わりを終えて〈今〉の象徴でなくなったら、私はもう一度この時代の最初に戻って、終わらない〈今〉を生き続けることになる。
 同じような生活をして、同じフォロワーさんと出会い、この平成という時代を繰り返すのだろう。
 終わってしまうのは少し寂しい。でも、これでようやく一周目の平成を見守るという、大きな役目を無事に果たせたのだ。達成感と充足感が、私を包んでいた。
「ちょっとォ。最後の大仕事、忘れてるとかナシなんだけど?」
「最後の……?」
 首を傾げる。と同時に、バシンと音を立てて《昭和》がテーブルに手を付き、身を乗り出してきた。《大正》が「まぁ」と呟き、私は勢いに押されて思わず身を仰け反らせる。

「探すのよっ! 《令和》の今井加子を!」

「あ……」
 そっか、相手が此処にいないんじゃ引き継ぎのしようがない。
「でも、探すって言ったってどうやって……? まっ、まさか、ここに住むつもりですか?」
「当たり前田のクラッカー! 他に方法ないでしょーが!」
「そんなぁ! ここワンルームですよ?」
「まぁまぁ《へいせい》さん、お次の……《れいわ》? の今井加子が見付かるまでの辛抱でございます」
 こっちも乗り気だし! どうにかお帰り願いたいけど、二人に話し合いの余地はないようだ。平成の世界が珍しいのか目をキラッキラに輝かせてしまっている。
「……もう、しょうがないなぁ。じゃあ、早速探しに行きますか」
「ヒュウ! 話が早いじゃない。近くに今井加子の気配がしたら引かれ合うハズだから、ついでに街の案内もしなさいよね!」
「こちらの時代のモダンを教えてくださいませ! も、勿論ついでに、でございます!」
 明らかに観光目的じゃない! ……とは、本人達の目の前で言えるわけもなく。
 私はポケットからスマホを取り出して、近くのカフェを検索した。すると、即座に二人が両サイドに寄ってきて小さい画面を覗き込む。興味津々といった様子だ。
「なにそれ、ちっちゃ! それなんて平成アイテム?」
「スマホは……そうですね、パソコンと携帯電話の合体版です」
「ウッソォ!? ハンディーとマイコンが掌サイズ!?」
「で、電話機がこの中に入っているのですか……?」
 それぞれの時代に存在していた物と照らし合わせているのだろう。
 三者三様ならぬ二者二様のリアクションに、もっと色々な〈今〉を見せてあげたくなる。
「折角だし、流行りのカフェでも巡りながら探しましょ」
「パーラー? 良いわねぇ」
「パチンコ屋さんじゃないです」
「やだ、パーラーって喫茶店のことよォ」
「こちらの時代にもカフェーはあるのですね! 楽しみです!」
 スマホに映し出された地図を見せればまた両側で歓声が上がる。
 便利すぎるだのちっちゃいだのと新鮮な感想が交互に飛び交う。
 私の〈今〉にとっては当たり前のことも、彼女達の〈今〉からすれば魔法みたいな奇跡だらけに違いない。

 ……なら、いつか私を過去にするであろう未来の〈今井加子(いま)〉は、どんな世界を見せてくれる?
 
 私は立ち上がって、クローゼットからバッグを取り出した。荷物は財布と鍵とスマホだけ。荷物は少なく身軽に、が私のモットーだ。
「さ、行きましょ!」
 二人に声をかけて玄関へと歩き出す。開いたドアの向こうには、よく晴れた青い空が広がっていた。
 さぁ、まだ見ぬ〈今〉を探しに出掛けよう。

今井加子の回顧録/邂逅録 完


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