見出し画像

砂の果実

                           新谷 佳奈穂

プロローグ

 もうどのくらい歩き続けたのだろうか・・・。僕は砂漠をずっと歩き続けている。ここはどこかも、時間も全く分からない。ただひたすら、砂ぼこりの舞う砂漠、どんよりと曇った空が広がるばかりだ。行くあても分からず、ただ僕は歩き続けている。
 そのとき僕はふと、強烈な喉の渇きをおぼえてその場に立ち止まった。飲み物は持っておらず、水も見つかりそうにない。僕は途方に暮れた。そんなとき、僕の目の前に果実をつけた木が一つあらわれた。急いで僕は木のもとに向かい、果実を一つ木からもぎ取った。僕は、瑞々しい見た目をした果実を一口かじる。しかし、僕はすぐにそれを吐き出した。さっきまで果実だと思っていたものは、砂の塊に変わり、木は無くなっていた。

 僕は夢から覚め、起き上がった。何かその夢に不思議な感覚を抱きつつも、僕は支度を始めた。
 今日、僕は五年の刑期を終えて刑務所から出所する。何度も窃盗を繰り返し、ついに実刑判決が下った日から五年が経った。今度こそ正しい人生を歩む決意をして、僕は外の世界へと出た。とりあえず、住まいと仕事を見つけなければならない。刑務所の勤労作業で貯めた僅かばかりのお金を使い、僕は電車に乗った。そして、僕は小学生のころまで過ごした町へと向かうことにした。その町になぜか強く惹かれ、僕はここならもう一度やり直せそうな気がした。電車に乗りながら、僕はこの町で過ごした幼少期の思い出を頭に巡らせた。
 僕は本当のお父さんとの思い出がない。お母さんは、男癖が悪く付き合っている男は頻繁に変わった。同居したことのある男もいたが、だれも僕に優しくしてくれることはなかった。毎日男には暴力を受けた。僕はその場で、男に抵抗することはできなかった。
「お母さん、助けて・・・。」
その分を、僕はお母さんに助けを求めた。しかし、お母さんは僕を助けてくれることはなかった。
「うるさい! こっちは仕事で疲れているの。」
 むしろ、そう言って男と一緒に暴力を振ってくることが多かった。こんな生活で、僕は家での生活を楽しいと思ったことは一度もなかった。けれど、僕の地獄の生活は家の中だけでは無かった。小学校にあがったとき、不潔な服装だった僕はすぐいじめのターゲットにされたからだ。そんな生活に嫌気がさして、何度も家出を企てた。しかし、頼れる友達、親せきなどおらず結局家に戻るしかなかった。何度も死にたいと思ったが、すべて失敗した。
 そんな生活をしていた僕を、小学四年生の頃救ってくれる存在が現れた。彼女は春、僕の住むアパートの隣に建てられた一軒家に引っ越してきた。同じクラスで、隣の席になり、いじめられている僕を助けてくれた。放課後彼女の家に招待してもらったこともある。彼女と彼女のお母さんは、とても優しく僕にとって親よりも信頼できる人へと変わっていった。しかし、僕はそんな彼女との関係を自ら壊してしまった。小学六年生のとき、女子である彼女に助けられることが恥ずかしく感じ、
「僕の事はもうほっといてよ。お節介だから。」
 いつものようにいじめられていたとき、助けようとしてくれた彼女をそう言って拒絶してしまった。このとき、彼女に向けて言ってしまった言葉を僕は今でも後悔している。ずっと謝りたいと思っていた。しかし、お母さんに新しい彼氏ができ遠くへと引っ越してしまったため、この町を再び訪れることはできず、彼女には今でも謝ることができてない。彼女との思い出は、あの言葉を言ったあとの彼女の悲しい顔を見たところで止まっている。そんな思いが、今僕をこの町へと向かわせているのかもしれない。

 電車が町に到着し、僕は電車を降りた。改札を出ると、一八年前よりも大きな建物が並び、変わった街並みがそこにはあった。僕はなつかしさよりも新天地に来たような緊張感を抱きつつ、まずは職を見つけるためにハローワークを見つけて中に入った。前科持ちであることを正直に担当してくれた人に話し、職を紹介してもらうことにした。住む場所もない僕の事情を考慮し、住み込みの仕事をいくつか紹介してくれた。面接に行き、しばらくして一つ前科があることを承知で、雇ってくださるところが見つかった。僕は予想よりも早く職に就けたことが嬉しくて、辛い土木作業がたくさんあったが一生懸命働いた。しかし、僕は先輩によるいじめに悩むようになる。誰かが僕を前科持ちだと言いふらしたこともいじめの原因のようだ。僕は先輩からのいじめに必死に耐える日々を過ごした。出所した日、
「今度こそ、正しい人生を歩む。」
 と決意したのだ。過ちを再び起こさないために、僕は頑張って毎日働き続けた。中学卒業後家を出て、定時制高校に通いながら働いていたときは職場と高校両方でのいじめに耐えられず、辞めて生活に困窮し窃盗を繰り返して逮捕された経験も、僕をこんな気持ちにさせたのかもしれない。
 そんな日々を過ごしていたある日の夜、僕は夢を見た。僕は夢の中でまたあの砂漠にいた。しかし、前の夢と違い砂漠を歩く僕を待つ女性がいた。僕はその女性が彼女のような気がした。彼女は何かを言っているが、何を言っているのか全く聞き取れなかった。そこで僕は夢から覚める。こんな日が何日も続いた。しかし徐々に彼女の言葉が聞き取れるようになっていった。
「わ・・・・・・・・・・・・・・・・ら。そし・・・・・・・・・・・・・・る。いつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で。」
 というように、最初は一部しか聞き取れなかった彼女の言葉は、
「私、あなたのことが今でも好きだから。そして、あなたのことは誇りに思っている。いつまでも、あのときのことで後悔しないで。」
 と、次第に聞こえるようになった。夢の中、僕は彼女の言葉に涙を流す。すると、彼女は僕にそばの木から、果実をもぎ取り渡した。口に含むと、じゃりじゃりとした食感が口の中に広がる。けれど、僕はそれを全て食べた。そして、僕は気づく。この果実は、僕の思いそのものだと。ここから消えたいと思うが、家出や自殺はすべて失敗。生まれてこなければ、こんな思いをすることはなかったと絶望した。そんな僕の思いがこの果実には満ちているような気がした。そんな僕を見て、彼女が微笑む。その笑顔は、僕の背中を押して勇気づけているような気がした。
 そこで、僕は夢から覚めた。口や手にははっきりと果実の感触が残り、夢だとは思えなかった。今日は日曜日。仕事も休みなので、記憶を頼りにかつて住んでいたアパートと、彼女の家を訪ねてみることに決め、身支度を始めた。


 外に出て、僕はかつて住んでいたアパートと彼女の住んでいる家を見つけようとひたすら歩く。しかし、古い記憶なので全く頼りにならず僕は街中で迷ってしまった。それでも歩き続けると、一つ見覚えのある建物の前に行きついた。それは、僕がこの町にいたときに通った小学校だった。アパートから小学校までは近かったはずだ。僕はもう一度あの頃のアパートを探して歩いた。歩きながら、再び小学生の頃の思い出がよみがえる。そして、夢の中で彼女は
「私、あなたのことが今でも好きだから。そして、あなたのことは誇りに思っている。いつまでも、あのときのことで後悔しないで。」
 と言っていたが、僕は彼女に改めてちゃんと謝ろうと決意した。それが僕の新たな生活につながるような気がした。しかしその一方で、夢の中での彼女の言葉に何か引っかかるようなものを感じていた。そんな気持ちで歩いていると、アパートのようなものが目の前に見える場所に出ることができた。アパートは建て替えられたのかとてもきれいだが、隣には見覚えのある一軒家が建っている。表札の苗字は彼女の苗字と同じだ。アパートはもう別の人が住んでいると思い、僕は彼女がまだ住んでいると思われる一軒家の方のインターホンを鳴らした。しかし反応が返ってこないため、あきらめて帰ろうとしたとき、彼女の家に一人の女性が帰ってきた。僕の姿に気が付き、
「どちら様ですか。」
 と、声をかけてきた。年を取りやつれた様に見える女性に僕は、彼女の母親の面影を感じた。僕が、
「突然訪問して申し訳ありません。小学生の頃、この家の隣のアパートに住んでいて、ここの家の娘さんと同級生だった者です。」
と言うと、女性は僕の姿に何か思い当たる節があるような顔をした。そして、
「もしかして・・・・。」
 と言って僕の名前を答えた。女性はやはり彼女の母親であった。僕は、ずっと後悔していたあの事を謝り、彼女の母に彼女に会いたいと伝えた。彼女の母親は、怒らずに許してくれた。しかし、彼女の話になると顔が暗くなり、突然泣き始めた。僕は彼女の母親がなぜ泣いているのか分からず、その場に立ち尽くした。しばらくすると、彼女の母親は少し落ち着き、僕に彼女に会う覚悟はあるか聞いてきた。僕の心は、彼女にもう一度会いたい気持ちでいっぱいだった。僕は彼女の母親の運転する車に乗り込み、彼女のもとに向かった。着いたところは病院だった。案内された部屋で彼女は眠っているようだった。しかし、顔には血の気がないように見える。彼女の母親が重い口を開く。
「ずっと重い病気を患っていて、入院していたの。数週間前から、容体が悪くなって、昨日亡くなってしまったわ。」
 そう言って、彼女の母親は再び涙を流した。僕の目にも自然と涙があふれる。そして彼女の母親から聞いた話によると、彼女の容体が悪くなった日と、僕の夢に彼女が現れ始めた日は一致していた。これは偶然ではないような気がした。夢の中で、彼女は僕に最後のメッセージを送ってくれたのかもしれない。そんな気がした。僕は彼女の冷たい手を握って、謝った。そして、こんな僕を思ってくれた彼女に感謝を伝えた。夢の中でのことが本当であるならば、謝る必要はないかもしれない。しかし、僕の中でしっかりと彼女と別れるのに必要な気がした。
「小学校六年生の時、ひどいことを言ってごめんなさい。こんな僕だけど、ずっと思い続けてくれてありがとう。」
 小学生の時の彼女との思い出が、次々と頭の中で蘇る。彼女の恋心に気づかなかった僕は、鈍感だ。もっと早く彼女と再会できていたら・・・・。そう思うと、後悔の念が沸き上がってきた。けれど、そんな僕の思いも穏やかな顔で眠る彼女の姿に徐々に和らいでいった。僕は、彼女の気持ちを心にとめて生きることに決めた。それが彼女を一番喜ばせることができる方法のような気がした。
 帰り際、彼女の母親から葬儀の案内をされた。しかし、礼服も持っておらず、香典として必要なお金もなさそうだった。それを理由に参列を断ろうとしたら、彼女の母親が家にある古いので良ければ貸すと言ってくれた。そして、僕の今の状況を知って
「香典は無理だったら大丈夫よ。」
 と言ってくれた。僕はそんな彼女の母親の気持ちに甘え、礼服を着て無事に葬儀に参列することができた。僕は彼女の母親に深く感謝した。
「彼女たちと出会えて、本当に良かった。」
そう思えた日だった。


エピローグ

 それから僕はより一層、仕事に励んだ。先輩からのいじめも相変わらずあったが、僕が一言
「やめてください。」
 と勇気を出して言えたことで、徐々に落ち着いていった。新たな社員が入ってきて、いじめのターゲットが変わったことも関係しているかもしれない。そんな状況の中で、僕は新入社員をいじめから助けることを心がけた。あの頃の彼女がしてくれた行いを僕が今度は返す番だと思って、日々行動した。初めて、毎日が楽しいと思えるようになった。
 そして、それからも彼女の家との交流は続いた。お線香をあげ、彼女に日常のことを報告する。写真の中で、彼女の笑顔はまぶしく輝いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?