見出し画像

小学生時代の罪の意識

先週末、同窓会でもないのに、お祭りイベントにかこつけて小学校時代の同級生の大勢に会う機会があり、そこでの話で少し腰を抜かしかけました。

住んでいる地域で子ども食堂の活動をしている同級生の女子の逸話。

その活動の手伝いを、その同級生女子自身の曾孫を連れた孫がやってるとか何とか…。

しばし頭が真っ白。計算が…。暫し熟考。

そっかぁ…。本人も含めて代々の娘が全員18歳前後で結婚して出産すれば、還暦で曾孫がいても孫が実働していても何らおかしくはない。きっと本人の生活力もハンパなくてかなり濃密な人生にもなりそうで、近くにいたら怖いような羨ましいような未知の世界…。

その肝っ玉もパワーも、そこらへんのヘタれ男じゃとても太刀打ちできそうもなくて、ひたすら尊敬します。

しかし、何だ。同級生の孫を見る経験というのもありがたいものだね?

どことなく隔世遺伝してる顔の雰囲気があったりするのを発見してしみじみしたりしてさ。

さて、極端に話は変わりますが、世間ではイジメた方は忘れても、いじめられた方の記憶はなくならないとか言うじゃない? 皆さんはどうですか?

オレは、どちらかといえば、自分がイジメられた記憶より、イジメたりそこに加担してしまった罪の記憶の方が優勢かな? そもそもそこまで苛烈なイジメをやられていないということもあるかもしれませんけど。

ただオレは、一度キレてマジで刃物を刺す気満々に腰だめにして相手を校庭中を上履きのまま追いかけ回した過去を持つヤツだからね。

ちょっとアブナいヤツだからと、周囲から多少は手加減されていたのかもしれません。

いま思えば時代全体の空気というものもあった気がします。食のアレルギーなんて意識など世の中に皆無な頃は、飲めないという児童に無理やり牛乳飲ましたり、食べ残しは罪とばかりに、午後の授業が始まるまで給食を食べさせたりが当たり前の時代。それもどの先生がという話ではなく、世間一般の風潮がそうだった気がします。

終わりの会という午後のホームルームはいま思えば、寄って集っての告発の果てに自己批判を求められる人民裁判そのものでしたし、一見合理的な論拠や証拠か証言さえあれば、指弾、糾弾はやり放題。あの自らが正義としてる側にいた時の昂揚感を経て、その裁判ゴッコの熱狂が去り、ふと冷静に戻った時の達成感にはほど遠い虚しさ、遣る瀬なさ…。学生運動が凄惨な内ゲバの末に市民の支持を失い下火になる過程と同様の、多くの人の気持ちの変遷がそのような経験からあの頃の子供たちの心にも去来していたような気もします。

あの時、オレは直接手を出さなくても、イジメてもいいというまわりの空気を作ること自体には確かに加担していた。

それこそ、子供特有の虫の手足を遊び半分でもぎ取るような残酷さを己の内面に確信的に抱えたまま。

そんな心の醜いガキだったとオレは、古い友人と過ごす楽しい時間に触れるたび、懐かしさに溢れた過去をただ美化するだけの自分ではいたくないと常に心のどこかで戒めています。

小中の時は有り体に言えばそんな感じですが、コレが高校になるとまた違って、肥大した自意識ゆえの過ちが増えて、それで誰かしらに迷惑かけたことを夜ごと思い出すたびベッドでうつ伏せになってバタ足するような感覚で猛烈に後悔することばかりなんだな…。

高校でオレは小中時代とは打って変わって、自意識過剰の裏返しで表に出ることを極端に避けるような陰キャの道をひたすら歩んでいましたからね。それゆえ、ほとんど誰もオレのことなんて気にしてないし覚えてないだろうしさ。いわゆるスクールカーストの最下層民ですよ。まじダサダサの暗黒時代。頭もどうかしてるし。

何にせよ今後に同窓会があったとしたら、いつの時代にしてもオレの頭の中は会ったら謝りたい人のリストとお詫びの言葉でいつも目一杯です。

https://ma-ya01.com/do-not-match-old-friends/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?