誄の傍ら

※憎愛の誄詞の別視点となります。当該ページはこちら

今日俺は死んだ。最後に見えたのは、泣きながら、いつも使っていた包丁を突き立てたお前だった。
その時、俺は走馬灯のごとく湧き上がった記憶の乱立に思わず泣きそうになってしまう。

死ぬ間際にして全てを思い出すことになるなんて、どんな皮肉なのだろうか。今まで、お前から受け取ったものを忘れ、挙句お前が最も傷つく言葉を吐いてしまうなんて、俺は殺されて当然の男だろう。
それなのに、どうしてお前は泣きながら俺のことを抱きしめてくれるのだろう。半ば消えかけた灯火の中そんなことを思っていると、必死に懺悔する声だけが耳元でこだまする。

謝らなくていいんだ。この状況を作ったのは紛れもなく俺自身なのだから。むしろ、謝りたいのはこっちの方だ。
お前のことは一番、分かっているはずだったのに、最後にはお前の存在すらも認識できなくなっていた。

きっと、お前は「病気が原因だから」と言って笑ってくれるだろう。けれど、俺にはどうしてもこの記憶障害が病だけだとは思えなかった。
恐らく、怖かったのだ。結局お前とともに道ずれの人生を歩んだという事実が、たまらなく恐ろしく思えたのだ。

でもそれは、お前といる時間を否定するものではない。それだけは決して忘れないでほしい。今まで共有してきたものは確実に俺の人生においてかけがえのないものだった。
しかし、それと同時に、俺は社会的弱者としての側面を持っていることに強烈な恐怖を抱いていたのだ。もし、男性同性愛者などという名前を冠することなく、お前とともに人生を歩めていたら、きっとこんな思いを抱くこともなかった。

それが、この歪とも言える記憶障害を作り出した。
弱者としての自分を受け入れることができず、最も理想とした非現実を自らのリアルだと思い込んでしまった。それ故、最も大切な人を傷つけた。
その存在すらも曖昧にし、狂ったようにお前のことを罵倒した。

「気持ち悪い......」
「なんで俺が男となんて一緒にいる?」
「お前は誰だ? なぜここにいる!?」

生じた言葉は軋轢なんて簡単なものではなく、お前に向けた殺意と表現した方が適切なほどだろう。
だけど、お前はその言葉に必死に耐えて俺の傍らに居続けてくれた。止むことのない暴力と罵倒を「病気だから」と必死に弁護し、「愛」という不確定的なものだけを頼りに俺の介護を続けてくれた。

そんなお前のことを、俺は殺した。
たった一言の言葉だけで、お前を殺そうとした。物質ではないそれは、俺の体を離れた途端刃となってお前の喉元に突き刺さった時に見せた表情は、もはや人ではなくなった双眸の記憶により再生される。

いつも笑っていたお前の面影はもうそこにない。
茫漠と何かを求めるように震えが生じ、表情筋を壊死寸前と言えるほどの強張りを見せ、一際大きな涙をその瞳一杯に浮かべている。
けれどもその表情に、俺はとうとう気づくことができず、お前に最期の言葉を発してしまった。

「知るわけないだろう」

その言葉を吐き捨てた俺は、すぐにぐらりと視界が揺れた。感覚が遮断されたように体全体がリアリティを失い、どぶどぶと流れ落ちる自らの血液が住み慣れた思い出の地を歪めていく。
そこに現実感は存在しなかったが、俺は全てを思い出しお前のことを見据えることができた。

だが、最後に見たお前の顔は凄惨なものだった。
先ほどまで震えていた表情は硬直したように動きを止め、代わりに唇は地震でも起きているかのように震えていて、声になっていない言葉を口走っている。

「ともふみ……僕は…………何をしてしまったのかな……?」

お前にこんなことをさせてしまって本当にごめん。だから、泣かなくていい。泣かないでくれ。

「あんなに愛していたのに……君を……こんな……」

知っているよ。お前がこんな俺のことを、ずっと愛してくれていることなんて、知らないわけないだろう?

「ごめん……本当に、ごめんなさい……今でも愛してるのに……ごめん」

自分を責めることはしないでくれ。悪いのは俺なのだから。
お前を蔑み、お前との時間を否定した。最終的にはお前にこんなことをさせてしまった。それがどうしようもなく苦しいよ。
それに、どうしようもないほど怖い。

此の期に及んで、死ぬことが怖いのではない。
こんなことをさせてしまったお前が、この罪に苛まれ続けることが、堪らなく怖い。
俺の罪を、お前に背負わせてしまうのが怖い。今すぐにでもお前が悪くないと伝えたい。
だけど、既に消えかかった命はそれを許さず、俺は必死にできることを探す。

ふと、辛うじて見えているお前の顔を見ている自分の顔が気になった。
もしかしたら、お前が勘違いするほど憎らしい表情を浮かべてしまっているかもしれない。
だから、俺は最期の力を振り絞ってお前に伝わるような笑みを浮かべてみる。

届いたかな。最期にお前のことを、お前と過ごした時間を、思い出せたことが......。
そして、死んでもお前のことを愛しているということを。


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