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昭和の団地ノスタルジー

私が住んでいたところは、大抵の昭和の団地がそうであったように、広い敷地内に20棟ほどのアパートと100棟ほどの平屋住宅が建っていました。アパートの間取りは棟によって1K~3DKまで様々です。隣接する団地はもっと大規模で50棟くらいありました。

団地の空き地は、一階の住人が庭を作っていいという暗黙の了解があり、我が家も1階でしたので芙蓉や萩、茄子やトマトの野菜類、兄がアゲハ蝶の観察をするためのミカンの木、クリスマスの度に掘り起こすモミの木などを植えていました。母は私と違って植物を育てるのが上手でしたから、どの植木も元気に育っていました。茶道をするので花を分けてほしいと、知らない奥さんが訪ねてくることもありました。

作られた庭以外にも勝手に生えている、というより誰かが種を放置したために育った柿や琵琶の木もたくさんありました。50年前我が家では琵琶を買って食べる習慣がなく、幼い頃の私は作物として作られているとは知りませんでしたので、大人になってお店に並ぶ大きな琵琶を見た時は驚きました。子どもの頃はよく自生している小ぶりの琵琶をとって食べていました。

当時は夏でも今ほど暑くなく、クーラーがある家は少なかったです。どの家も窓を開け放しており、いろんな音が聞こえてきました。ピアノの音もあちこちから聞こえてきました。あそこの子、新しい曲練習してる。ここの子上手いな〜♪ 

ある日、3階に住んでいる高校生のお姉さんが美しい曲を弾いていました。話したこともないお姉さんですが、学区で一番優秀な高校に通っている賢いお嬢さんだと、親が話していたのを覚えています。なぜそんな勇気が出たのか不思議なのですが、そのお姉さんに何という曲か聞きに行きました。シューベルトの即興曲でした。私も楽譜を買い、少しずつ弾けるところを弾いてみたりしましたが、そのうち諦めて忘れてしまいました。

団地の中では、住人の生活が感じられました。遅くまで電気が付いていると、勉強頑張ってるのかなとか、しばらく電気が付かないと留守かなとか、家族でお出掛けしていていいな〜とか。今よりずっと気配を感じることが出来ました。

しとしと雨が連れてくる土の匂い、夕餉の匂いと台所の音、自転車で売りに来る豆腐屋さんのラッパの音(団地は反響するので音を頼りに豆腐屋さんを見つけるのはなかなか大変でした)、夕方に鳴るトロイメライの時報で家路を急ぐバイバイの声。夜になると遠くの波の音や踏切の音も聞こえてきました。窓の外からいろんな気配や刺激が入ってきました。人々の暮らしがそこにあるという感覚が、今よりずっと強く感じられたのは、時代のせいでしょうかそれとも年齢のせいでしょうか・・・

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