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市民は対立ではなく協調を望んでいる

 私は12年前に宮古島市議選に初めて挑戦し当選することができた。
 その時の政治信条は「保守とか革新とかの組織ではなく、一人の議員として市民と正面から向き合い、市民の為になることを判断基準として、宮古島市のために働く、市民の役に立つような活動をする」というものだった。
 しかし議員活動のなかで様々な選挙活動をするうちに「オールおきなわ」や「ワンチームみゃーく」など組織の一員となり、初心を忘れて組織に甘え、頼り、縛られてしまったのかもしれない。
 そのことが組織に所属しない一般市民に私の訴えが響かなくなり、投票率の落ち込みにつながってしまった、というのが今回の県議選落選を振り返っての反省である。
 私は、宮古島市の将来は一部の人たちが決めるものではなく市民全体で決めるものだと考えるし、そのためには多くの市民が市長選挙に参加し投票率をできるだけ高めることが大事だと考えている。
 しかし現状はかなり厳しく、可能性があるとしたら組織ではなく一般市民を巻き込む選挙戦にするしかないと考えている。
 そこで、早めに動くことで市民に市長選について少しでも関心を持ってもらうこと、まずは一人で動いて一般市民に直接訴えること、を選択した。
 もちろん組織をまとめきれなかった私の責任は大きく、さらには先輩たちが守ってきたオール沖縄の議席を失ったという責任は重大であり、私に対して「県議選の反省もなく無責任だ」との厳しい意見もある。
 ただ、私が組織でなく一人で動くことで市民から期待されるものがある。
 「選挙があるたびに当選した側が優遇され、もう一方は冷遇されるといった政治風土をなくしてほしい」
 まさに、私が忘れかけていた政治信条である。
 みんなが安心して暮らせる宮古島、みんなで豊かになる宮古島、みんなで幸せを実感できる宮古島。
 理想はすぐには実現しないかもしれないが、私は挑戦する。 



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