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鏡の中の僕(短編小説)

 僕はベッドに眠りながら、無意識のうちに手を伸ばした。
何かに触れ慌てて手を引っ込めた。
 
 僕は独身。小さなマンションの一室で過ごしている。
しがないサラリーマンでこれとて特技もなく、スキルアップなどという言葉には全く無縁で、自堕落な生活を旨としている。
ベッドの隣に美人でも眠っていれば、もう少し張りのある生活ができたと思うが、自他ともに認める凡人にも劣る身の悲しさ故、そのようなことは望めそうもない。
 
 僕の手は何に触れたのだろうか?諸君はあれやこれやと想像を巡らすに違いないが、おそらく諸君の憶測は的を射ているとは思えない。
そうなのだ。僕が触れたものは僕自身なのだから・・・。
意味がわからない?それはそうだろう。僕だって意味がわからないのだ。
 
僕が触れた僕はベッドから起き上がって、僕を見てニヤッと笑った。
今から、こいつを会社に連れて行くのだ。
僕の仕事ぶりは半人前だから、こいつを足して、ようやく一人前になると会社は計算している。当然、給料も半分になる。二人で一人分の給料。まあ仕方ないか。
 
 会社に着くと、僕の会社は小さいながらも受付嬢がいて、おはようございますと元気な声で挨拶してくれる。
この声の大きさも二倍になった。そうなのだ。同じ顔をした受付嬢が二人いるのだから。
 
何故、こうなってしまったのだろうか?
あっという間の出来事だった。
 
今年は暑い。近年では毎年のように年間平均気温が上昇している。
その上昇速度は早まり、今年は日本国内でも38度を超える日が続いている。かつてなかった現象だ。
それは日本国内に限ったことではなく、全世界的なことで、地球温暖化が原因と思われる異常気象は森林火災や大洪水、北極圏では氷河の消滅、氷が溶け行き場を失った白熊が絶滅の危機に瀕している。
そのような自然現象は地球の質量変化をもたらしたのだ。
結果、地軸が歪められた。23.4度という角度が固定したものではなく、質量によって変化することは知られているが、21度まで急速に歪められたことが発表された。
 
 僕が異変に気づいたのは、丁度三ケ月前のある金曜日のことだった。
会社に出勤準備のために洗面台に立った僕は違和感を覚えた。
僕は髭を剃るのに剃刀を使うが、髭を剃り終えてシェイビングクリームを温水で流し落としたとき、鏡の中の僕の右頬にクリームが残っていた。
鏡の中の僕の右頬は実際には左頬になる訳だが、僕が左頬を触ってみても何もない。手につくはずのクリームがつかず、鏡の中の僕にはクリームがついたまま。こんなことはあり得ないことだ。
僕が変な顔をしたら、鏡の中の僕も変な顔をした。
僕が手を伸ばして鏡に触れてみると、伝わってきたのは鏡面のガラスが持つ冷たさではなく、人特有の暖かさに触れ、僕は思わず手を引っ込めた。
当然、鏡の中の僕も手を引っ込めた。
それから、鏡に顔を近づけて自分の顔をしげしげと眺めて、それからニヤッと笑ってみたが、その瞬間、鏡の中の僕は笑うどころか口をポカンと開けたのだ。
 
わあ~(これ僕の驚いた声)
 
何なのだ、一体何が起きたのか?
最近みたホラー映画にこんなのがあった。
ついに僕もホラー映画の世界に入ってしまったのだろうか?
 
 僕の心臓の鼓動は早まり、まるで蒸気機関車のように僕は部屋の中を走り回った。僕はまだ、夢の中にいるのだろうか?
それを確かめるべく、再び鏡の前に立った。
 
なんと鏡に映るはずの僕がいない。僕は何処に行ってしまったのだろうか?
これでは髭も自分でまともに剃れない。ヘアースタイルも整えられないではないか。鏡に映らないという恐るべき事実をこのようにしか捉えられない自分が情けなかったが、事実を受け入れるしかなかった。
 
 鏡にも映らない影のような存在の僕を会社は受け入れてくれるのだろうか?不安が頭をよぎったが、出勤するため家の玄関を出た。
当然まともに顔を上げることができず、俯きかげんに歩いているとザワザワと周りが騒がしい。
僕が顔を上げると、昭和の頃に流行った口裂け女らしき女性が目の前にいた。(ネット炎上レベルのかなり失礼な例えをしてしまった)
よくよく見ると口が裂けているのではなく、口紅が唇からかなりはみ出して頬のあたりまで伸びていたのだった。
可哀そうに、その女性は半べそかいていた。
その女性は僕と同じように鏡に自分の姿が映らなくなったに違いない。
鏡に映らないということは窓ガラスにも道にある水たまりにも映らないということなのだ。自分の感に頼るしかない。突然のことで動揺するあまり、出社時間が迫るなか焦る気持でしてしまったのだろう。
反対に同じ顔の女性がお互いの顔を化粧している光景に出くわした。
一体どうなってしまったのだろうか?何なのだ。
 
 会社に着くと社内も混乱していた。僕は自分のデスクにいつものように腰かけたが、向かいの席の三村さんが、いつまでたっても出社してこない。
そして、斜め向かいの同期の遠山君は二人いて、自分の席を取り合っている。僕は頭を抱えてしまった。
 
 突然、社内放送が始まった。
今回の事態について政府の臨時会見が行なわれるからモニターを見るよう促された。社内モニターがテレビに切り替わった。
総理大臣官邸からの中継らしい。
画面には岸谷総理大臣、科学技術庁長官、それに加え大学教授らしい学術経験者が並んでいた。

岸谷総理の会見が始まった。
「今回このような事態が生じた原因について、只今調査中であります。鏡に映らない、また鏡に映った自分が別行動をとるという常識の範疇をはるかに越えた現象は日本国内に限られたことではなく、全世界的に繰り広げられている現象であることをまず報告致します。米国とも情報共有しながら今回の原因と解決策を模索中であります。皆様には冷静な行動をとるようにお願い致します。
詳しくは東都大学教授の浜田さんから報告願います」
 
カメラが浜田教授に集中した。
「え~浜田です。原因はこれだと断定するには充分な資料が集まっていませんので、残念ながら明確な回答を示すことは出来ません。
ですが、皆様の中にもご存じの方もおられると思いますが、この世界いや宇宙にはパラレルワールドがあります。それはSFの中だけでなく、現実に存在しているという事実です。いわゆる平行世界です。
パラレルワールドが実在していても、日常生活には何ら影響を及ぼすものでないと今まで考えられてきました。実際見ることも触れることも出来ないと思われてきたからです。
ところが今回の事態を受けて、そうでないのではないかとの観測がなされています。実際はもっと身近な所に存在し触れることも出来るものであるということです。しかし、作用半作用の法則故、手で鏡を押しても、鏡の中から押し返す力が同等であるため、鏡の中に手が入るというはありませんが、今回同じ平行世界が何らかの原因で全く平行でなく、わずか1センチずれただけでも、理論上は鏡の中に手が入ってしまうことがあり得ると推測されます。
原因については現在調査中ではあり、断定することは出来ませんが、先日発表された温暖化が原因と思われる地球上の質量移動がもたらした地軸の急激な変化、これが原因である可能性があることは否定できません。もう少しデータ精査が必要になります」
 
 会見が終了し、モニターが切られた。
やれやれ、これからどうしたら良いのだろうか。とても仕事にならない。
もっとも、今まで僕は仕事らしい仕事をしてきたとの自覚がない。
仕方ないのでトイレに向かった。用を足す訳でもないが、このまま席についている気持ちになれなかっただけなのだ。
トイレに行った僕は映っていないはずの鏡の前に立った。
すると、映らないはずの僕がいるではないか。鏡の中の僕は僕に向かって手を振ってきた。そして鏡から出てこようとしたのだ。
僕は慌てて押し返そうとして揉み合った。だが、同じ力のはずなのに何故か相手の力が上回ったようだ。それに性格も微妙に違う。何故だかわからないがこちらの僕は負けて、鏡の中の僕は出てきてしまった。
 
「よう元気かい?」
鏡の中の僕は話しかけてきた。
僕は何と返答していいかわからず黙ったままいた。
すると、鏡の中の僕は僕の肩に手を回し、トイレから出て仕事場に向かった。
僕達が部屋に入ると皆驚いた表情をすると思ったが、予想に反し全くの無表情でチラッと一瞥しただけだった。
 
 鏡の中の僕は・・・もう言いにくいから僕Bと呼ぶことにした。そうしたら僕Bは「お前がBだろう」と言って鏡の中の僕が僕A、こちらの僕が僕Bになってしまった。
僕Bは・・・もとい僕Aは僕Bが座るはずの椅子に座ってしまった。
そして、おいでおいでをして僕Bを同じ椅子の3分の一程のスペースに座らせたのだ。暑い~暑すぎる。も~やだ~(これ僕Bの心の声)
 
 株価も急激に変動した。なにしろ同じ人物が二人いて、売ったり買ったりを目まぐるしく行なっているのだから。結果、世界中の株式市場は閉鎖された。
今後、世界経済はどうなっていくのだろうか?世界の行く末が見えないどころか、私達はどうなっていくのだろうか?
 
解決策が見いだせないまま時間だけが過ぎていった。
国会では連日のように討論が繰り返された。だが、少数政党は向こう側の世界から同じ人物をこちらに呼び、少しでも発言力が増すよう企てたため、与党野党の勢力バランスが崩れ、収集がつかなくなってきた。
 
 5日が過ぎた。少しずつ異常事態初日の混乱は収まり、それぞれが自分なりの生き方をを模索始めてきた。国会でもルール作りが必要との声が高まり、特別立法により、手続きを簡略化して法律が制定された。
今回制定された法律の骨子はというと、一言で表現すれば元の世界に戻れというものである。
これに対して憲法の元での人権を無視するものであるとの声がマスコミを中心にあがった。一人っ子で双子に憧れていた人は、もう一人の自分が出現したことで喜び、一緒に住むことを希望する者も現れた。
これを法律違反だからと一言で片づけることは難しい。本人が希望すれば、それでも良いのではないかとの世論も高まり、例外条項が追加された。
こうして、次第に落着きを取り戻してきた。
こちら側の世界で生きることを選んだ者、あちら側で生きることを望んだ者,様々である。
 
 ところが役所仕事で混乱が生じてきた。一人世帯のはずなのに二人住んでいる、住民登録しているが実際には住んでおらず、向こう側の世界を生活基盤にしている等の実態を把握することが困難な状況に陥った。
それに伴い、該当者に対する住民票・国民健康保険・国民年金・市民県民税その他諸々の処理や社会保障等の課題が山積し、役所が機能麻痺に陥った。
 
 そこで、両政府が話し合うこととなった。両政府といっても平行世界の実務者協議である。財務省や厚生労働省などの関係省庁の話し合いが持たれた。
第一回目は向こう側で開催された。担当官は各省庁にある大鏡を通過して協議に臨んだ。実務者協議といっても同じ人物同士が話し合うので、独り言と言えなくもない。第二回目はこちら側で開催された。
 
結果、大筋合意がなされた。
合意内容の主旨は次の通りである。
 
1,住民登録は本来の世界でする
2,所得税及び市町村・県民税は住民登録世界で負担する
但し、消費税はその限りでない
3,それぞれの世界で発行されたIDカードを常に携帯し、提示を求められた場合は提示する義務を負う。各世界のパスポートである
4,上記IDカードは健康保険証の役割も担い、どちらの世界でも使用できる。
本人負担は一律2割で残り8割は登録番号に従い各政府が負担するものとする
5,運営状況により、条項の追加変更もある
 
 
 こうして、日常生活が取り戻されたのである。
といっても完全に今まで通りという訳にはいかない。
鏡に映らなくなった人のために化粧専門サロンが多く開店した。化粧をサービス内容に加えるヘアーサロンも出現した。
もちろん僕も利用することにした。僕Aに髭を剃ってもらうことなど考えるだけでもぞっとする。なるべく触れたくないのだ。僕Aが元の世界に帰る日を切望している。だが、帰りそうもない。何故ならば僕が全て行なっているからなのだ。買い物も料理も掃除も・・・会社の仕事だって一人で行なっているのだ。
僕Aは飲み食いし、遊んでいるだけなのだ。
こうして、僕は僕Aの奴隷と化した。
 
 ところが、ある週明けの月曜日のこと、パラレルワールドへの通路が突然閉じたのである。
 
 いつものように僕は僕Aを連れて出社した。
僕達が入口の扉を通過した後、それに続いた総務課所属の藤枝さんがガラスの扉に当たったのだ。ゴン!という鈍い音が周囲に広がった。
よほど痛かったのか、彼女は座り込み額を押さえていた。
彼女はこちら側の住民だが、向こう側で働くことを希望し、通常は会社入口のガラスの扉を通過し向こう側に通っていた。
ガラス扉には向こう側の世界が映っていたが、彼女が通過することを拒んだ。
 
 同じことが街中で繰り広げられた。
トイレの鏡を通過しようとしたが、鏡の中に入ることが出来なくなっていた。
駅前のビルに設置してある大きなモニターが臨時ニュースを流していた。
突然パラレルワールドへの通路が塞がれたことと、鏡を通過しようとした人が激突し怪我人が続出しているため、通過を見合せるようにと繰り返していた。
 
 その後行われた政府公式見解では地磁気逆転が行なわれた可能性があることを告げていた。地磁気逆転とは地球の磁場が反転することをいう。かなり複雑な過程を経て磁場が移動するとのことだが、原因は現在でもはっきりとしたことはわからず、温暖化も一因ではとも言われている。最近では約77万年前にあったと言われている。これが氷河期の一因になったとの説もある。
この地磁気逆転が原因であるかどうかは定かではないが、地軸の傾きが元に戻り、それに伴いパラレルワールドに通じる扉が塞がれたのではとの学者の意見を紹介していた。
突然の閉鎖により、向こう側に取り残された人、逆にこちら側に取り残された人も続出した。
いずれにせよ、これで僕Aが元の世界に帰る可能性はなくなったわけだ。
僕達は双子であったと思い込んで生きていくしかないと思った。
こうして、今日も双子の兄(多分?)僕Aのために料理を作る僕であった。

私が書く文章は、自分の体験談だったり、完全な創作だったり、また、文章体も記事内容によって変わります。文法メチャメチャですので、読みづらいこともあると思いますが、お許し下さい。暇つぶし程度にお読み下さい。今後とも、よろしくお願いいたします。