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明日死ぬかのように

やりたいことをやろうと決めた。したいようにしようと決めた。


世間の目、人の意見、そんな曖昧なものに雁字搦めになって生きていた私。自分の感情、感覚よりも、外側の曖昧なものを信じていた。所謂他人軸というやつ、なのかな。

感情を素直に感じるのが怖かった。
こんなこと思っていいの?こんなこと思う人はいけないと、いい人だったらこう思うはずと、誰かが言っていたから。

感覚を信じて行動するのが怖かった。
こんなことしていいの?成功するためにはこれはしてはいけなくて、代わりにこうしなきゃいけないと、誰かが言っていたから。

私の感情、思いなんて、誰にも受け止めて貰えやしないや。否定される。気持ち悪がられる。こんな汚れた私の感情、いらない。
それの繰り返し。

私はずっと素敵な人になりたかったし、成功したかったし、そのためなら自分を犠牲にすることなんて厭わなかった。私らしくいて上手くいかないなら、望んで私は私を殺す覚悟があった。

でも、自分が死んでいく程に、人生も上手くいかなくなった。
なんでよ、誰かが言っていた通りにしてたのに。

そして自分を殺していく度に、人の成功哲学なんてみんなそれぞれで、みんながみんな違うことを言っているから、取り入れ始めたらキリがないことを知った。
ある日取り入れた人の発言と真逆のことを、またある日は誰かが言っていた。

私は何を信じていいか分からなくなって、混乱した。

私、未来の自分を幸せにするために、今の自分を犠牲にして我慢して苦しんで、自分を殺して生きてるけど、

いつになったら、その未来くるんだろう?
ずっと苦しいままだけど。

そう思ったら、今やってる自分の行動、全部何のためにやってるのか分からなくなった。
てか、明日が、未来が来る前提で生きてるけど、本当に来る保証なんてあるか?
いつ死ぬかなんて、分からないのに。


なら明日死ぬかもしれないんだから、今生きてるうちにやりたいことやっておいたほうがいいんじゃないか。

明日死ぬなら、今やりたいことをやっておこう。
この免罪符は、唯一私に効果がある。

明日死ぬなら、別にこれやってもいいか。
やらなかったら死んだ私が後悔しそう、それならせめてやってから死にたいと。

希死観念ではない。明日このまま死んだら、私絶対健やかに成仏出来ないだろうなっていう状態にはしたくない、それだけ。

それを心にもっておくと、途端に私は行動力が上がるらしかった。傷つくこと、怖いこと、そんなことから解放される感覚があるからだと思う。


どうせ死ぬなら、今日くらい自分のやりたいことして楽しく生きていいと、私は思えるし許可を出せるんだと思う。せっかくならやっておきたい。


今日も、明日死ぬかのように生きて明日の自分が後悔しないように、優しく、素直に生きてみようと思う。

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