見出し画像

自分を許せないあなたへ

できないことがある話

ここ5年近く軽い鬱(微笑みうつ病)だったと分かって、自分の中で1番ネックだった自責と完璧主義に対する変化があった。


自己流の認知行動療法で思考の歪みを1つずつ真っ直ぐにしていって、1番最後までどうしても止められなかった自責と完璧主義。
出来ることは全力で頑張るがデフォルトの私だったから、どう頑張っても治せないこの2つが嫌で仕方なかった。他のことはある程度癒せてしまったからこそ余計に。

他の友達はそんなことしてなかったしなんで私だけ?ってなったし、治せない自分は甘えだと責めてた。
けれど微笑みうつ病を知った時、その症状に「過剰な自責」があって衝撃を受けた。

え、これ私のせいじゃなかったの?

ずっとずっと自分のせいだと思ってたし、そのせいで周りの人にも迷惑かけるから早く治さなきゃって思ってたし、他の人はしなくても生きれるんだから私も出来るはずなのになんで私は出来ないんだろうって苦しかった。

けど、私のせいじゃなかった。鬱のせいだった。
これが私にとってどれだけ嬉しかったことか。

もう私のせいだと責めなくていいこと、もうそれに対して頑張らなくていいこと、それが本当に嬉しかった。そしたら不思議と自責も完璧主義も緩んだ気がする。

同時に「人にはどう頑張っても出来ないことがある」ということが本当の意味で腑に落ちたように思う。

正直な話、今まで鬱に対してや「無理、出来ない」と言う人に対して「甘えやん」と思っていた。
なぜなら自分に出来ないということを許せていなかったから。出来ない=甘えだという呪いを自分に唱え続けていたから。

だけどどれだけ頑張っても不可抗力でそうなってしまうことは容易に起こりうるんだと実感したから、そんな人たちに対しても、自分に対しても「そういうこと、あるよね」って心の底から思えるようになった。

自分に優しくしないと誰かにも優しくなれないって、こういうことなのかなぁ。


私は他人に悩みや辛さを打ち明けまいと、ずっと1人で戦い続けた。というか打ち明けたところで聞いてもらえるのかな?とか、否定されたら辛いなとか、そもそも私なんかの悩み聞いてもらうの申し訳ないって気持ちが強すぎたんだけど。

だけど、人を選ばないと相談する前よりも辛くなっちゃうことは普通にある。

私が5年近く軽く鬱状態だったって話をある友達にしなければいけない時があって、その時にその人から「あくまで自己診断でしょ?」「あかりは人前で崩れることもないし大丈夫だと思うよ」と言われた。
その人は結構重度の鬱だったこともあるからこそ、励ましの意味でそんな言葉を投げかけたんだと思う。

だけど私にはとても悲しかった。
「そんなんで鬱名乗るなよ」「鬱って言葉で逃げんな、甘えだろ」
そういう風に聞こえてしまったから。

私が今までどれだけ苦しんでいたか知らないくせに、何も知らない奴が私の外側だけ見て「大丈夫だよ」なんて簡単に言うなよ。


ただ、「辛かったんだね、よく頑張ったね」って認めて欲しかっただけなんだよな。本人が辛いなら、その辛さをただ受け止めて欲しかっただけなんだよな。そこに比較はいらないんだよな。


これは自分も気をつけなければいけないことだな、と戒めになった。よかれと思って発した言葉が誰かに突き刺さることは簡単に起こってしまうんだということに。


同時に素直に受け止めてくれる存在の大切さを実感した。
だから、誰かのそんな1人になりたい。


なのでマシュマロ始めてみました。



少しずつ自分に優しく生きていこうね。
今日もお疲れ様です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?