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イン・モラル

 1


 ピンポーン。

 大学の友人である飯島いいじま 優奈ゆうなの家で宅飲みをしていると、忽然と部屋にインターホンの音が聞こえてきた。


「優奈、出なくていいの?」


 目の前にいる優奈に問いかけると、彼女は強張った表情で私を見た。

 瞳孔はいつもより開いており、唇は微かに震えている。彼女は明らかに怯えているようだった。


「何かあったの?」 

「実は……ここ最近、知らない誰かにつけられたり、家まで来られたりするの。来られるだけならまだしも、ごく稀にインターホンを鳴らして家まで入ろうとする輩がいるんだよね」


 時刻は午後九時を過ぎている。こんな時間に配達員は来ないだろうし、二人で宅飲みすることを知っている友人はいないから急遽参加なんてこともありえない。

 となると、優奈の言っていた通りストーカーである確率は高い。


 優奈は『ユナ』と言う名で動画投稿サイトで配信を行っている。登録者はなんと80万人を超えており、インフルエンサーとして活躍している。そりゃ、ストーカーの一人や二人くらいいてもおかしくはないだろう。


 登録者3万人の私とは大違いだ、と言うのは今は置いておこう。


「なるほど。なら、この機会にストーカーを追っ払おう。そんなこと聞かされたら隣人の私にも被害が及ぶ可能性があるからね」

「ええっ!? でも、どうやって?」

「私に任せなさい。優奈は私が空手二段なの知っているでしょ」

「知ってるけど。でも、凶器を持っている可能性もあるし」

「大丈夫、大丈夫。ドア越しに脅すだけだからさ」


 二人で会話しているともう一度ピンポーンと音が鳴った。

 私たちはひとまずインターホンに映る画面を覗いた。画面には赤色のTシャツを着たメガネで帽子姿の中年くらいの男が映っていた。偏見かもしれないが、見るからに怪しい人物だ。


 私たちのマンションはオートロックとなっている。だが、男は優奈の自宅の前のインターホンから連絡をとっていた。おそらく、誰かが入ると同時に一緒に入ったのだろう。今の時間は仕事終わりのサラリーマンがよく帰ってくる時間帯だからありえない話ではない。


「この人?」

「うん……この人、昨日も来ていた」

「相当やばいやつじゃん。今日、優奈の家で宅飲みしておいてよかったかも。見るからにひ弱そうなやつだから脅せば恐れて帰るでしょう」


 インターホンのスイッチを押し、向こうにいる男と連絡を取れる状況にした。


「はい、どちら様でしょうか?」

「あの……ええと……ユナさんですか?」


 ストーカーはおどおどしながら話し始める。声は平均男性よりはやや高く、早口なのが特徴的だった。話し方からしてあまり良い性格ではないような気がする。


「違いますけど。家、間違えていませんか?」

「いやでも、今日、ユナさんがそちらの自宅に入っていくのを見たから」

「見間違いじゃないでしょうか。ユナなんてうちにはいないですけど」

「でも、確かにここの家だったような。ユナさんを出してもらってもよろしいでしょうか?」

「鬱陶しい人ですね。ユナさんなんていないって言っているじゃないですか? 警察呼びますよ?」

「一瞬でもいいんでユナさんに会いたいだけなんです。会わせていただければ、すぐに帰ります」


 あー、これは埒が明かないな。仕方がない。別の脅し方を試すか。

 私は電源を入れたまま後ろを振り返ると、優奈の自宅に置かれたパンチングマシーンに目をつける。ストレス解消のために買ったようで、マンションでも一階ならそこまで迷惑はかからない代物だ。


「なんだよ、あいつ。さっさと失せろよ!」


 そう言って、私はパンチングマシーンを思いっきり殴った。パンッと弾けるような音が部屋に響き渡る。インターホン越しに彼を脅すと次にリビングに置かれた引き出しを開ける。そこからダミーナイフを取り出すと玄関へ向かって歩いていった。


 後ろから足音が聞こえる。優奈は私が彼を撃退する様子を見届けようとしてくれているようだ。玄関に着くと扉のU字ロックをかけ、全開できない状態にしてから鍵を開ける。少しだけドアを開くと向こう側から指が見えた。


 指はドアを掴むと力強く開けようとする。ガッとU字ロックが開くのを妨げる音がする。

 しばらくしてドアの隙間から男の顔が見える。不気味な笑みを浮かべ、こちらを舐めるように見回した。私はその姿を目の当たりにし、怖気が走った。


「やっぱ、ユナちゃんいたじゃん。今日も可愛いね〜。お部屋では短パンを履いているんだ。生で見ても肌が綺麗だね〜」


 優奈を淫らな目で見ている彼へと私は近づく。彼の視線が優奈から私に向いたところを見計らって、私は持っていたダミーナイフを彼の目の前にかざした。


「失せろ。でなきゃ、殺すぞ」


 インターホンで話している時よりも低いトーンで彼に言う。彼は目の前にかざされたナイフを見ると眉を上げ、目を見開いた。


「最後にこれだけあげる。ユナちゃんまた来るからね。バイバーイ」


 男は優奈の家にとあるものを入れると勢いよく扉を閉めた。バタンという音が玄関に轟く。男が落とした物を見ると平たい直方体のものだった。表紙には裸の女性がいて、長いタイトルが記されていた。こんなものを女性に送りつけるとは本当に最低な男だ。


「ひとまず去ってくれたみたいで良かった。さあ、宅飲みの続きでもやろうか?」


 DVDの箱を手に取ると私は優奈の方を覗いた。優奈は優しい瞳で私を見ながらゆっくりと頷く。体はほんの少しガクガク震えている。こんなことされたら女性は誰でも怖がるものだろう。武道を習っている私でもU字ロックがなければ恐怖に包まれていた。


 一件落着。私たちは玄関からリビングへと戻っていく。

 すると、リビングに見知らぬ男性が一人立っていた。青と黒のチェックのシャツを着飾り、メガネ姿のおかっぱ男性。


 彼の後ろの窓は開けられ、外からの風が中に入ってきていた。おそらくなんらかの形で優奈の家のベランダに侵入し、網戸を開けて部屋に入ったのだろう。

 彼が私たちに微笑みかける。私は自分の心臓が飛び跳ねるのを感じた。


「キャッーーーーーーーー」


 優奈の悲鳴が部屋いっぱいに広がっていった。


 2


 部屋に侵入した男の笑みを見て、私は思わず叫び出しそうになった。

 優奈は我慢ができなかったようで私よりも先に大声で叫び声をあげる。


「落ち着いてください。私は刑事です」


 優奈の悲鳴を牽制するようにチェックシャツのメガネの男は私たちに警察手帳を見せた。実際に警察手帳を見たことはないが、テレビや動画でよく見る手帳の形に優奈は声を止めた。


「本当に刑事さんなんですか? ていうかなぜ私の家に……ってまさか……」

「今思った通りだと思います。あなたには家宅捜査の令状が出ているんです。ただ、インターホンを押しても、まったく家から出てきてくれないので隣人である桐坂さんに協力してもらって、潜入させてもらいました」

「え……紗江、それは本当?」

「まあ……ね……まさかこういう形になるとは私も思っていなかったけど」


 昨日、私の元に刑事さんがやってきた。事情を聞くと優奈の家に家宅捜査の令状が出ているらしいのだが、部屋のインターホンを鳴らしても一向に出てくれないため協力してくれないかとのことだった。


 優奈は結構デリケートなところがあるため、心を許していない相手を家に入れるのをとても嫌っている。それは警察も例外ではない。それに、ここ最近は警察を偽ってクレジットカードや個人情報の載ったカードを奪うという事件も発生しているので警戒しているはずだ。だから友人である私の先導のもとで刑事さんに家に入ってもらうことにしたのだ。


「私の知っている刑事さんだから安心して。にしても、私も疑問なんですけど、なんで私服姿なんですか?」

「刑事姿で窓から侵入するのは目立ちすぎますからね。私服の方が安全なんですよ」

「いや……どちらにせよ、窓から入ってきている時点で目立ちますけどね……」


「にしても、飯島さん。どうして出てくれなかったんですか?」

「すみません。あまり家を詮索されるのは嬉しくないので」

「昨日も言いましたけど、私たちは女性ですからね。あんまり家のことを知られたくはないんですよ。特に知らない男性には」


「わかりました。では、桐坂さん同行の元、家を調査させていただきます」

「どうして、私の家が調査されるのでしょうか?」

「この家に盗聴器が仕掛けられているからですよ」

「……」


 声にならない息を優奈は吐いた。

 無理もない。家が盗聴されていたなんて知ったら、誰だって驚くはずだ。一体誰が、どのようにして設置したのか考えただけで鳥肌が立つ。


「ひとまず探しましょう。私も手伝います」


 私と刑事さんは二人で協力して盗聴器を探すこととなった。

 昨日の刑事さんの話によると、盗聴器を仕掛けたのは先ほどの男ではなく、別の男。優奈の家には複数人のストーカーがいるみたいだ。


 盗聴器を仕掛けた男は、このマンション近くで不審な行動をしており、それを見ていた近所の人が通報したことで警察に捕まったらしい。それで、取調べの際に優奈の家に盗聴器を仕掛けていたことを自白したようだ。


 ただ、盗聴器を仕掛けた具体的な場所については教えてくれなかったとのこと。何だかいやらしい犯人だな。


「因みになのですが、飯島さん。ここ数ヶ月の間で何か変な届け物や配達部などはありませんでしたか?」

「えーっと、色々と届いているので、一概に何かは言えませんね」


 優奈は事務所と契約している配信者だ。そのため事務所からのファンレターやファンプレゼントをよくもらっている。そこに混入している可能性は高いが、ここ数ヶ月で何が届いたかなんていちいち覚えてはいないだろう。


 だから片っ端から捜査していくしかない。

 クローゼットの中を掻き分け、何か変なものがないかを確認する。多種多様な洋服のポケットを一つずつ入念に調べていく。


 意図的に体をぶつけられ、その際に仕掛けられた可能性もある。あるいは外での仕事の際に楽屋にかけていたタイミングで内ポケットに入れられた可能性だってある。盗聴器を仕掛ける術なんて考えたらキリがない。


 二人で探していると落ち着きを取り戻した優奈も捜査に参加する。それだけではない。先ほどストーカーを捕まえた刑事さんたちも参加し、計5人がかりで怪しいところがないかを調べる。


 優奈のバッグや服、リビングの引き出しや棚と見落とすことなく隅々まで探していく。

 しかし、全くもって盗聴器らしきものは見つからなかった。


「もしかして、ここか?」


 私はとある一箇所に目をつける。視線の先にあるのは私と同じサイズほどの長い物体。

 先ほど私がストーカーを脅すために殴ったパンチングマシーンだ。パンチングマシーンの底の部分。動かないために砂を入れているため、隠すにしてはちょうどいいところなのかもしれない。


 パンチングマシーンの底に絡まった糸を徐々に解いていき、上部を持ち上げ、中を覗く。

 見ると大量の砂が底には敷かれていた。上部を床に置き、しゃがみ込む。少し汚いとは思ったものの、このまま盗聴器を見つけられずに終わるよりはマシだと思い、中に手を突っ込んだ。ザラザラとした感覚の中をかき分けながら中へ中へと手を突っ込んでいく。


 すると、不意にザラザラした感覚からさらさらとした感覚へと変化する。人差し指と親指をくっつけると薄い膜のようなものを掴んだ。

 そこで私はハッとする。これはもしかしてビニール袋ではないだろうか。


 どうやら、ストーカーは自宅に入るとビニール袋に包んだ盗聴器をパンチングマシーンの底に仕込ませたようだ。ようやく見つけた。安堵しつつも私は掴んだビニールを砂から引き上げていく。


「えっ……」


 掴んだものの全身があらわになると私は思わず、呆けた声を出した。

 私の掴んだものは盗聴器ではなかった。だが、盗聴器よりももっと恐ろしいものを私は目の当たりにしたのだ。


 砂の重量が加わっていたため気がつかなかったが、手にしたものはとても軽かった。

 手に感じたのがビニールであったことは当たっていたが、ビニールの中に入っていたのはカメラではなく、『白い小さな粉』だった。


「これって……覚醒剤……」


 驚いた私はゆっくりと優奈の方を覗いた。見ると、優奈は真っ青な顔で私を見ていた。


 3


 ビニールに入った白い小さな粉。それは明らかにメディアで目にしたことのある『覚醒剤』だった。一体なぜ、覚醒剤がこんなところにあるのだろうか。

 優奈を見ると、彼女は青ざめた表情で私の持つ覚醒剤を見ていた。


「優奈……これは一体なに?」

「いや……私にも分からない……なんで……」


 明らかに動揺している様子だ。

 問題は、どちらの意味の動揺かだ。自分の知らないうちに覚醒剤が隠されていたことによる動揺か。それとも、自分が覚醒剤を隠していたのがバレたことによる動揺か。


「どうした?」


 刑事さんは私たちの異様なやりとりを怪しんだようで、私へと声を掛けながらやってくる。


「それは一体なんだ!?」


 私に近づいたことで手に持っていた白い粉が目に入ったのか声を大にして私に説明を求めた。『一体なんだ』と言われても、私にも訳がわからないため説明のしようもない。


「その……パンチングマシーンの中を調べたら、これが出てきて……」


 私がそう言うと、刑事さんは私の前にやってきて渡すように促す。白い粉を渡すとビニール越しに中身をよく観察した。


「これは紛れもない覚醒剤だな」


 刑事さんは別の刑事さんに持っていた白い粉を渡すと、私から離れて今度は優奈の方に向かって歩いていった。優奈は刑事さんが近づいてくるのに反して足を後ろに下げ、後退していく。その動作はまるで彼女が意図的に隠していたのを打ち明けるようなものだった。


「まさか盗聴器を探していただけなのに、こんな結果になるとは思いませんでした。飯島 優奈さん。あなたを『覚醒剤取締法違反』の疑いで現行犯逮捕します」

「それは私のじゃありません! 信じてください!」


 優奈は弁明しようと腕を左右に振り、必死に否定するが、刑事さんは躊躇うことなく彼女の手首に手錠をかけた。優奈は自分の手にかけられた手錠を見て、目を丸くした。言葉は急になくなり、ただただ呆然と手錠を眺めていた。


「詳しくは署でゆっくり聞かせていただきます」


 そう言うと優奈の背中を叩き、彼女に外に出るように促す。優奈は呆然としており、その場から動くことはなかった。刑事さんはため息を漏らすともう一人の刑事に頼み、二人がかりで優奈の両腕を持って引っ張っていく。


 男二人がかりで引っ張られたためか優奈はみるみるうちに玄関の方まで歩かされる。私はその様子はただただ見つめることしかできなかった。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。私がこんなところに目をつけなければ、覚醒剤を見つけることはなかった。私は優奈にとてもひどいことをしてしまった。後悔による強い負の感情で心の中にモヤができる。


 やがて優奈は視界から消えていく。

 そこで私は心のモヤを消すように近くに置いていた『手持ち看板』を手にすると急いで玄関の方に向けて走っていった。


「優奈!!」


 大きな叫び声をあげて、優奈と刑事さんを呼び止める。私の声に触発されて、こちらを振り向く優奈。彼女に向かって看板を掲げるとそこに書いてある内容と同じことを私は口にした。


「ドッキリ大成功っ!!」

「え……」


 優奈はなにが起こっているのか分からないようで唖然とした表情で私を見た後、左右にいた二人の刑事さんを交互に見た。刑事さん二人は微笑ましい様子で優奈のことを見ていた。そこでようやく彼女は『ドッキリ』であることが実感できたようで、腰が抜けたように尻餅をついた。


 そう。今までの流れはすべてドッキリだったのだ。

 とはいえ、最初に来たストーカーだけは予想外ではあったのだが。


「なんだ……はあ……びっくりしたー」

「見事に引っかかったみたいだね。もし本当だったら、刑事さんがベランダから入ってくるわけないじゃない」


 予想外の出来事が起こったために急遽、私の家のベランダを伝って優奈の家のベランダから部屋に潜入するという設定にしたのだが、あそこでバレなくて本当によかった。


「じゃあ、覚醒剤は?」

「それは覚醒剤じゃなくて、ただの塩でーす。二日前にここに来たときに仕込んだの」

「なーんだ、そうだったんだ。で、なんでこんなドッキリしたの?」

「実は、私のお父さんが警察官で『覚醒剤取締』のプロモーションを私の方ですることになったんだ。どうせなら、インフルエンサーである『ユナ』にも協力してもらったほうが、より多くの人に伝えられると思って実行したわけ。もちろん、マネージャーには許可をとってあるわ」


「盗聴器については?」

「それは家宅捜査をするための嘘だよ」

「そうだったんだ。もー、本当に怖かったんだからね」


 優奈は目尻に涙を溜めつつも、ほっとしたように笑いながら私へと感想を述べた。

 動画投稿サイトでの主流であるドッキリは無事に成功し、プロモーション用の撮れ高をだいぶ得ることができた。

 

 ****


「これで終わりっ!」


 翌日、私たちは優奈の部屋で、昨日のドッキリの動画編集を行なっていた。事前に優奈の部屋に仕掛けていた監視カメラの動画を使いながら、面白くなるように字幕やBGMをセットしていった。また、ドッキリをする前に撮っておいた企画の説明やドッキリ後のプロモーションも動画の前後につける。


 動画は前半後半に分けて、私と優奈のそれぞれのチャンネルで一つずつ上げるようにする。これによって優奈のチャンネル登録者が私のところへ来ることを、私は少し期待していた。


「それにしても、昨日は本当にびっくりしたよ。まさか覚醒剤が見つかるとはね」

「びっくりしたでしょ。まさか優奈にそんなドッキリが来るなんて流石に思わないよね」

「全くもって、そう。それに、まさか紗江がドッキリの仕掛け人だって言うのも流石に思わなかったよ。なんで受けることにしたの?」


 動画編集で凝った体をほぐすために腕で揉んだり、体を伸縮させたりした。

 それから席を立ち、自分のバッグの中を漁った。


「インモラルを隠すためには、私たちがモラルの中にいることを示しておく必要があるからね。これぞ『イン・モラル』。なんちって!」


 私は陽気に冗談を言いながら、バックに入っていた『ビニール袋』を取り出した。

 この時はまだ、嘘だったはずの盗聴器が本当に仕掛けられていたことを私は知るはずもなかった。

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