「依存」はする側もつらい
わたしは長く母に依存されていた。今もされている。
幼い頃から、母にはダメな父よりも期待をかけられて育った。期待されてそれに応えることにより母からの称賛を浴びる快感が忘れられなかった。
しかし、わたしにも反抗期が来た。というより、母から重圧を与えられて生きていることに気づいたのだ。わたしは母の命令に背くようになった。母はその頃から「なんであんたは〇〇しないの?」と執拗にわたしを責めた。
母は、わたしだけでなく周りのたくさんの人間に依存していた。
「あの人はどうして〇〇してくれないんだろう」と勝手に期待し、希望がかなえられないと勝手に絶望した。口では「そんなことしなくてもいいのよ」と言っているのに、である。
わたしも一時は母のような考え方をしていたことがある。彼氏が自分に対してしてくれないことに対し「なぜ〇〇してくれないんだろう」と悩み、勝手に絶望していた。わたしは簡単なことを知らなかった。要求があるなら、はっきり口で言えばいいのである。それは誰も、母ももちろん教えてくれなかったことで、何度も失敗しているうちに自分で覚えたことだった。
母のことをある人に相談した。すると「お母様もお辛いでしょうね」と頓珍漢な回答が返ってきた。は? 母が辛い? 辛かったのはわたしだってのに! しかし、実はそれは正しかった。母も実は辛いのだ。
たぶん、長い間周りに依存してきたことにより、母は自分で立ち上がることを忘れてしまっただけなのだろう。本当は自分で立ち上がりたいはずなのである。足があれば誰だって自力で歩きたいはずで、何の問題もなければ手をひいてもらいたいとは思わないはずだ。ただ母は。自分に歩ける足があることを忘れているだけなのだ。しかも、それを教えてくれる人が誰もいない。誰かに依存している自分の世界がすべてだと思っているから、それ以外の判断をもつ人間には聞く耳を持たないからだ。
わたしは母と二人暮らし。今はほとんど生活に波風を立てずに暮らしている。母に何かを言われる前に三歩先のことを済ませ、母に愚痴があったら用事があっても耳を傾けて聞いている。母に邪魔されて二度も結婚に失敗したわたしには今の暮らしが性に合っている。母は生涯をかけて「こんな人間になっては駄目だよ」と教えてくれているんだと信じているので、今は母にわだかまりはない。
母がこの世を去ってひとりになった時、はじめて本当の自分の人生が始まると思っている。それまではわたしに依存し続ける母の面倒を見ようと思う。
母の依存を受け入れるようになって、わたしは自分の考えを周りに積極的に言うようにした。すると「あなたは素直だから好き」と言ってくれる人ができた。それも母のおかげだと思っている。
ありがとう、お母さん。あなたのおかげでわたしを好きになってくれる人が増えたよ。あなたのせいでずっと自分に自信がなかったけど、もう大丈夫だよ。きっとわたし、幸せになれると思う。
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