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コインを拾う

 百円均一に行った。五年ほど前から、大手の百円均一は300円だかの商品を取り扱い初め、もうそのコンセプトは崩れてしまった。けれど、家に着いて買ったものを開封すると、やはり便利だなと思う。粘着ローラーだとか、吸盤付きのフックだとか、そんなものを買い揃えた。「ヒャッキン」という音によって共有されるイメージが、もう100円の商品を取り扱っているという事実より大きいものになったのかもしれない。

 僕は生活が好きだ。特に一人暮らしが好きだ。部屋をきれいに掃除して、美味しいものを食べる。たまにお酒を飲んだり、煙草を吸ったりする。朝に起きて小学生に圧倒されたり、猫の糞を眉間にしわを寄せて片づけたりするのも、嫌いじゃない。坂の上からオレンジ色の夕日をみたり、寒い日に大きな月を見つけたりするのも好きだ。
 
 こういう人はよく居るのだと思うのだけれど、僕は去年から生まれたのだと自分では思っている。
 
 僕の実家は新潟にあって、酒屋をしている。そこまで大きくはないけれど、親戚のデザイナーとコラボレーションをしてからそれなりに流行っている。僕はずっと酒屋を継ぐものだと思って生きてきた。別に誰からも強制されたことはない。真綿のようにくるまれて、そうなるんだろ、と言われてきただけだ。小さな反抗をすると、「誰が金を払っていると思ってるんだ」と小さく父が呟いた。僕の地元は本当に古いところだから、曾祖父の代までは冬になると子供が家の前に捨ててあった事が何度かあったらしい。鈴木さんはそのころから縁のあるうちの大切な従業員だ。みんな悪いと思って言わないが、多分、彼は捨てられた人なのだと思う。だから、父が「お前を捨ててもいいのだ」といった旨の発言をすると、やたら生々しかった。古い日本家屋に、しんしんと降り積もる雪が、なんとも童話みたいでやってられなかった。
 
 最悪なことに、僕は美しく生まれてきてしまった。白く透き通った肌に、桃色の唇。関節の目立つ肩に、ごつごつした長い指を持っていた。高校生のころ、黒い学ランを脱ぐとすぐ酒屋の法被に着替えさせられた。美しさの弊害は、勝手にストーリーに組み込まれてしまうことだと思う。僕には幼馴染がいっぱいいた。田舎の高校なんて、幼馴染以外は存在しようがないみたいなものだ。あの一帯だと、確かに僕の家が一番大きな建物をしていたし、土地も一番持っていた。本当に吐き気がするのだが、村一番の美人が僕の家に嫁ぐのだというジンクスがあった。幼い少女たちは、表皮が鶏の皮のようになった老婆からその教えを受け継ぐ。僕が一人で歩いていると、あてがわれるように頬を染めた幼馴染たちが駆け寄ってくる。それが本当にグロテスクで、僕は見てられなかった。
 
 二年前、母が妊娠した。まさか48にもなって子供ができるだなんて誰も思っていなかったから、酒屋の内部は大きく揺れた。不倫だどうだと噂になったが、生まれてきた弟は父の顔の生き写しみたいでおかしかった。その頃、少し人手が足りなくなっていたから、東京でデザイナーをしている親戚が「フリーになったから」とうちを訪ねてきた。母のいとこにあたるその人は、何やら有名な大学を出ているらしかったが、調査とのたまいずっと酒を飲んでいた。
 
 「きみ、いい顔をしているね」とその人は言った。「顔がいいのはいいことだ!」と下品に言うと、その人は畳にそのまま寝てしまった。三日後、『酒造を引っ張る高校生』とありもしない企画を引っ張って来られた時は驚いた。
「僕、全然引っ張ってないですよ。店番くらいしか手伝ってないし」
「別に皆そんな細かく見てないさ。若いからこその視点みたいなことを適当に言えばいいのよ。」
とおじさんは言うと、数枚の紙を渡してきた。この通りにしろ、との事だった。
 
 一週間程すると、僕のインタビューがテレビで流れた。その翌日、電話が鳴った。数分後、再びベルが鳴った。電話番の田中さんが困ったように告げた。
 
「坊ちゃん、芸能人になる気はないかって電話がもう10件も来てるんです。」
 
 どうやらおじさんの目論見は当たったらしく、僕のインタビューはネットでバズったらしい。「イケメン高校生が作った酒」として、うちの酒造は繁盛した。おじさんの専門分野は一応店舗デザインらしく、若い女性をターゲットのしたラインを開発し、空いていた蔵を改装しカフェを併設した。半年ほどして、怒涛のような慌ただしさが過ぎた頃、父が神妙な顔で僕に告げた。
 
「お前、東京に行く気はないか」
どうやら、芸能事務所のスカウトが父を口説くことに成功したようだった。跡取りの心配も、弟が生まれたので薄れていた。それに、何といっても客商売だから、息子が無料の広報をしてくれるのは有難いことだったようだ。
 
 おじさんの手助けもあって、僕は去年から芸能事務所に所属して、一人暮らしを始めた。冬になっても雪かきをする必要はないし、家の中を従業員がウロウロもしていない。相変わらず女の子たちは寄ってくるけれど、幼馴染のような気味の悪さは感じなかった。
 
 しかし、真綿のようにくるまれた伝統から解き放たれた今、僕はなぜだか生まれたてのような気がするのだ。毎日の生活を整えながら、僕は自分を、赤子のように育てている。
幸運にも、役者という仕事を僕は得た。そして、毎日のように新しい自我を得る。これは、そんな僕の、小さな日記だ。

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