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【エッセイ】なんでもかんでもハードル上げすぎ問題

遥か昔の中学時代。足が遅いくせに何を血迷ったか陸上部に入部した。

「もしかしたら足が速くなるかもしれない」なんていう期待がなかったといえば噓になるが、神は私に一条の光も与えなかった。どうやら私は走り方がおかしいらしく、皆の輪から離れた場所で、ひとりぼっちの“正しい走り方を習得するための訓練”を指示された。一向に改善の気配が見られなかった私は、部の顧問にも早々に匙を投げられることになる。
足が速くなりたいなんてもう望まないから、せめて目立たない走り方で生まれたかった。いや、この際走り方が変でもいいから、せめて入部する前に知りたかった。陸上部に入ってしまったが故に、「走り方が変」という事実がただただ悪目立ちし、「“なんでこいつは陸上部に入ったんだ”と思われているのだろうな」と3年間怯えるはめになったのだから。


思えばあの頃から人生修行モードで生きていたのだけれど、中学時代は今より自分を客観視できなかったし、間違った根性論を持っていた。私は走ることが大嫌いだったのに、努力すれば万事解決できると信じて疑わなかった。が、大嫌いだから努力はできなかった。心のどこかでやっぱりな、とも思いつつ、だけど努力できない自分をちょっと嫌いになってしまった。


冷静に考えれば、大嫌いならやらなきゃいいのだが、そんなシンプルなことにさえ気づけなかった当時の私に、成長と自分を辱めることは違うのだと教えてあげたい。


 ちなみに私は足が遅いだけでなく、陸上競技全般に向かない身体能力の持ち主でもある。持久力もなければ、腕力もない。軽やかに跳ね上がるしなやかさや脚力もない。

ここまで向かない部活動を選択した娘を、両親はどんな気持ちで見ていたのだろうか。親の目から見たって不向きなことは一目瞭然だったのだから、そっと諭してくれればよかったのに。「お前にはもっと合う部活が他にあると思うよ」といった具合に。もしかしたら私同様、まだ見ぬ我が子の才能を期待したのだろうか。
…いや、きっと素直に聞かない頑固な性格をわかった上で何も言わなかったのだろうな。


 道具を使う競技が特別に苦手だったこともあり、ハードルや棒高跳びを専門にしている部員を見るのは好きだった。ハードルをやっている先輩はものすごく意地悪だったから好きじゃなかったけれど、それでもハードルを飛び越えているときだけは輝いて見えたものだ。

障害物を飛び越えるなんて想像するだけで怖い。人生の目に見えない障害物だって今の私は怖い。

日常生活に出現する無数のハードルに怯える毎日である。人が軽々と飛び越えるようなハードルにさえ、私はつまずく。人と同じように出来ない自分にただただ焦りと不安を覚えるのだった。


 もしかしたら私のややこしさは、ハードルを高く設定しすぎているせいではないかと、ふと思う。


 女子100mハードルのハードルの高さは83.8㎝だそうだけれど(高すぎ!)、ここでのハードルは陸上競技のハードルではなく、人生のそれである。自分がここまで出来れば合格だと思える“物事の合格基準”といったところだろうか。

完璧主義がゆえに、物事の合格基準をあげることは息をするのと同じくらい当たり前になっている。ハードルを飛び越えることよりも熱心に、ハードルを上げることに尽力してきたといっても過言ではない。そうやって自分で上げたハードルを前にして「こんなの飛べっこない」と怖気づき、案の定飛べなければ「うまく出来ない」と泣く。

ふざけてるわけではない。至って真剣なのだ。真剣にハードルを上げ、真剣に怖気づき、真剣に落ち込む。

ええ、認めましょう。私は真面目なバカなのだ。


 えらく長いこともがいてきたわけだけれど、すごくシンプルな答えに辿り着いた。


ハードルを、下げればいいのである。


 大好きな益田ミリさんのエッセイを読んでいると、「そんな楽しみ方があるのか」、「そうやって気軽に楽しんでしまっていいのか」と驚かされることがある。私は楽しむことでさえ、「こうでなければいけない」というルールが多いのだ。大抵、自分の決めたルールに縛られてはピリピリしている。


 


先月夫と一緒に出掛けた「日間賀島」でも、自分で作った“こうあるべき”に縛られて派手に自爆した。この自爆で「私は一緒に出かける人に対してなぜ寛容になれないのだ」と嫌気が差し、そんなときに読んだ益田ミリさんのエッセイを通して「あれ、楽しみ方ってもっと自由でいいんじゃない?」と思った。
「ハードルを下げればいいんだ」という結論は、気づいてしまえば単純だが、完璧主義にとっては盲点だ。そもそもハードルを上げている自覚もなければ、ハードルの下げ方もわからない。


 私の人生は遠回りの繰り返しである。

簡単な結論に辿り着くのにも、シンプルな選択をするのにもひどく時間を要する。


 あまりにも答えがシンプルだと“きっと何か引掛けポイントが隠れているに違いない”と深読みして、深読みしすぎて答えがわからなくなることがあると思う。


 つまり、そういうことだったのだ。


 


 


 


 


 



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