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「いい子」なのか



幼少期。
そこにいるのは友達の母
私は預けられている
病人の兄弟の看病のため、母はいない
私は預けられている

友達の母は料理をくれた
友達は食べる
私も食べるがそれは食べたことがない
そして口にも合わない
少し食べて「もう食べられない」
それに対する「なら結構」
私には妙な傷つき、罪悪感
迷惑はかけたくない

迷惑かけないよう「いい子」を振る舞う
居心地の悪さがあっても言わない
文句があっても言わない
何も言わなければ何も起こらない
私は黙って従えばいい
そう思っていたのだろうか

だが、母が戻ってきても一緒だった
母が迷惑を感じないよう、私は大人しい
一度「こしょうが辛い」と言った
「じゃあ食べなくていい」と怒られた
「ああ、怒らせてしまった。言わなければ良かった。私は悪い子だ」
忙しくて余裕のない母さえ怒らせてしまうのか
自分が言わなければ母はいい気分だ、幸せだ

自分が「いい子」であれば、ことは平穏に進む
自分が「いい子」になればいい

「いい子」ならば勉学をするはず
とりあえず勉学しておけば「いい子」だ
だから勉学に勤しんだのか

「いい子」ならば文句は言わない
他人に合わせて、自分が我慢すればいい
自分が何か言えば場が荒れる
ならば自分が黙っていればいい
自分は最後でいい



今はどうか。

確かに文句は言わない
だが意見も言わない
それで「何か1つくらい言えよ」とでも言わんばかりの圧を感じる
だが私は言えない
言ったら場を荒らしてしまうのではないかと怖くて仕方がない

普段は静かで大人しくしている。言われたことには従う
だが主体性はない
自分から何かをしたり、誰かを助けたりはしない
自分が動いたせいでその場に変化が起こることが怖い
けれども何もしなければ、私は批判の的となる

これまで迷惑をかけまいとしていたことが、今では迷惑に繋がっている


私は「いい子」なのだろうか

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