長編小説ばかり書いてきた理由
今までほとんど短編小説を書いてきませんでした。
Amazonで販売している25作品のうち、短編小説集は一冊のみ。その一冊も昨年書いたので、それまで短編を書いてこなかったことになります。
学生時代の作品は(もうどこにも残っていないけど)、10万文字を越えることはありませんでしたので、長編というよりは中編に位置する長さですが、書いている本人は長編小説を書いている気になっていました。ただ単に筆力が足りなかったので、それ以上長い物語を書けなかっただけなのですが。
それ以降は、ずっと長編小説を書いてきました。どうして長編小説ばかり書いてきたのか。それは、頭に浮かんだ物語が長編だったからです。身も蓋もない言い方ですが、本当にそうなんですよね。
冒頭からラストまでストーリーが浮かんだときに、大体これぐらいの長さに落ち着くなとわかります。
「ふたりの余命」のときは、これはかなり長くなるな、原稿用紙400枚を越えると感じました。最初に書いた版では550枚になり、あまりに長すぎるので、現在刊行しているKindle版では500枚、文庫版では450枚ぐらいに調整しています。
どうして長い物語ばかり思いつくのかというと、おそらく僕が創作する物語のベースに長編映画があるのだと思います。
多くの人が集中力を持って楽しめる物語は2時間をベースにした長編映画の長さだと個人的に考えています。
シリーズものは別として、一個の物語を鑑賞するのに、長編映画ぐらいの長さが適当で、それ以上に長い物語だと一気に読めず、集中力が続きません。
映画でも2時間を超えて3時間に近くなると、長いなと感じてしまいます。僕の集中力がか細いのかもしれませんが。
もちろん、大河ドラマみたいな長い物語も面白いですが、NHKの大河ドラマが48話に分割されて放映されるように、複数の物語が連続している形式のものが多い印象です。
小説で2時間の映画と同程度の物語を表現すると、原稿用紙400枚程度、15万文字前後になります。
長編小説を読むのに2時間以上かかりますが、映画と異なり一気に読む必要はないので、軟弱な集中力でもどうにか読む終えることができるし、筋を追うことができます。
自分でもすんなりと楽しめるボリュームだから原稿用紙400枚前後の長編小説を嗜好しているのかもしれません。
いつまで経っても終わらない超長編小説、切れ味鋭い短編小説のも憧れますが、当面は原稿用紙400枚前後の長編小説を中心に書いていこうと思っています。
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