見出し画像

小説が評価される分岐点はどこにあるのか

何十年も小説を書いているので、少しは上達したのか、以前より多くの読者に評価をいただけるようになりました。

では、この間に何が変わったのかと考えると、小説を読んでもらうターゲットをある程度決めるようにしたことが大きな違いだと思います。
昔は、自分が書きたい、読みたい小説を書いていました。だけど、それでは読んでくれる人は少なく、新人賞に応募しても落選続きでした。
書きたいものを書くのは間違いではないと思いますが、書きたい自分がどれだけ普遍性を持っているか、自分と同じ感覚の人がどれだけいるのか、その人に作品が届くのか、見極める必要があります。
世の中には、新人賞がたくさんありますが、賞によって求められる微妙にジャンルは違うし、出版社のカラーもあります。
評価してくれる下読みさんや編集者の方々は、そのことを前提に選考しますので、賞の性格に合った作品を投稿した方が選考を通過しやすいです(マッチしているかどうか気にならないぐらい突き抜けた作品ならどんな賞でも通過できるのでしょうが)。

初めて読者を真剣に意識したのは「ふたりの余命」でした。似たようなジャンルの本を読み、どのような話が売れているか研究して、青春ミステリーを楽しむ読者層に届くように書きました。
ふたりの余命」は僕が書いた中で最も読んでもらえた小説になりました。

「第12回ポプラ社小説新人賞」奨励賞を受賞した「夏のピルグリム」も誰に読んでもらうか決めて書きました。
今まで落選続きでしたが、読んでもらう人を明確にしたら、賞をいただくことができました。
「自分のために書く」のか「他人のために書く」のかは、小説を書く上での分岐点な気がします。
さらに一歩踏み込んで、「誰のために書くのか」を突き詰めると、より解像度の高い小説が書ける気がします。

ただ、自分のために書いた小説が普遍性を持って多くの人に刺さるのが、本当に凄い小説だとも思います。自分というものを突き詰めると人間の深淵みたいな場所に到達し、根源的な物語が描けるような気がします。
世に傑作と呼ばれる小説は、その境地に達しているに違いありません。自分も他人も人間ですし、小説を読むのは今のところすべて人間ですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?