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自分と違う世代の人間を創造する

人はひとつの世代しか生きられませんが、小説には複数の世代の人が登場します。同じ年齢だけの小説は少ないです。
小説家は自分と異なる時代を生きてきた人間を書かなければなりません。

自分より若い世代は、その年齢を自分も生きてきたので、なんとなく想像がつきます。若いときに感じた閉塞感や今ではちょっと失ってしまった熱い思いを思い出して書くことができます。
ただ、気をつけなければいけないのは、過ごしてきた時代が異なっていることです。
現代が舞台の小説であれば、自分より若い世代の登場人物は、作者と同じ時代を生きてきたわけですが、時代は同じでも年代によって感じ方は異なります。Z世代と言われれば、だいたいこんな思いを抱いてきたんだろうなと想像はできても、本当に生きてきたわけではないので、肌感覚としてはわからないところがあります。想像と現実の間にズレがあるわけです。

そのズレを解消するために、周りに自分より若い人がいればいいのですが、なかなかそうもいません、特に専業作家になってからは。会社員のときは若い人と仕事をしたり、面接する学生と話すことはありましたが、それでも相手は目上の人間として接するので、どこまで本音で話しているかわかりません。

自分より年上の人は、自分が生きたことがない年代なので、実際の人と話して吸収することになります。

結局、自分と異なる世代の人間は想像するしかありません。YouTubeの動画や漫画など、その世代が観ている情報を取り入れるようにはしています。その情報をもとに、頭の中で架空の人物を創り出すことになります。

ただ、現実にいる人をそのまま小説に書けば良いかというと、そうではない気もします。「リアル」を描くことだけが創作ではないと思えるからです。リアルが知りたいなら、街に飛び出したり、ドキュメンタリーを観れば良いわけで、完全なリアルではない創作の世界を描く目的は別にあると思っています。

自分と違う世代をリアルに描くことと合わせて、自分というフィルターを通した世代を描くことも創作に必要ではないでしょうか。
小説で描くのは「リアル」ではなく、「リアルっぽいもの」とよく言いますが、人物に対しても同じなのかもしれません。


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