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小説とモンゴル帝国

小説を読む人が減っているとよく言われます。スマホがない時代の比べれば、言われているだけではなく肌感覚でもそう思います。
無名の新人小説家としては小説を読む人が増えて欲しいと思う一方で、客観的に見て小説業界が縮小しているのは仕方がないかなと思います。

縮小しているということは拡大していた時期があるわけです。日本の小説の市場としてのピークは、出版市場が最も大きかった1996年辺りでしょうか。その前からテレビを観る人が増えて小説を読む人は減っていたのかもしれませんが、ベストセラーになった小説は読んでおくべしみたいな空気がその時代にはまだ残っていた気がします。
前年にWindows 95が発表されて、PCの時代に突入し、その後のスマートフォン全盛の時代に繋がっていきます。
サブスクで大量の映画や音楽を自宅で気軽に楽しめる時代に入り、一文字ずつ目で追って頭の中で場面を想像する「作業」(あえて、そう言います)することを敬遠する人が増えるのは理解できます。
本が好きな人でも、大量のネット小説を無料で読むことができます。ネット以前は、小説を読むためには本か文芸誌を買うか図書館へ行くしかなかったわけですから。

無名の新人小説家としては悲しいことではありますが、自分だってYouTubeで動画を観るし、ネトフリで映画を観ます。デジタルキッズ(死語)である僕は、PCやスマホがなければ1日でも生きていくのは苦しいです。

昔と比べて小説の魅力が減退したという話ではなく、単純に時代の変化によるテクノロジーの影響を受けているだけだと思います。
乱暴な言い方をすれば、紙芝居が漫画になり、テレビアニメになったように、フィルムカメラがデジタルカメラに変わったような変化が起きているだけです。

小説マーケットの拡大と縮小を考えるとき、僕はモンゴル帝国を想起します。モンゴル帝国は、11世紀に世界を席巻した遊牧国家です。東は朝鮮半島、西はポーランドまで支配していました。馬を巧みに操り、他国へ侵入し、時にはかなり残虐な行為をして、あっという間に他国を占領していきました。
それだけ巨大だったモンゴル帝国は、内紛などもあり、あっさりと滅亡し、その末裔たちは中央アジアの草原に小さな国に今は住んでいます(日本の面積の4倍もあるので小さくはないけど、帝国に比べればね)。

小説もそんな感じでは、と思います。明治の文豪たちが確立した小説という分野が100年の時代を経て、時代を代表するものではなく、ひとつの娯楽に収まる。
でも、小説は他の娯楽と同様に消滅することはなく、生き続けると思います。中央アジアの遊牧国家のように。

初の商業出版です。よろしかったら、ぜひ。


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