小説における正しさとは
どんな感想でもいただくのは、とても嬉しいです。
いただいた感想の中に「途中まで面白かったけど、後半に政府批判になって、ああこっちの人なんだとわかり不快だった」のような感想をいただいたことがあります。
感想をもらった小説は、どちらかというとコメディタッチの話なんだけど、クライマックスに政府系の団体が出てきます。完全な悪役ではないのですが、その団体が右往左往する姿が政府に批判的だと指摘されれば、そうとも取れるかもしれません。
でも、筆者としてはそんな気持ちは一切なく、話の流れ上、そうなっただけです。他の作品では、逆に体制寄りとも取れる展開もあります。
あくまでも僕の考えですが、小説内で自分の政治的主張を含めることはしません。
話の流れによって、体制寄り、反体制のどちらかの表現を用いているだけで、それが自分の主張かというとそうではないです。
昔、評論家の大宅壮一さんが、ある現象について意見を求められると「賛成と反対、どちらのコメントが欲しい?」と確かめていたそうです。
どんなことにもプラスマイナスどちらの面もあって、自分の思想とは無関係にプラスを中心に意見すれば賛成になるし、逆であれば反対の論陣を張ることができます。
もちろん、僕も長い間生きているので、現実の事象にそれなりの意見はあります。だけど、それを小説内で直接表現しようとは思いません。
僕が行うべきことは面白い小説をお届けすることで、僕の主張を声高に叫ぶことではないと思っているからです。
作者の意見を主張することで、物語に没入した読者が冷めてしまう気がします。
言いたいことがあっても直接書くのではなく、物語を読み終えたときに、その言葉が残るのが理想かと思います。
「もっとも重要なことは文字では書かない」というわけです。
もちろん、小説内で自分の主張を物語に込めて、読者に伝えたい作家もいると思います。
自己の主義主張を小説に含めないのは、あくまでも僕の考えですので、これだけが正解というわけではありませんので、念の為。
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