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大事な話

最近読んだ本の話をしたい。

柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』という本だ。


主人公は、離婚して1年程経つ女性で、幼いころから戦争のドキュメンタリーを夢中で見ており、戦争や災害があった場所、そこにあったはずの世界に思いを馳せる人。コミュニケーションが不得手で、話したいことがあっても誰と話せばいいかわからないし、なぜ自分が戦争のドキュメンタリーを見ているか言語化もできない。
ざっくり要約するとそんな人となりだ。

感想を言語化するのが難しいタイプの作品なので、
ここでは本書の詳細なレビューは控えることにする。
ただ、なんとなくこの主人公の女性と自分に重なるところがあるような気がしたのだ。

性別も違えば、離婚もしている。
表面的な性格もそこまで自分と似ているとは思えない。
ではどこに自分と重なる要素があるのか。

話したいことがあっても誰と話せばいいかわからないという感覚だ。

私も映画が好きで、娯楽作から社会派映画など幅広く鑑賞する方だと自負している。それもあって、社会的な事柄への関心も同世代と比較するとそれなりに持ち合わせているのではないかと勝手に思っている。

ところがそれをどう人に話せばいいかわからない。
だからブログをしているということもあるが、自分にとって本当に大事な話ほど周りからは煙たがられるような気がしている。
具体的な例を提示できず申し訳ないが、職場のちょっとしたスピーチでなんとかマイルドにしながら自分なりに咀嚼して話してみるも、大体は反応が微妙だったりする。
その場に応じた話題の提供ができていないということでもあるので、
単に空気が読めないだけとも言える。
事実そこまで積極的にその手の題材を話したことがないので、単に私が周囲の人々を信頼していないだけなのかもしれないし、話術がないだけなのかもしれない。

とはいえ自分のなかで、大事だと思っていることを自分なりのちっぽけな勇気を振り絞って話したことを無下にされるというのはなかなかに辛い。
あまり感傷的な空気を装いたくないが、それゆえにちょっと悩んでいた時期もあったように思う。

ただ、地球上でただひとりと言っていいくらいその手の話題も通用する人間がいる。

そう、お察しの通り妻だ。

やはり聡明な人物である妻は私がウダウダ話す世の中への不満に対してもじっくり耳を傾け自分の言葉で返してくれる。
それは出会い、付き合い始めて今に至るまで変わらない。
自分にとってこんなに信頼できる人が身近にいて、しかもその人と結婚していること以上に幸せなことはない。
小説の主題とは直接関わりはないかもしれないが、それに改めて実感できただけでも読んでよかったなと思える。

自分の惚気話に小説を利用して大変恐縮だが、素晴らしい小説だと思うので、これをきっかけに『わたしがいなかった街で』を読んでいただけると嬉しい。

妻よ、ぜひ読んでくれ。
感想を聞かせてほしい。
そして、これからもずっと会話を重ねていきたい。

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