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同じ空間、同じ場所、違う景色

今日もお疲れさまです。  べーやんです。


心のありようが 世界の見え方 


この言葉、沁みました。

みんな 思ってませんか?

 現状が理不尽。

仕事してても、自分ばっかり負担を強いられてって感じることが。

楽してる人、さぼってる人はのうのうと同じくらいの給料もらってる。

このままここで、頑張っても期待するような立ち位置には届かない。

自分が真面目に頑張っても、楽してる人は楽するし、文句言わない人は、自分の望まぬ立ち位置に行かされて、時間拘束だけが増えていく。

出世したとしても、コスパが悪い。

給料に見合った業務量じゃないって思ってしまいませんか?


文句ばっかり言うてるなとか言われてしまいそうですね。


もちろん、それもそうだと思います。

僕らの世代は、黙ってすることこなすことが


格好いい
美徳だ


て言われてたから。

ただ、納得出来ないって思い抱えてる人多いんじゃないでしょうか?

そういった思いを抱え続けていたら、自分が無価値なように思えて、絶望に近い思いを抱えてしまいませんか?


自分が無価値だって思う状態で大事な人と過ごす時間は満足出来るでしょうか?

僕が社会人になった頃は、就職氷河期で、学歴だけで就職は難しいときでした。

今、思えば色々やることはあったはずなんですが、当時はあまり考えれていなかったですね。

公立大学出身であったにもかかわらず、1年 就職浪人してしまい、その後、今の職場に就職しました。


学歴があるってことに対してプライドはあったんでしょうね。

仕事が出来ない
頼まれたことを忘れてる
指示されたとおりに出来ない


そうして、周りからはポンコツ扱いされて、どんどん気分が落ち込んでいきました。

食べ物が砂みたいだってこんな感じなんかなって思ったこともあります。

それでも、学歴あるくせに就職浪人して、浪人生活で積もった自立出来てないことの不安は、その職場を辞めることを許しませんでした。

それで、なんやかんやで、18年くらい仕事続けてます。

そんな時にある人に出会った んです。

その人は、今の職場に嫌気がさして起業しようと副業に勤しんでいる人でした。

休憩中は、時間を作っては読書していて、

 僕自身、待機中は職務以外のことをやるとめちゃくちゃ叱責うけて、職務専念義務違反だって教えられてきたから、最初は


ようやるよな



くらいでした。

ただ、僕自身、職場の同僚と

会話しなければならない
気を遣わなければならない
自分と話したところで何も楽しくない


と考えて周りと接していたおり、結構休憩がつらかったので、

読書して周りを気にしなければ、少し楽になれるかもしれないとも思いました。


それで、空いた時間を作っては自分が感じたことをメモにとったり、読書したりしてきたんですが

周りに

コイツなんやねん


て思われているんじゃないかと思ったのも、結構すぐなくなりました。


競争社会生きるのと

悩まず生きるのは別のもの


ズレたこと言ってるかもしれませんが、自分の捉え方次第で

同じ場所
同じ空間

を過ごす景色は、感覚はガラッと変わる。

もし、職場や家庭での色んな場面で


今やってはいけないって


我慢していることがあるのなら、それが本当に我慢する必要のあることなのか


ちゃんと見つめてみましょう。

きっと、時間と空間の価値が変わるから

価値が変われば大事な人と過ごす時間が大事なものだって再確認できるから


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