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[小説]離陸#1~津長の話~

あらすじ:主人公・飯島弘義は刺激のあることを求め、先輩である津長の紹介のもと探偵を始める。探偵をする中で得る刺激、誰かの人生を見ることで飯島の心には何が生じていくのか。自問自答を繰り返す主人公の選ぶ未来とは。

 静かに火が燃えている。火の粉が宙を舞い、光ったまま地面に落ちる。
 手には一枚の写真。…集合写真だった。高校生の頃にクラスの皆で行った思い出の写真。暫く僕は放心していた…  
 周囲は木々が集い、セミが鳴いている。クマゼミの太い鳴き声が響く。
 下に目を落とすと木漏れ日が落ちている。風がほとんど吹いてないせいか、木漏れ日もじっとしている。  
 火の中に新聞を次から次へと入れていく。くしゃくしゃにして、時に何もせずに。
 リビングに向かうと、津長が待っていた。
「今日も捨てきれなかった」
僕が言うと津長は笑った。
「お前、まだそんなことやってんのかい」
分かっている。そんなことやっているのは僕だけだって。
「まぁな、人間関係が億劫になることは分かる。だが、なんだ。過去は過去じゃねぇか。そんなもの捨てるとか考えずに次に進めばいいじゃない」
「捨てないと次にいけないんですよ」
「そんな真面目な顔する話でもない。いいか。過去ってのはな、覚えてるものだけが過去っていうと思う。過去も夢も同じようなもんだ。忘れられれば別に大したことはない」
従兄の津長がそう言うと、僕は何も言い返す言葉が無かった。
 僕は飯島弘義、大学一年生。津長は僕より四つ上だった。今は夏休み期間に入っている。夏から秋に変わる頃、津長は大事な話があると言って家に上がった。彼は特に就職はせず、時折バイトをしている。
「なんでしょう、大事な話って」
「まぁ、待ってくれ。そうだ、この間面白い話があったんだよ」
彼はお土産のように話を持ってくる。いつも饒舌に話すものだから僕とは住む世界がちがうといつも感じている。対する彼には僕はどう見えるのだろうか?
「この前、住宅街を歩いていたらジャーマンシェパードの大きいのが普通に歩いていたのさ。その犬、首輪も着いてなくてさ」
「放し飼いとかですか?」
「それが分からないんだよ。ただ、首輪も何もついてない大型犬なんて狼と何ら変わらないね」
弘義は前のめりになった。
「僕は恐る恐る犬のいない方へ歩きだしたんだよ。そしたら、その犬もこちらに歩きだしたんだ」
「怖いですね」
「小走りでこちらに来るもんで、僕も面食らっちゃってね、走って逃げたんだよ。そしたら、犬も一緒に走り出しちゃってね」
「完全に襲われてるじゃないですか」
津長は口元に小さなえくぼを作った。
「猛ダッシュで曲がり角を何回か曲がった後、その犬は完全に見えなくなったんだよ」
「無事に撒けたんですね」
「そう。僕は久しぶりに命の危険を感じたよ。でも、シェパードと言えば、警察犬じゃない。何か悪いことしたかなって思ってね」
「犯罪の匂いがしたんじゃないですか?」
津長は大きな声で笑い、えびの天ぷらを3分の1くらいかじった。
 彼はバックから木のペンダントを取り出した。木の表面に千手観音像が彫られている。どこかうさんくさい。それが出てきてから、言葉が何かに塞き止められてしまった。
「ところでお母様はいつお帰りになられるんだろうね?」
「母親に用があるんですか?」
 津長は三年前からこの家に下宿している。三年前は大学に通いながら下宿していたのだが、今現在はバイト先がここから近いという理由で住み着いている。飯島家は一軒家で、そこまで狭くもないし、貸せる部屋は二部屋くらいあった。
唐突に津長が電話をしてきた。
「急な話で申し訳ないのですが、大学に行くのに、片道二時間掛かります。お宅だと、片道三十分くらいですので、どうか、そちらのほうに下宿させてもらえないでしょうか。勿論、お金はお支払いいたします。駒使いは、何でもやります。どうか、お願いできないでしょうか」
「息子の弘義と相談して決めてもいいですか。今、夫は単身赴任で海外に行ってしまっていますので、一人分なら空いてる状況です。ですので、いいお返事ができると思います。お金は無理しなくても大丈夫よ」
一人分ではなくて、部屋は二つもあるのだから最後の一人なんてケチを言わなくてもいいのになと思っていた。母親は昔から話を少し盛ってちょっとした感動話のようにする癖がある。
 夫は仕事で忙しく、僕にとって津長は心許せる遊び相手だった。父親は一年に一度、帰ってくるかこないかだった。
 津長が下宿するときに、僕は高校二年生になっていたので、受験のことを少しは考えなければいけない段階に差し掛かっていた。津長は大学受験に受かったという実績があったので、母親は勉強を教えるという条件付きで彼を招き入れると言った。だから、僕は塾にも行かず、津長の話を聞きながら、時には二人で遊びながら、受験勉強に励んでいた。
 だけど、そんな順風満帆であるはずもなかった。彼は授業をしてくれる分には、最高の教師であったけども、自習、演習になると彼は僕と色んな話をしたがるので、返って邪魔であった。
 受験勉強の範囲が終わって、自習が多くなった高校三年生の春頃、津長は家にはいない日が多くなった。おそらく、実家に帰ったのだろうと推測した。その間は彼と電話もメールもしてなかったので、弘義は彼によそよそしさみたいなものが出てくるようになった。
 受験に合格した頃、彼は帰ってきてくれた。一年前と同じ格好で、同じ背丈で、同じ仕草で。ただ久し振りに会う彼からはどこか分別がありそうな大人というオーラが漂っていた。彼は僕が受かったのを聞くと嬉しそうに笑った。
「まぁ、ごめんなさい。わざわざ出ていく必要はありませんでしたのに」
母親は目を細めて申し訳なさそうにした。
「いえいえ、奥さんこちらこそごめんなさい。弘義くんの大事な受験期に水を差すように移り住んでしまって」
「ここ一年間は家にいない日が多かったですね。実家に戻っていられたのでしょうか」
「そうですね、実家から大学に通いながらバイトもしておりました」
「まぁ、それは大変だったでしょう」
母親は頭を下げて謝罪した。津長はとんでもないと言った。
 受験が終わってからは、彼は時折、来て少し泊まっては帰宅を繰り返すようになった。来る前には電話があり、バイト終わりに来るようになった。彼が来ると、家族のように色んなことを喋り、海外に行ってしまって帰ってこない父親の分まで盛り上がるのだった。
 でも、バイト以外でもどこかへ行くことが多かった。スケジュール表を埋めるということが津長の人生のポリシーだ。彼は何処へでも歩き回り、お土産代わりに話を持ってくるのだ。そんな冒険家の彼には僕と母親はついていけない部分があったと思う。それでも彼は僕らと気のおけない間柄で、何を話しても笑って答えてくれるのだった。

 母親が帰ってくると津長は話し始めた。
「お母様。今、お邪魔してます」
「あら、お久しぶりね」
「これ、お土産です」
そう言って渡してきたのは3000円くらいしそうなお菓子の詰め合わせだった。
「どこに行ったんです?」
聞いてみると、彼は京都と答えた。
「僕がここに来てからどのくらいだろうね?」
「三年くらいにもなるんじゃないですか。私は驚きました。何せ、急なことでしたから」
「こう節目の年になってくると、人は行動を起こしたくなるもんだね」
「何言ってるんですか。せっかく帰ってきたばかりですのに」
母親は笑った。津長の性分として、もう行動を起こさずにはいられないのだろう。
「旅行の時は、ホテルなどには泊まってるんですか?」
「いや、当然急に来た僕を受け入れてくれるところなんて数少ない」
「じゃあ、何処で寝ているんですか?」
「奥さん、鋭い質問だね。僕は駅のホームや待合室でこっそりと夜を明かしている。この間、びっくりしたのが、駅の待合室で寝ていると体を這いずり回る感覚で目が覚めたんだ。僕はそれをゴキブリか何かだろうと思って飛び起きた。でも、そこには何もいない。後で調べたところ、その駅は自殺の名所だったんだ」
「じゃあ、あなたのそれは…」
「そう。でも、もう一つのことが考えられる。人はゴキブリを飲み込んでいるという話が存在するじゃないか。だとしたら僕の体に侵入していても何ら不思議はない」
「どちらにせよ、嫌な話」
母親は笑うと、津長はずる賢い顔をして笑った。
「まぁでも、旅というのは良くも悪くも、嫌な話ばかり記憶に残ってしまうね」
その時、麦茶の入ったやかんが音を立てたので母親は「あら、すいません」と言い残して台所に行ってしまい、津長は僕の方に向けて喋り始めた。
「でも、人は旅に助けられ、旅に迷い、旅に死ぬんだなって思うんだ」
「それが津長さんの信条ですね」
「いや、信条はその奥にある。それは生暖かい刺激を忘れるなということだ。人は刺激が最大の活力ではないかと最近は思う。ただ人はその刺激というものに価値をつけ、それをサービスと呼んでいる。ただ、僕はサービスと言うのはあまり好きではない。旅行ツアーとかの予め決められたものは生の刺激をもらえないような気がするからだ。
 でも、ただ単に刺激を求めるのは実は間違いだったりする。人は刺激というものにハードルを設定してしまうとそれを越えてこないものたちは体は反応しなくなっていく。それほど恐ろしいことはない。
 つまり、言いたいことはだね、弘義くん。日々の中の刺激を忘れないでほしい。単調な毎日に見えても、きっと面白くなる素材は目の前に転がっている。それを毎日一つずつ積み上げていけば、それはやがて大きな刺激になるだろう」
「僕は刺激を喉から手が出るほど求めて日常を生きるのも酷な気がします」
「そうだな。まあ、日常にこだわらなくてもてもいいんだ。例えば人は、旅に出ると刺激を求めずにはいられなくなる」
「僕は、あまり旅をしてないので分からないような気がしますが、そういうものなのですね」
「結局、旅と言っても刺激さえあればいい。つまり、旅は新しい道を選ぶということなんだ。君は通学路を変えてみるとかでも、知らない人に声をかけてみるとかでもいいんだ。とにかく新たな景色を、新たな世界を望んでほしい」
「今の僕の人生は津長さんとは真逆な感じがしますけどね」
「まぁ、弘義くんがこれから先、行き詰まった時のために話しただけだよ」
彼は酔っ払った顔をして、流れに乗るように聞いてきた。
「君は刺激を望むかね」
やけに真顔だった。後に、何処か彼の本心から湧き出た言葉のような気がしていた。
「はい。望みます」
津長は笑うと、安心したような顔をした。
「身近な所にある刺激を味わいにいこうか」

 夕方、もう日が半分落ちている。津長と僕は自転車を漕いで、公園へと向かった。
 河川敷につくと彼はミネラルウォーターを飲み、自転車に鍵を掛けた。僕もそれに倣った。ここから何が始まるのかも分からなかった。
「津長さん、この河川敷、僕も知ってますよ」
津長は笑顔で答えた。
「そう焦るなって。ちなみに、弘義くんのバイトはどうなっているのかな?」

 僕のバイトは家庭教師だった。大学に行きながら教師をやるということは本当に辛く、どうすればいいのか分からないこともあるなかでよくやったと思う。違う生徒に、週に三日のバイトをこなすことで給料をもらえた。特に教えることのやりがいは格別だった。
 ところが、悲劇はここから起きてしまった。ある日、会議のため職場へ向かうと、スタッフの人から大事が話があると言われ、個室に呼び出された。そんなに僕は物怖じせず、普通を取り繕っていた。扉が閉じると、なぜだか知れぬ居心地悪さが襲った。ただ、相手の口が開くまでは、僕は悠然に何が起こるのかを、映画が始まる前のように見守っていたのである。
「あの、飯島くん。君の評判が実はあまり良くなかったんだ。評判というのはアンケートをやってもらってね、判断したんだけど、他の先生方は結構いい評価を貰えてるんだ。でも、飯島くんは相対的に見て低いね。なぜ、こんなこと言うかっていうとこのアンケートの結果は後で皆に渡すんだけど、他の人より低いから先に言っといた方がびっくりしないで済むかなと思って」
泡を食ったが、その場をうまく笑って取り繕い、誰の声も聞こえぬままに外に出た。僕はこういう場合、後から怒りが、立ち上るタイプのようだ。
 電車の中に乗ると、堰を切ったように怒りが、これから先に対する不安が押し寄せてきた。正直、今まで邪険に扱われてきた。だけど、誰も何もいわないでそれを受け入れているようだ。その因習は僕の心とは齟齬をきたしていた。一学期に積み重ねてきた、大きな積木が地震で一瞬で崩れ落ちてしまうようなものだった。僕はあらゆるものを一蹴した。放心したまま、一学期を終えた。

「へぇ、家庭教師か。憧れの先生とかっているのかい?」
「憧れですか?」
「実は、僕も先生をやってたから分かるんだけどね、生徒の成績が上がらないとか悩むことは沢山あると思うんだ。そう言う時は、自分が生徒の時に好きだった先生を思い出すんだ」
「僕はあんまりいないかもしれません」
「いれば、少しは勇気が出てくるんだけどね」
やり場のない悲しみ。散歩をしている今、この時の僕らにとっては、悲しみや怒りが何故だか小さくなっている、つまり小さく見える。
心が通じ合えるというだけで、人の心までが自分の心のようにも見える。すると、心が大きくなったのを感じ、悩みは相対的に小さく見える。僕は一人じゃない喜びというのを感じ、また一人で生きていく勇気を育てる。
 津長は枝を折りながら前に進んでいた。どうやら森の中らしく、津長が懐中電灯を持っている。木にはカナブンなどが集まっている雑木林がある。鼻に来る匂いは、虫網を持って走り回っていた小学生の頃を彷彿とさせるような懐かしさがある。地面は、雑草がまばらになっている。何人かの人が来てるんだと思った。
「もう少しだぞ、弘義くん」
 辺りは津長の懐中電灯の射す先以外は暗闇だが、近くのほうに水の音がチョロチョロと聞こえる。遠くのほうに少しほの明るい光が見える。僕ら以外の誰かが来ているのだろうか。一度、草むらの中に入っていくと道は何だか、道路のようになっていて案外進むのは楽であった。
「昨年の台風の影響か、この道は窮屈になってるところもあるね」
真っ直ぐ僕のほうを見ると、もう着いたよ、と声をかけた。
「ごめん、蚊に刺されちゃったね。まだ七月だというのに」
パッと見、三ヶ所くらい刺されていた。
「さあ、そこのベンチに座ってくれ。今、懐中電灯を消すから」
電気が消えたはずなのに、暗闇の中に飛び交うレモンイエローの灯りが見も知らぬ草むらを照らし出していた。
「光がない時分はもっと感動的だったんだろうね。正体はお分かりの通り蛍だよ。こうして、森の中で電球が一つもないところで見る蛍は初めてじゃないかな」
津長は小声で喋れと言わんばかりに小声で話した。
「ただ、蛍は最近になって環境破壊、森林破壊などで蛍たちは住む場所を追われてしまってね」
「ところで、ここは何処なんです?」
僕が聞いてみると、津長は口をふさいだ。
「ここはな。蛍たちの絶好の場さ。他人から聞いた話なんだがね、僕はあまり長くは生きてはいないから分からないんだけども、昔はここは公園だったらしいんだ」
通りでベンチがお誂え向きにあるなと思った。
「その公園はほとんど森の様なところで、そんなに手入れはされていない公園だった。すると、ある日かなり強い台風が来て、木が倒れてしまったらしいんだ。すると、ここはもう足場が少なくなってしまい立ち入り禁止ということになって、誰も通る人がいなくなってしまった。でも、地元の人だけはここを知っていて蛍を保護する場所として大事にしている」
「だから、君はここをあまり他言しないようにしてくれ。乱獲する人もいるみたいだからね」
僕はその言葉に蛍は人のために光っているのではないという、当たり前が頭を締め付けた。それと同時に真暗闇の中では、小さな光でも印象強く見えることに気が付いた。
 小さな蛍が近くに飛んできていて、津長の首にぶら下がっている千手観音のペンダントを照らした。
 僕らはそっと腰を上げて、森の中を出ると静かに家に向けて自転車をこぎだした。
  夜を走る灯りで、例のペンダントは点滅を繰り返しているようにも見えた。僕はそれを強くねめまわした。何か、自分に復讐するように、自分を探るように。

 日が昇った時、津長はいなくなってしまった。急なことだったので面食らったが、平生の彼からそんなことは当たり前であるような気もしていた。しかし、津長の部屋の机の上にある千手観音のペンダントが今回の事件を別物にしていた。
 最初はすぐに帰ってくるだろうという考えで過ごしていたが、待てど暮らせど帰ってこない。そのうち1ヶ月経っても帰ってこない。僕は少々疑問に思い、津長の実家に押し掛けてやろうと思った。それには、ペンダントを僕から遠ざけてやりたかったという理由がある。
 紐の部分を彫られた千手観音像に巻き付け、丁寧にバックにいれた。ここから津長の家までは電車で一時間くらいであった。しかし、僕は電車の乗り換えに関しては不慣れであったために携帯と共に行くことにした。
 大道家は駅から一里くらい離れたところにあった。かなり歴史のある家で、少し古びた屋根瓦はそこにある歴史を物語っている。大道という姓は津長の姓だ。
 津長のペンダントを躊躇いがちに出すと、くくりつけられた紐の中に千手観音があった。僕は内心迷っていた。臆病なのだ。明るい大学生や、同級生を見ると心の中で悪態をつく。事実、それしかできない。周囲に人がいると緊張し、傷つくことを人一倍に恐れている。
 千手観音像はこちらを向いていた。些細な心の動きがその挙動を大層なものとして捉えていた。何となくだが、行かなければこの千手観音に何をされるのか分からないというような不安で冷や汗が出始めた。いや、このペンダントを捨て去るチャンスがある。それだけでまたとないものなんだ、と直感した。
 大道家に上がると、外装どおりの内装で、線香に近いような懐かしい匂いが香った。菓子折りを渡すと人が変わったように僕を招き入れた。取り次ぎに出たのは七十歳くらいの下女だった。へぇ、珍しいなと思って目で追っていた。
「お一人様で来られたのですか?」
「はい。お宅の津長さんのことで」
「今日確か、来られましたよ。朝の六時くらいに上がってきて、すぐに出ていかれましたけど」
「その時、何か言ってませんでした?」
「はい、特には。でも、弘義くんにこれを渡せっていう手紙を渡されましたわ」
「その手紙は何処へ?」
「津長様の机の上にあります。取ってきましょうか?」
「えぇ。お願いします」
すぐにその手紙が出てきた。きちんと封筒に入れられてあるのが、用意周到だったのか、偶然発見したのか気になっていた。
「この中身は見られました?」
「えぇ。でも私のような者は見られません。お母様は拝見なさってましたが」
「僕は見ちゃってもいいんですか?」
「もちろんです。津長様が言っておりましたから」
下女の言葉を信頼して、手紙の封を切った。
「この手紙は、家族が読んでも構わないが飯島弘義くんに見せてほしい。もちろん、そのために書いている。
 僕はとある事情から中国の電車関連の職場で働くことになった。本当はもっと前から決まっていたのだが、つい言うことを忘れてしまった。
 弘義くんの家には僕の持ち物がまだある。悪いがそれを全部処分してほしい。売っても構わないし、捨てても構わない。
 もうひとつ、弘義くんのところに大事に持っていた千手観音のペンダントがあったと思う。それも処分して構わない。とにかく、僕の持ち物は何一つ取っておく必要はない。
 最後に言っておきたいことがある。君は確か、刺激を求めるかと聞いたときに頷いたね。この手紙の裏にもう一枚紙が入っている。その紙について説明したい。
 君はバイトのことで悩んでいたね。そんな君にいい口があるから紹介したい。仕事の内容については今僕からは説明しがたい。ただ、刺激を求める人間にとっては蜂蜜のような話だと思う。見て分かる通りその紙は紹介状だ。
 また会おう、最高の友よ。
                                              大道津長」

 手紙を飛ばし読みすると、急いで胸ポケットに手紙を丸め入れた。下女は予想していたより手紙を読むのが早かったのか、少しだけ目を丸くしていた。
「捨てるわけないじゃないですか」
僕は逃げるように大道家から離れた。
 逃げても逃げても千手観音は離れてくれなかった。それは一体何処へ行くべきかということも示してくれなかった。ただ、それを握っていると心拍数が高まった。


二話へ続く

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