クロノウォッチャー

 人類が時間旅行を可能にしてからすでに数世紀が経つ。
タイムマシンの発明は人類史に残る偉大な発明のトップリストに載った。
 タイムマシンが開発された当初、扱える人は限られており、訓練を受けた一握りの人のみが搭乗を許された。
いくつもの審査と訓練をパスした人間だけがタイムマシンの操縦をすることができた。

 しかし、それもすでに過去の話だ。かつての画期的な発明、自動車やコンピューターがそうであったようにタイムマシンもまた、コモディティ化した。
全てのパーツのコストが抑えられ、改良され、一般の人々でも購入できる商品となった。
あらゆる企業が一般向けのタイムマシンの開発、販売を始めた。
 こうして誰もがドライブ感覚でタイムマシンを操縦し、旅行感覚でタイムトラベルをすることが可能となった。

 しかし、そうなると問題となってくるのはセキュリティだ。
しかもタイムマシンともなれば駐車違反とはわけが違う。
 もし過去に行った際に、不用意に歴史を変える行動をしてしまった場合、たとえそれがささいなことでも未来に重大な影響をもたらす可能性がある。
 たとえば、恐竜を見に過去に行ったとする。その時にうっかり鼠のような小さな哺乳類を踏み潰してしまった。
たかが鼠一匹、と思うかもしれない。しかし、その鼠は実は人類の祖先にあたる哺乳類だったとしたらどうなるか。本来は生きて子孫を残すはずだったその鼠を殺してしまったことにより、その子孫が存在しないこととなってしまい、現在の我々にまで影響を及ぼしかねないということだ。

 そのためタイムマシンが発明されたことによって起こりうる、こういったパラドックスを防ぐために新設された機関が「クロノウォッチャー」だ。
 クロノウォッチャーは時間監視人、時間観測者、また時間の番人とも呼ばれる。
その名の通り、タイムマシンで時間旅行が可能となったこの現代において、過去の改変が行われないように監視と取り締まりをする独立機関である。

 タイムトラベルをする際には必ずクロノウォッチャーへの事前の申請が必要であり、それを破ると時空往来法違反で罰に処される。
 申請無しで過去へタイムトラベルを行った場合、すぐにクロノウォッチャーへ通達がいき、犯人が過去に到達する前に逮捕できるようにシステム化されている。
 特に歴史改変目的でのタイムトラベルは重罪であり、殺人と同等の罰に処される。

 それぐらい過去を変えるというのは危険な行為であり、クロノウォッチャーは常に目を光らせている。
だからタイムトラベルといっても過去でやれることは限られている。
 過去ではタイムマシーンから降りることは禁じられている。ステルス機能があり、外からは見えない。乗ったまま各地を巡り観光を楽しむ。
 何かに触れたり、メッセージを残したり、といったことも固く禁じられている。
許されていることはあくまで見ることだけだ。
 もしこれに違反するとクロノウォッチャーがすぐに飛んでくる。クロノウォッチャーは全ての時間旅行者をモニター化して監視しているため、違反行為があった場合はすぐに分かる。
 そして改変が行われる少し前の時間に行き、改変行為自体が無かったことにする。
これがクロノウォッチャーの仕事だ。

 ずっと考えていたことをついに実行に移す時が来た。このためにずっと準備し、機会を伺ってきた。
あの過去を変えるために。

 私には恋人がいた。過去形なのは別れたからではなく、恋人が既に亡くなっているからだ。
私にはもったいないぐらいの素晴らしい人だった。あんなに本気で愛したのは彼女だけだ。
それなのに死んでしまった。
 周囲の人はいろいろ言ってきた。不幸な事故だった。お気の毒に、ご愁傷様です。悲しいとは思うが前を向いて。
 全て私の耳を素通りした。あの日、私は恋人の亡骸を前に固く誓ったのだ。

「君が死んだ過去を変えてみせる」

 私は恋人が死んだその日からクロノウォッチャーになることを決めた。
ただタイムマシンで過去に行って起こったことを改変しようとすれば、すぐにクロノウォッチャーに捕まってしまう。
クロノウォッチャーの監視網をくぐり抜けることはタイムトラベルにおいて不可能だ。

 しかし、その時ふと思いついた。自分がクロノウォッチャーになってしまえば、内部の情報が手に入る。そして隙を見て過去に行き、恋人を救い、過去を改変すればいい。
 危険な行為だということは百も承知だ。もし捕まれば、死刑か、良くて終身刑だろう。
しかしそれでも構わない。彼女を救えるのならば、私はどんなことでもする覚悟だ。

 明確な目的があったこともあり、クロノウォッチャーになるための試験や実技も全てクリアした。
難関ではあったが、目的のために寸暇を惜しんで努力した。
 クロノウォッチャーになった後もすぐには行動に移らなかった。
まずは職務である、タイムトラベルの監視、時間犯罪者の取り締まりに真面目に取り組んだ。
 職務を順調にこなし、同僚とのコミュニケーションも円滑にするよう心がけたので同僚や上司からの信頼を得ることもできた。
 職務を忠実にこなしていくうちに、ある程度自分の権限で自由に行動できるようになっていった。
上司や同僚から信頼をすでに得ているので私に対するチェックも厳しくない。
何より、ここで働いたことにより、クロノウォッチャー内部の情報に詳しくなった。
監視網のチェックの隙やシステムの抜け道などを完璧に把握することができた。
 
 いよいよ作戦を決行する時だ。

 決行当日、私は人の目が無くなる時間を見計らって密かに用意していたタイムマシンに乗り込んだ。
 私が過去に行って時間を改変したとしてもクロノウォッチャーのシステムには引っかからないようにすでに細工をしてある。今日は監視ルームには私一人になるようにこちらも手配済みだ。
 抜かりはない。もちろん逮捕されてもいい覚悟はあるが、そうならないに越したことはない。
恋人の顔が目に浮かぶ。早く会いたい。

 恋人のことを考え、逸る気持ちを抑えつつタイムマシーンをスタートさせた。

・・・・・何の反応もない。もう一度スタートさせようとする。ピクリとも動かない。
 故障か?いや、そんな馬鹿な。整備も完璧だった。動作確認も何度もした。それなのに全く動かない。
マシーンを降りて機体をチェックしようと、ドアの開閉のスイッチを押した。

・・・・こちらも何の反応もない。何度押してもドアが開かない。手動モードにして開けようとしたがこちらもダメだった。
 いったいどうなっているのか。さらにドアに力をこめて開けようとした時、
シュー、というガス漏れのような音が聞こえた。
 何の音だ?と疑問に思う暇もなく、私は意識を失った。

 目が覚めると、見慣れない部屋にいた。椅子に座らされており、目の前にはもう一つ椅子が置いてある。それ以外は何も置いていない殺風景な部屋だった。
どうやらあのガス漏れのような音は睡眠ガスだったようだ。ということは私が過去へ秘密裏に行こうとしていることがばれたのだろうか。考えられない。何よりまだ過去に行ってもないのにバレようがない。
 それにこの部屋も見覚えが無かった。もし捕まったのならばまず尋問室に連れていかれるはずだ。しかしここは違う。
 それに私は拘束されていない。椅子に座らされているだけだ。捕まったにしては不自然な点が多い。
いったいどういうことなのかキョロキョロしていると、不意に部屋の扉が開き、男が一人入ってきた。
その男の顔を見て、驚いた。クロノウォッチャーの長官だった。
 長官は扉を閉め、ゆっくりとした足取りで歩いてくると、私の目の前の椅子に座った。
私が呆気に取られていると

「残念だったね。でも君の恋人を助けることは不可能なんだ」

と話した。

 私は混乱した。なぜそのことを知っている?計画のことは誰にも喋ってないし、証拠になりそうなものも残していない。何よりまだ過去に行ってもいないのになぜ知っているんだ?
 様々な考えを巡らし返事ができないでいると、長官は続けて

「混乱しているようだね、無理もない。どこから話そうか。そうだな、まずはここの場所。この部屋はクロノウォッチャー本部の地下深くにあってね。限られた人しか知らない場所なんだ。ちなみに録画も録音もされていないから安心して話してくれて構わないから」

本部地下深くにある秘密の部屋だって?そんなもの私は知らないぞ。本当なのか?いや、それよりも・・・

「長官、私がやろうとしていたことをご存知でしたよね。なぜです?どうやって?」

私は一番の疑問をぶつけてみた。長官は少し困った顔をして、顎をさすった。

「君が過去へ行き、亡くなった恋人を助けようとしたことは知っている。ずっと前からね」

「そんな馬鹿な!だって・・・」

私の言葉をさえぎるように長官が手を挙げると

「まずこちらの話を聞いて、質問に答えてくれ。そうすれば君の疑問はおのずと解決すると思うよ。君はクロノウォッチャーの任務は何か知っているね?」

私は聞きたいことを何とか抑え、長官の質問に答えることにした。

「任務、ですか。主にタイムトラベルの監視と時空往来法に違反した時間犯罪者の逮捕でしょう?」

「その通りだ。しかし、実際は大きく異なるんだ。真実とはね」

そこで長官は一息つくと、

「時間の流れというのはね、川の流れに似ているんだ。どこをせき止めようと、部分的に流れが乱れるだけで、すぐに元の川の流れに戻ってしまう。時間の修正力というものがあるんだ。それには決して抗えない」

私は聞いているうちに汗がにじんでくるのが分かった。

「たしかにクロノウォッチャーの任務は時間の監視だ。しかしいくら優れた監視システムがあるとはいえその全てを網羅できると思うかい?あらゆる人がタイムマシンを持ち、タイムトラベルが可能なこの現代で」

長官はさらに続けて

「おかしいと思ったことはないか?いくらクロノウォッチャーでも全ての時間を監視するのは不可能だ。人間が過去に行けてしまう以上、故意であれ、偶然であれ、いずれ過去の改変が起こるはずなんだ。それなのに未だに時間の改変が起きていないのはなぜだと思う?それは時間が改変されても川の流れのようにすぐに修正されてしまうからなんだ。時間の改変や、タイムパラドックスなんてそもそも起きようがないんだよ」

「嘘だ!」

私は思わず叫んだ。過去の改変が不可能だって?それじゃあ彼女は!私の恋人は助けられないということじゃないか。
そんなことあるはずがない。
 私の悲鳴に似た叫びを聞いても、長官は落ち着いており、予想していた反応と言わんばかりだった。

「考えてみてくれ。なぜ我々が君が過去へ行こうとしていることを察知できたと思う?」

長官はぐっと私の方に近付くと

「なぜならすでに君は過去に行き、恋人を救い出し、過去の改変に成功したんだよ。しかしすぐに時間の修正力が働き、結局君の恋人は死んだ。事故とは別の死に方でね。死に方というのは無数にあるもんだ。何度も言うが、時間の修正力には決して抗えないんだ」

私は返す言葉が見つからなかった。考えたくなかったのかもしれない。

「我々は君が過去を改変しようとした際の時間の乱れを察知した。そして同じく過去に行き、状況を把握した。恋人の死体の前で絶望している君を尻目に現代に戻ってきて、過去へ行こうとしている君を阻止したというわけだ」

そこまで聞き、ようやく私は口を開いた。

「そんなはずはない・・・過去は変えられるはずだ」

絞り出すように言うと、長官はため息をついた。

「過去を変える?いや、君がやろうとしていること、いや、やったことは川の流れに石ころを置いただけだよ。石ころを置いた部分の流れがほんのちょっぴり乱れるだけ、すぐに元の川の流れに戻り、石ころなんて元々無かったかのように川は流れていく。
時間の流れというのは川と同じなんだ。時間という大河の巨大なうねりを変えることなんて不可能なんだよ」

私は頭を抱えた。

「君は優秀だ。だから知っておいてほしくてね。
過去で何をしても時間の修正力が働き、全て無駄に終わってしまう。
我々は時間をしっかりと監視しています、という偽りの安心感を民衆に与えること。
それこそがクロノウォッチャーの本当の任務なんだ」

長官の落ち着いた声が冷たく部屋中に響き渡った。

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