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人は人と別れて あとで何を思う。|Episode

コスタリカ編の最後は、この国でお世話になった人を思い出し、一人時間差攻撃でそっと幸せを祈ろう。

エウベル

一人目はホームステイ先の中学生、エウベル(仮称)。研修中の2ヵ月間、サンホセ郊外の下宿をあてがわれていて、そこの一人息子だった。私は泊りがけで留守にすることも多かったのだが、家にいると決まって話しかけてきてくれた。

ただ、話題はマンガの『ドラゴンボール』か映画の『マトリックス』のほぼ二択だった。特に後者はその当時封切りしたばかりで、エウベルは熱を込めてその魅力を力説するのだが、話が複雑すぎて映画の世界観がほとんどイメージできなかった。ならばと、一緒に映画を見に行ったこともあったが(彼にとっては確か3回目)、映画を見てもスペイン語吹き替えが聞きとれず、理解は同じ場所をさまよっていた。

大学で工学部に進んだところまではキープ・イン・タッチだったものの、その後はわからない。ブレインテックの研究者として、イーロン・マスクの片腕の一人になってたらイイね。

多田さん

二人目は日本人で、EARTH大学というところで有機農業の講師をしていたEM研究機構の多田さん(仮称)。EM菌のパイオニアは琉球大学教授だった比嘉照夫先生なので、沖縄つながりで多田さんに事前に訪問のアポをとっていた。

着いてみると、サンホセからカリブ海岸のプエルトリモンに向かう道すがらの、とんでもない田舎にある大学だった。居宅は大学の敷地内でわりと瀟洒だが、やっぱり閉ざされた空気があり、多田さんはまだしも奥さんは味気なさを感じているようだった。

任期があるので数年で異動したと思う。だが、今の私なら長くて1年が限界のような気がする。ただ、近くの川でグァポテが入れ食いだったり、カリブの海にターポン狙いに行けるのであれば、もう少し我慢できるかな。

問題のアミルカル

最後の一人はアミルカル(仮称)だ。彼は私がお世話になっていたNPOであるVIDA(環境活用研究奉仕協会)の職員で、ボスから私のアテンドを任じられていた。だから、遠出をするときは彼の私有のランクルでの移動が多かった。

6,7歳ほど年下の彼とはあちこちに行ったが、最後まで薄皮一枚のところで仲良くなりきれなかった。まあ彼にしてみれば、それまで担当していた仕事を休止してまで、突然やってきた平たい顔族のお抱え運転手をさせられたわけだから、もともとおもしろくない気持ちはあっただろう。こっちもこっちで、なるべく研修期間内にレポートをまとめないと、日本に戻ってさらに仕事に穴を開けることになるから、あまり気持ちの余裕がなかった。その頃は適度に手を抜くということができなかったんだよな。

太平洋岸のマヌエル・アントニオ国立公園を視察したときのこと。ここで具体的に何をしたか、悲しくなるほどおぼえていないが、樹上のナマケモノをこの両の眼で見たことはおぼえている。

その帰り道、アミルカルは私にこう聞いてきた。
「おい、まうしろ。有史以来、人類が絶滅させた生物の種を、もしひとつだけ復活させられるとしたら、おまえ何を選ぶ」。

唐突だったので答えに窮した。
心の声〈人類が絶滅させた…と言ってもなあ。マンモスとかサーベルタイガーとかは人類が原因って言い切れるのかな? あ、オーロックスはきっとそうだろう。でもあれはヨーロッパだよな…〉

しびれを切らしたのか、アミルカルが自問自答するかのようにこう言った。
「俺ならメガテリウムだぜ」。

今なら、ナマケモノを見たばかりだったから質問の意図もなんとなくわかるだろうが、その頃の私はメガテリウムについて無知だった。

メガテリウム/Megatheriumは、500万年から1万年前頃まで南米に生息していたナマケモノの近縁属である。地上性のナマケモノとしては最大であり、立ち上がると5,6㍍にもなり、体重はというと3~5㌧にまで成長した。

【出典】ダイヤモンド・オンライン

と、このようなことを彼は説明していたと思うのだが、さっきの邂逅の残影からか、5㍍級のナマケモノが私はまったく想像できずに、混乱しうわの空だった。

心の声〈え〜? 5㍍のOso Perezosoって…(ナマケモノはスペイン語でオソペレソソといい、直訳すると「不精な熊」である) そもそも木に登れないなら世界線が違うじゃん!〉

私がメガテリウムを知らないことに気をよくして、アミルカルは得意げに説明を続けていた。私のほうを何度も振り向きながら運転するため、ただでさえ運転が下手なのに、車が何度も路肩のジャリの部分にはみ出して、こっちは気が気でなかった。

研修も終わりかけの頃の休日に、アミルカルは交通事故を起こしてこの愛車を大破させた。本人はいくつか切り傷ができていた程度で無事だったが、遠回しに私のアテンドがきつくて…みたいな言い訳をしているので、内心はちょっと憤慨していた。別れ際に、お気に入りの一眼レフカメラ、キャノンのEOS Kissを彼に献呈したときも、車の修理代が頭にあったのか、あまり喜んでもらえなかった。

でも今は、寸志のお見舞金か、買ったばかりのハンディビデオカメラかを置いてくればよかったなと反省している(結局このビデオカメラ、ほとんど使わなかったし)。

こうした気持ちのボタンをかけ違えたままのケース、みなさんもひとつやふたつ、お持ちではないですか?

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