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旧聞#1 踊る新年|Essay

このシリーズは1997年に琉球新報紙に掲載されたコラム集です。基本的にそのまま転載しますが、プライバシー表現や舌足らずな点など一部は修正しています。



今年も新年がやってきた。去年は自室にて腐るほどの初夢をみた。おととしはカナリア諸島の快適な空港ロビーで、接続便を待ちながらうとうとしていた。そして三年前は、好奇心と汗とで眠る暇さえなかった。

そのとき僕は中米のホンジュラスという国で暮らしていた。この国の北海岸にはガリフナ族という西アフリカ出身の人たちの村が、ポツンポツンと点在している。この少数民族の運命はしたたかで、奴隷貿易でこの地域に連れてこられながら、一度も奴隷化されたことがない。逃げ出したり反抗したりしたあげくにたどり着いたこの国で、ガリフナ族は自分たちの新しい歴史と文化をつくりあげた。

クリスマスから新年にかけての数日間を、僕はこの人たちと過ごした。それは腰で空気をかき混ぜる日々だった。布教されたキリスト教にアフリカとカリブの土着宗教をもぐり込ませた彼・彼女らは、キリストの誕生を独自の解釈で祝福する。それがウング・ウングやワナラグアなどの身体が奏でるリズムである。

村の婦人たちは夜になるとおもむろに集会所に集まり、隊列を組んだり輪になったりしながら、そのでっぷりとした腰回りを左右に揺らして一晩中踊り明かす。まるで黒い波が打ち寄せるかのような腰の迫力と、男たちによる鹿皮や亀甲などの太鼓の旋律がこの場を占領していて、新年の到着も遠慮がちだ。

午後は少年たちが仮装して、村の各家を踊り歩く。これは白人女性に化けて奴隷化を試みるイギリスと戦った史実を再現したもので、身につけた原色の派手な衣装が寝ぼけがちな新年に生気を与える。楽器も兼ねる数百の貝殻を膝につけた少年の動きは圧巻で、ジャンプする度に人々から歓喜の声があがる。こうして村には民族の誇りが継承されていく。

沖縄でも、シチやウイミなどかつての年の節目は唱え歌い踊り清められた。カチャーシーの優雅でクリエイティブな手の動きで、村の豊年豊作をたぐり寄せていた。その伝統は今に継承されているだろうか。

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