ディアトロフ峠事件と浜比嘉大橋丁字路事故の共通項|Review
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1959年の冬、ウラル山脈北部のオトルテン山の登頂をめざしていたウラル工科大学の学生ら9人は、2月1日に手前のホラチャフリ山でキャンプした。その日の夜に何かが起こり、全員が遭難死した。
不可解だったのは9人の遺体の状況だった。
遺体はテントから1〜2㌔ほど離れた3ヵ所で別々に発見された。
氷点下だというのに薄着の者が多く、ほぼ全員が靴を履いていなかった。
6人の死因は低体温症だが、3名は頭蓋骨骨折を含む重症、女性メンバーの1人は舌が失われていた。
一部の衣服から高濃度の放射能が検出された。
テントは潰れても中が荒らされてもいなかったが、人が通れるように内側から切り裂かれていた。
なぜ安全なテントからマイナス30℃の外へ逃げ出さねばならなかったのか――『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』(ドニー・アイカー著、安原和見訳、2018年、河出書房新社)はこの謎に迫る。
当時、ソ連当局はこの不可解な事故を「未知の不可抗力によって死亡」と総括して幕を引いた。納得できない人々とネット社会はさまざまに憶測した。曰く「雪崩、吹雪、殺人、放射能被曝、脱獄囚の襲撃、衝撃波または爆発によるショック死、放射能廃棄物による死、UFO、宇宙人、狂暴な熊、異常な冬の竜巻、最高機密のミサイル発射実験などなど」。
著者アイカーはシャーロック・ホームズばりの消去法によって、これらの憶測をひとつひとつ否定していく。
1.マンシ族による攻撃
その頃、マンシ族は近くに居住していなかった。また、ホラチャフリ山には狩りの獲物がおらず、聖地でもなかったので近寄らなかった。平和的な人々で、捜査活動に最初から協力していた。
2.雪崩
斜面の傾斜は緩く、雪崩の災害歴もなく、テントも無事だった。
3.強風
用を足しに外に出て吹き飛ばされた仲間を他のメンバーが助けに出たという仮説は、なぜ全員がテントの外に出たのか、誰も靴を履かなかったのかが説明できない。帽子を被ったままの死体もあった。
4.脱獄囚など武装集団
脱獄の事実がない。テントの裂け目は内側からの傷で、持ち物はなくなっていなかった。激しい損傷があった3人の遺体は、高さ7㍍の崖から落ちたものだろう。なくなった舌は雪解け水の微生物による腐敗現象と思われる。
5.兵器実験
光球が複数回目撃されているが、目撃者の勘違いで2月17日の1回のみ発生したのだろう。この日ロケットの発射実験が行われていた。
6.放射線関連の実験
衣服についていた放射能は異常というレベルではなかった。
結局、有力な説はなにひとつ残らなかった…というのはおそらく記述の戦略で、ソ連側の協力者も指摘していた「超低周波音」が犯人だった、という推測だ。夜中に吹いた強風が超低周波となり、テントの中の9人に本能的な恐怖とパニックを呼び起こした。この説は、ホラチャフリ山頂の左右対称の形状はカルマン渦列を発生させることができると、アメリカ海洋大気庁のお墨付きをもらって一件落着。
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不可解な事故というのは沖縄にもある。浜比嘉島の丁字路衝突事故がそうだ。
浜比嘉島の場合も超低周波音がドライバーの運転制御能力に影響したと考えてみる。
カルマン渦列自体は気象現象として発生しうる。例えば2023年11月24日には、済州島から九州の西海上にかけて発生している。
2019年1月29日には、利尻島の風下(南南西)側で典型的なカルマン渦が写っている。
しかし、浜比嘉島近くにカルマン渦列を発生させるような地形、あるいは人工物があるのだろうか?
平安座島の石油基地は、一個一個の石油タンクは円柱形で、左右対称とみえるが、総体としてそうなっていないし、丁字路に影響を及ぼすには距離がある。超低周波音を発生させるといわれる風力発電は近くにない。丁字路の奥側にある浜比嘉島のムイと考えるのも、微地形すぎて無理がありそうだ。
橋長=900㍍の浜比嘉大橋はどうだろうか。橋梁も超低周波音の発生源になりうるとされている。だけど平成9年2月供用開始だから、近年事故が集中していることを説明できない(上記すべてがそう)。
結局、超低周波音犯人説はひとまず取り下げざるを得ない。
ああ、私にドニー・アイカーの粘り腰があれば、原因究明できたかもしれないのに…申し訳ないです。
でも、もしもの事故の際に「超低周波音」を疑う習性だけは身につけておきたい。
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