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2007ペルーの旅#1|日本人が一番行きたい世界遺産で「孤独な鳥の条件」を思い出した話|Travelogue

ペルー日系2世が営むペルー料理店でロモ・サルタードを食べているとき、ロンちゃん(仮称)に誘われた。
「9月になったら、マチュピチュに一緒に行かない?」

成田から1人、経由のアメリカで1人合流するよ、とロンちゃんは付け加えた。いつもの一人旅に変化を加えるのもいいかなと思い、誘いを受けることにした。成田からダラス(だったと思う)、そしてリマ Lima 、リマからクスコ Cusco へと飛行機を乗り継いだ。

クスコでお決まりの軽い高山病にかかり、薬を買って飲んだ。そのあとはサント・ドミンゴ教会とサクサイワマン遺跡をさくっと見学、クリストブランコという丘の上から市街地を見渡し、夜はハトゥン・ルミヨック通りを歩いて「12角の石」の前で記念撮影と、絵に書いたようなツーリストぶりを発揮した。まあ過密日程のうえグループ行動だから仕方ないね。

サクサイワマン遺跡でガイダンス

翌日はオリャンタイタンボ Ollantaytambo 近郊を巡るミニバンツアーにみんなで参加した。この街もそうだけど、チチカステナンゴ(グアテマラ)とかマチャプチャレ(ネパール)とか韻を踏むようなリズムカルな響きの地名って、なんか声に出したくなりません? 

ウルバンバ渓谷に位置し、壮大な段々畑が広がるオリャンタイタンボ遺跡はそれなりに興味深かったが、併せて訪ねた他の遺跡はもう記憶の片隅にも残っていない。人もまばらなピサック村の市場や、道中のウルバンバ川のにごった川筋がかろうじて思い出せるくらいだ。

几帳面に連なる段々畑

帰りにクスコの駅に立ち寄り、オレ以外の3人は翌日早朝のマチュピチュ Machu Picchu 行き列車のチケットを購入。しかしオレは、その日程が日帰りだったこと、そしてそれ以上にこの2日間がどうにも窮屈だったことから別行動を決意する。ごめんねロンちゃん、せっかく誘ってくれたのに一緒に居られなくて。でも、クソ長い飛行機の搭乗時間を片道だけでもやりすごすことができたことに感謝します。幸せにね。運が良ければまた会おう。

* * *

マチュピチュのふもとの街には、豪華列車ハイラム・ビンガムじゃないほうの列車で、前日に到着した。明日のあさイチの空気がさわやかな時間帯に、ワイナピチュに登りたいと考えていたからだった。この頃からワイナピチュの入域者制限が始まっていたことも念頭にあった。

この街はアグアスカリエンテス Aguas Calientes という名で、文字どおり温泉がある。早く着いたので温泉に入ることにした。ほんとはマチュピチュ巡りで疲れた後に入りたかったのだが、翌日は午後便でクスコに戻る予定だ。初代村長が日本人だからと期待したが、温泉は全然たいしたことなく、他の中南米の同名の場所と同じように、プールみたいな造りでぬるいお湯だった。夕食が驚くほどの観光地価格ではなかったのは幸いだった。

朝早くに宿を出て、始発かその次かのバスに乗る。うわさに聞いたつづら折りの道をショートカットする子どもの姿は少なかった。エントランスで入場料を支払い、ワイナピチュ登山のリストに名前を書いたと思う。当時はそんなスタイルだった。

ワイナピチュは遺跡よりも標高が高くて2693㍍ある。マチュピチュとは反対の「若い峰」を意味するらしい。人の波をいなしつつ、ハアハアゼイゼイ言いながら石段を登る。山頂付近は渋滞しているが、一番の絶景ポイントなので外せない。肩で息をしながらも、空中都市を見下ろす経験をゲットしたぜ。

こわごわ下を覗き込むの図

下山してマチュピチュの遺跡エリアに入る。天気は晴れたり曇ったりで、世界遺産のニつの表情が見れるので却ってよかったんじゃないかな。40段にも及ぶ段々畑アンデネスが基調をなし、石造りの住宅地区は風景に起伏を添える。遺跡の隅々まで小さな水路が張り巡らされている。遺跡内で最も高い場所にあるインティワタナという日時計からの眺めも素晴らしかった。

コンドルの神殿という場所に来た。自然石の上にさらに石を積み上げ、翼を広げたコンドルのような造形に見えるそうだ。オレにはどうがんばってもそうは見えないけどな・・・ 

Vuela, vuela el cóndor la inmensidad

ちょうどそのとき上空を鳥が舞った。視力が弱いのと鳥には疎いのとで、それがアンデスコンドルかどうかはわからなかった。ただ、その飛翔の軌跡を目で追ううちに、脳裏に「孤独な鳥の条件」の一節がよみがえってきた。
・・・孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ・・・

孤独な鳥の条件は五つある
第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされない、その同類にさえもわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりとした色を持たない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう

カルロス・カスタネダ『未知の次元―呪術師ドン・ファンとの対話』 (講談社学術文庫)
名谷一郎訳より

原典は16世紀のスペインの詩人サンファン・デラクルスの「光と愛のことば」で、オレが最初に知ったのは中沢新一の「孤独な鳥の条件」というテキストだった(『チベットのモーツァルト』所収だが、『現代思想1982年6月号』で読んだ)。この文章自体が名文で大ファンになったのだが、そこで示されたドン・ファンの教えにはもっと傾倒した。

このテキストには副題がある。「カスタネダ論」だ。カルロス・カスタネダ――メキシコのソノラ州に暮らすヤキ族の呪術師ファン・マトゥスの下で修行したUCLA出身の文化人類学者(という仮面を被った謎の隠遁者)。一連の著作は対話を多用したエスノグラフィーで、4冊目の『未知の次元』までは珠玉の知的興奮を提供してくれる。

・・・オレが別行動を選択したのは孤独な鳥だからか。・・・そういえばカスタネダはペルー生まれだったなあ――今ググると、ペルーはペルーでもカハマルカ Cajamarca という北部の街のようだが、このときはすっかり感慨に押し流されて、「カスタネダも見上げた同じ空」という偽の履歴を幻視していたのだった。

すぐ近くの、石を投げれば確実に届くところを雲が流れていく。リャマものんびり草を食んでいる。土の上に寝転んで静かな時間をしばらく堪能し、山を下りた。

リャマで間違いないかい?

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