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空き家に仏壇は必要か?〜コモンとしての位牌管理へ〜#3|Studies

沖縄には特徴的な仏壇(位牌)の呼び方や習俗があるので補足として紹介しておこう。前々回紹介した位牌継承のタブー(イナググァンス、タチイマジクイ、チャッチウシクミ、チョーデーカサバイ)を避けるために編み出された対策だと受け止められる。だが、グソーヌニービチを除いていずれも一時しのぎが意図されており、根本的な解決方法ではない。

ヒジュルグァンス
継承者のいない位牌のこと。子どもが女性ばかりだったときなどに生じる。ヒジュルとは冷たいという意味で、空き家で祀る人がなく放置されていることから、こう呼ばれるようになった。

アジカイグァンス
預かっている位牌のこと。位牌の継承者がいない場合、親族(なかでも恩のある人)などが一時的にその位牌を預かることがある。自分の家に位牌を持ち帰らず、故人の家に安置したまま位牌祭祀を行うことが多いため、空き家に位牌が残る原因となる。

ワキイフェー
脇位牌あるいは分け位牌という意味である。祖先を祀った板位牌の向かって左側かその一段下に別の位牌をしつらえる。長男以下の男子が嫡子を設けずに亡くなった場合にこの位牌が仕立てられる。すなわちチョーデーカサバイを避けるためである。この場合、当家の次の世代で次男以下に継承させることが理念的に期待される。

サギブチダン
台所(トングヮ)の西または北に小さな棚をつくり、そこに位牌を祀ることがある。娘が結婚せずに死去した場合や、子どもをつくらずに離婚して実家で亡くなった場合に祀られる。下げ仏壇という字が当てられ、おそらくイナググァンスを忌避するため、それまで仏壇にあった位牌を下げたという意味だと解せられる。

グソーヌニービチ
離婚後に亡くなった女性の位牌を、別れた夫のもとに戻し、夫婦として祀ること。男性が再婚していないことが前提となる。後生の結婚の意味であり、イフェーニービチやトートーメーニービチとも呼ばれる。「死者が本来入るべき墓(厨子甕)に入るため」と説明されることも含めて、それほど古い習俗ではないのではないかと私は考える。

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久高島は比較的遅くまで地割制(土地の共有制度)が残っていた。個人の家屋は私有財産だが、宅地は共有地であり、住まなくなれば字に返還するのが原則である(現在はかなり融通を利かせて運用している)。また、空きストックを活用しやすくする独自の制度があった。

ヤシキグーン
空き屋敷に別の家筋の者が入居するとき、家屋の外(主に東側)に祠などを設置し、元の居住者の家筋の香炉やヒヌカンなどを祀ることがある。「屋敷御恩」という意味でこう呼ぶ。屋敷や住居を他者が受け継ぐ際の礼儀(あるいは災難除け?)を制度化したものだと受け止められる。

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祖先の墓供養は位牌祭祀とも大きく関係する話題なので注記しておきたい。墓参りは以前は旧暦1月16日のミージュールクニチ(十六日祭)に行うものだったが、門中観念の浸透とともに清明の節に実施されるように様変わりした。このとき二つ以上の墓を参拝するケースが増えている。

アジシー墓
按司の時代の墓という意味。遠い祖先が埋葬された墓で、現在は墓としては使われず、拝所扱いになっている例が多い。清明祭に先立って、分枝した門中が集まり(あるいはそれぞれで)、カミウシーミー(神御清明)を行い先祖を供養する。門中によっては複数の墓や拝所を回って、ウグヮン(御願)の所作に則って礼拝する。

トーシー墓
当世(現代)の墓という意味。近い祖先が埋葬された墓で、亀甲墓、掘込墓、破風墓などの形態がある。近年では門中墓ではなく、家族墓や兄弟墓が増えている。清明祭では家族や親族が重箱料理を持ち寄って墓前に集まり、先祖供養を兼ねた宴席を設けるのが普通だったが、大人数で集まるケースは段々と減っているようである。

なお、本文中に洗骨という言葉が出た。死後数ヶ月から数年を経て、遺骸の骨を洗ってきれいにする行為のことで、洗い清められた骨は厨子甕などに納骨する。古くはこのタイミングで、それまでの死者の埋葬墓――風葬の頃は自然の葬所――から集団墓へと移し替えることが行われた。このシステムを学術用語で「両墓制」という。

近代になり集団墓が大型化されてからは、〈シルヒラシドゥクル〉という遺体を朽ちはてらせる墓内部の前方と、納骨した瓶や壺を納める棚を設えた後方というような空間区分が施され、骨の移し替えもなくなり、厳密には両墓とは呼べなくなった。現在はほぼ完全に火葬に移行しており、この風習は過去のものとなっている。

<位牌管理シリーズ終わり>

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