旧聞#8 スメルスケープ|Essay
空気には自然の神秘があふれている。うりずんから若夏へと移りゆくこの季節は、独特の色や風合いで演出されるが、独特の匂いもそこにはある。僕にとってそれは、海の青さやそこに行き着くまでの曲がりくねった道のイメージと融合している。
スケープ論花盛りである。ランドスケープは言うに及ばず、音を環境の一部と評価するサウンドスケープや、触覚で風景を感じるボディスケープなどがある。前者については去年、環境庁の「日本の音風景百選」に沖縄から二つの音とその環境が選ばれている。
スメルスケープなるものもある。眺望において嗅覚の役割を見いだしたり、匂いや香りを通して景観を構成することを指している。
人間の視覚が発達しすぎたせいか、匂いに関する語彙は世界中どの民族でも乏しい。例外的な場合でも、匂いのもとやその連想で修飾される観念でしかない。しかし、匂いは過去の記憶を呼び起こすことは得意だ。
マラケシュの迷路市場を夜歩くとき、そこにはハンマムの匂いがあった。湯船のないこの銭湯にあるのは石炭や薪を燃やして得た蒸気だが、外側には煙の白とその匂いを漂わせる。それは僕に子どもの頃の暖かい焚き火の情景をよみがえらせた。炎の照り返しが揺れている幼なじみのしかめ面を思い出させた。
スコールの匂い――これにも思い出がある。ホンジュラスでのある日、首都に向かう途中のまっすぐな道で急な夕立に見舞われた。疾走するバスの窓のすき間からは、南国の雨の匂いがしのびこむ。ラテンアメリカの常で、バスの中は見知らぬ者の間でも会話が充満しているが、僕は隣の席の女子学生にこの匂いについて話した。二、三の会話ののちに、窓の向こうを見つめたまま彼女は言った。
「ねえ、虹の匂いって知ってる?」
視線の先には、雨雲が切れた空と、森が死んだあとに現れた悲しい色の山肌にかかる虹があった。
金髪の彼女がエスニックな認識体系に通じているわけはなく、ただの個人の感傷かもしれない。スコールの匂いとの明確な違いも説明できなかった。だけど、この言葉は僕を決定づけた。
この国に寄せる僕の詩的な欲望は、虹の匂いを嗅ぎ分けることにある。
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