見出し画像

津堅島の年中行事 2月と3月|Field-note

沖縄県の現うるま市津堅島で、1990〜1991年当時あるいはそれ以前に行なわれていた年間の行事や祭祀等の採集記録です。不定期に掲載します。


ヒンガン(新暦3月18〜24日)

新暦3月は旧暦2月にあたることが多い。

彼岸のことで、この期間中の1日を祖先供養にあてる。仏壇には供物、酒を供え焼香をし、夜にはウチカビ(紙銭。グショーでの貨幣)を燃やす。家族の健康や家内発展の祈願も兼ねている。

ヤシチヌウガン(旧暦2月吉日)

一家の主婦が屋敷内にて家族の健康祈願を行なうもの。日決めは各家の判断による。

まず火の神、仏壇に祈願したあと、屋敷の四隅、門ロ、ナカジン(二番座の入口に面した庭)で拝み、最後に再び仏壇に礼拝する。屋敷の四隅の順番は各人で異なる。各々の場所で酒、ミハナグミ(花米)を供えて焼香する。屋外ではシナ(砂)を盛って香炉の代わりとする。門ロではお金を奉ずるという人もいる。

サングヮチャー(旧暦3月3日)

前の浜→記念運動場→ニンギ浜と実施する場所は移ってはいるが、内容には変わりがない。高齢者はじめ住民たちが重箱に料理を詰めてきて、酒を飲み、歌や踊りに興じる。これに先立ち龍宮のウガンジュ(拝所)にて、大漁、航海安全の祈願が行なわれるが、村の神人たちが主導的役割を果たすわけではない。

タキマーイ(旧暦3月12日?→消滅)

クボー御嶽、中之御嶽にて神人たちが掃除をし、薪を持ち帰る。このとき「アマムーイニヌーブッテョー、クマクープニオーリリヨー」と唱える。

サングヮチウマチー(旧暦3月15日)

いわゆる麦の収穫祭のこと。かつてはヌルが日決めをした。

正月ウマチーと同様であるが、午前の行事は行なわない。また刺身の供儀や配布もなく、海のウガンは表立ってなされない。拝みの内容は、今年の収穫の謝礼と来年の豊作祈願である。

祈願が終わると、ヌルやニーガンら神人たちによる舞いがカンサギの前にて執り行なわれる。円陣を組み、反時計回りに廻る。ニッチュたちは太鼓や鑼を伴奏している。

ハクルヌウガン(ヌルによる日決め)

麦の豊作祝祭、来年の豊作祈願の祭祀である。祝詞には豊漁の祈願も折り込まれているが、海辺での儀礼はない。ふつうは同名の儀礼は「白露」の時期に行なわれるが、津堅の場合は特殊である(あるいは儀礼名の確認漏れかもしれない)。

巡拝のコースは、①ヌー殿内→②ター殿内→③クニムイ御嶽→④クボー御嶽→⑤アカッチャ→⑥中之御嶽→⑦イビ御嶽(ヒカル御嶽ともいう)→⑧トマイヌメー(神人のみ) →⑨タカバンタ(男性のみ)とトマイギナ(女性のみ)である。

①では、まず火の神の前でヌル、ニーガンが最前列で向きあい、祝詞を唱える。次に庭に出てやはり同じ座順で東に向かい、同じ祝詞を唱えた後、「ティーターミーユーイシムーナナヤククントゥ」と数を数えこれを3回、これに「ティーターミー」を付け加え計33とする。これを7度繰り返し合計231とする。この数は首里に貢納する麦の俵の数と一致するらしい。祈願の際は火をつけていない平線香(これをヒジュルウコーという)2本をたて、終了すると供物の花米を3回指先でつまんで、三角の3ヵ所におく。この上から酒を垂らす。この行為はヌルの役目である。

かつては⑦の儀礼が終ると、この御嶽の管理人である赤人ニッチュが傍らのマルチャ石でさばいた刺身を参加者に振る舞ったという。⑧は現在では土地改良のためほとんど姿を消しているが、ここではヌルが、収穫した麦粒をばらまく行為を行なう。

⑨での儀礼は祝詞はなく、再び数を数えるのみである。男性は首里の方(南西)を向いて、女性は今帰仁の方(北西)を向いて遥拝するが、以前はそれぞれの場所で、人数を二分して両方を拝したらしい。これが済むと女性もタカバンタに集まり、歌と踊りで賑う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?